□月星暦一五四一年九月①〈アトラス〉
ここから3話、第一章の二ヶ月後。間章あたりのエピソードになります。
月星暦年七月。
暴君レオニスが、末の妹ーー王女レイナに斃されたという報が入ってきた。
王女はアトラスと名乗る月星人の青年に連れられて戻って来たという。
青年の素性は不明とされていた。
イディールにはそれが失踪中のタビスだと直感的に解った。
もう気にしてないつもりだったのに、胸の奥が疼く。
なんの因果かと思った。
こんな辺境の国でその名を再び聞くことになろうとは。どうしてと思わすにはいられなかった。
※※※
翌月の末に、国主になったレイナに取り入る魂胆丸出しで、パテールとゾーンは首都に向かった。
イディールとコレガが同行することになった。
噂話は数少ない娯楽である。
イディールは、新しい王と謎の月星人のことを聞いてこいと、同僚の侍女たちから厳命を受けている。
王宮の女官達の口を開かせるにはこれが一番と大量にお菓子を持たされた。
もう一つ、渡されたものがある。
パテールにもゾーンにも気づかれないように、王宮の偉い人に渡してこいと託された嘆願書。
これは、侍女達の悲鳴である。
泣き寝入りするつもりはないという意思表示。賛同した各人の署名が記されていた。『サラ』の名も記入されている。
※※※
コレガはパテール達の謁見に付いて行った。
その間にイディールは、城の女官達に滞在中の諸注意を聞きに女官部屋を訪れた。
手の空いている者の、待機場という名の休憩場所である。
注意事項を聞き終え、挨拶がわりと広げたお菓子を目の前に、女官達の口は軽くなった。
彼女達にとっても、噂話は娯楽らしい。
「レイナ様の王位交代劇について聞いてこいと、同僚から言われてるのですよ。実際どんな感じだったのですか?」
「たった一日で制圧ってびっくりよねぇ」
そばかすの女官が菓子に早速手を伸ばしながら口を開いた。
「そうそう。お二人でふらりと訪れたと思ったら、翌朝には暴君レオニスが斃されたって聞いてびっくり!」
茶色の髪の女官も乗ってきた。
「お二人って、レイナ様を連れてきたという月星の方のことですか?」
さらりと謎の青年のことを振ってみると、女官達の声が更にワントーン高くなった。
「そう、アトラスさま。レイナ様がレオニスを引きつけてる間にほぼ一人で制圧したらしいんだよね」
「凄いわよねぇ」
女官達も誰かから聞いたらしい話し方をする。実際にその場にいたのでは無いのかも知れない。(※1)
「剣も強いらしいけど、めちゃめちゃ有能らしいよ。あのモース様が自分補佐に選んだくらいだものね」
(有能……。そりゃあ、月星の王室で教育を受けていれば学力はあるわよね)
「あの事件の時は、レイナ様を身を挺して護って、お怪我までされたそうですよ(※2)」
また、違う女官も加わる。
「人を庇って怪我を?」
(冷徹無比のタビスが?)
「翌月の葬儀には出てましたから、大した怪我では無かったのではないでしょうが」
「お優しい方なのよ。私たちみたいな末端の使用人にも、ちゃんと挨拶してくれるんだ」
(優しい?)
「とにかく、かっこいいんだよねぇ。背が高くて姿勢が良くてぇ!ちょっと変わった髪の色でぇ」
そばかすの女官がイディールを見た。
「あなたの髪の色に似てるねぇ」
「えっ?」
なんとも言えないもやもやした感情が肚の中に広がった。
(ネートルさまの色、アンブルにも受け継がれているね)
イディールは、キャッキャと騒ぐ女官たちを、冷めた目で眺めていた。
たいぶ盛られている印象はあるが、差し引いても皆が語るアトラスが『戦場の黒い悪夢』とは到底結びつかなかった。
(※1)居たとしても操り人形状態で良く認識していない
(※2)アトラスの傷はレイナではなくレオニスによる傷と情報統制をした人がいる模様




