□月星暦一五四二年十一月②〈お人好し〉
第五章新人女官
■月星暦一五四二年十一月〈見解〉辺りのエピソードです
イディールは現在に至るまでずっと、アトラスという人間には色んな感情を抱いてきた。
敵でありタビスであるという事情に、心は散々揺さぶられてきた。
「私は、独りじゃなかった……」
弟だったと聞かされて、思わず漏れた自身の言葉にイディールは驚いた。
口にして、初めて自分が寂しかったことを知った。
「あんたなら判るか?」とイディールに問うアトラスの瞳が、すぐにでも壊れてしまいそうな儚い色をしていて、胸が苦しかった。
出会い頭の高圧的な態度が、精一杯の虚勢だったことに気が付いた。
「ライネス王は俺が誰だか気付いていた。俺が気付いたことに気付いていた。その上で見せたあの隙きは、今際に見せた笑みの意味はなんだったんだ?」
揺れる瞳に、苛まれてきた過去が垣間見えた。
父とそっくりな声で、泣きそうに言葉を紡がないで欲しかった。
経緯を聞いて、実物を見て気づいてしまった。
(これは駄目だわ。放っておけない……)
大きな形に、傷だらけの少年の姿が重なって見えた。
イディールは、父が討たれることを選んでしまった理由を悟った。
当時はもっと酷かったろうことは想像に難くない。
父はせめて自分を手で『この子』を終わらせようと、一騎打ちなどと言いだしたのだろう。
実際に戦って、ヒビだらけでいびつな彼の魂に直接触れて、哀しかっただろうなと、感じた。
十五歳という歳に見合わない不相応な強さと、歳相応の脆さと、どこか未発達な心。
彼のちぐはぐな在り方に、ライネス《父》は憐れんでしまったのだろう。
様々を知らぬままに生かされてきた少年を、そのまま死なせるのを惜しんでしまったのだろう。
自分だったらこんな風にはしなかったと、悔しかったに違いない。
父を恨めしく思っていた気持ちが薄らいだ。
ライネスの選択は、仮にも『王』を名乗る者としては正しくはない。
(だが、これはしょうがない)
ただの一人の親として、ライネス《父》が見放せるはずはなかった。
「ほんと、しょうもない」
傍らに佇むレイナに目が向いた。
曝け出した脆さにも目を逸らさず、アトラスの全てを受け入れる覚悟の瞳に胸が熱くなった。
街に繰り出した時に彼女が見せた底抜けの笑顔を思い出す。
アトラスはレイナに救われたのだろう。
そんな気がした。
未だ、かさぶただらけの魂。
それでも、レイナのお陰でここまで回復したのだろうと想像するのは容易い。
「父が護ることを選んだなら、私は従うしかない。だから、あなたは生きないといけないわね」
イディールは納得した。
納得してしまった。
我ながらお人好しだとは思うが、これも父譲りなのだろう。
性分ばかりは仕方がない。
自分の一言で、弟だと言うこの青年が少しでも楽になるのならと祈りながら、イディールは言葉を紡いだ。
※※※
アトラスとハイネとは湖畔の東屋で別れた。二人は竜護星には来ていないことになっている。
イディールは明日の朝、ファルタンの屋敷前に来るように言われている。
城への道すがら、イディールはレイナに声をかけた。
「あなたはかっこいいわね」
手を伸ばして、隣を歩くレイナの短い襟足に触れてみた。
くすぐったそうに振り返る海青の瞳に、イディールは微笑み返す。
「私は神殿に入れられた時に、腰より長かった髪をバッサリ切られて泣いたの」
「切られちゃったの?」
「そう。自分でまとめられないなら、仕事に邪魔でしょうって。当然なのだけどね」
「まあ、王女さまだものね」
レイナも自身に当てはめたのか、苦笑いを浮かべた。
「あなたが自分の意志で好きな髪型を貫いてるって知った時、こんな子もいるんだって、眩しかったわ」
「この髪型は気に入ってるし、もう自分の一部だと思ってる。邪魔だから切ったのも半分本当。でもきっかけは、嫌がらせだったの」
レイナは気まずそうにはにかんだ。
「嫌がらせ?」
「そう。アトラスと喧嘩してね。頭にきたから目の前でおさげを断ち切って投げつけてやったの」
「何それ?」
「だって人が具合悪くて寝込んでる前で、いとこの婚約者と楽しそうに話してるのだもの。頭にきちゃって」
それは妬くわねとイディールは微笑った。
仲が良くて微笑ましい。
「邪魔だったのは本当よ。私も自分ではまとめられなくてね。毎朝アトラスに編んでもらっていたのは、面倒だったし」
「編んでもらっていたって、あの人に?想像出来ない!」
「アトラス、神殿育ちだから案外何でもできるのよ」
イディールは息を呑んだ。
「そっか、神殿。タビスは神官……。彼は王子として扱われていなかったのね」
「え?」
王子とはとは肩書きだけ。(※)扱いは神官。
タビスというだけで、道具として王に戦場に送り込まれていた少年。
それが『黒い悪夢』の真実なのだとイディールは悟った。
城と戦場しか知らない王子が、五年間も異国の王女を連れて旅をしていられたのかが謎だったが、神殿育ちならば納得できる。
さぞ、色々と教え込まれてきたことだろう。
「……神殿にいた時、タビスは神官の頂点で、英雄って謳われて。さぞかしいい気分でしょうねって恨み言を言ったことがあるの」
アンナの呆れ顔が浮かんだ。
「そうしたら同室の子に、きっと弱音も吐けなくて、きっとそんなにいいものじゃないって言われたの。本当にそうだったのね。彼女は正しかった」
脆さを孕む青灰色の瞳は、勝手に想像していた目つきとはまるで違っていた。
イディールはレイナを見つめ、衝動的に抱きしめていた。
「レイナ、弟をお願いね」
「はい、おねえさん!」
(あね?)
身体を離すと少年のような笑顔でにっと見上げる海青の瞳があった。
レイナは半年後アトラスと結婚することが決まっている。
(そっか、義妹になるのか)
自然とイディールの口許に笑みが浮かんだ。
なんだかこそばゆかった。
※アンブルの王アセルスにとっては、です。周りは王子として扱っていました。
そろそろ折り返し。活動報告にあとがきならぬ中書きみたいのごあります。↓
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