□月星暦一五三六年二月⑤〈嗚咽〉
食堂を出ると、神官はイディールをまじまじと見た。
「あんた、綺麗な色の髪をしてるね」
「ありがとう」
髪を褒められるのは単純に嬉しかった。
ちょっと見ない青味がかった砂色の髪は始祖ネートル様と同じ色と言われていて自慢だった。
王家では昔、兄弟が多かったら青味がかったこの色の髪の者が王になったとまで言われている、直系の証。
癖の無い、腰の下まである長い髪はいつも入念に手入れをしてもらい、色々な形に結って貰うのが楽しかった。
神官はイディールを洗面所に連れていき、鏡の前に座らせると髪を櫛ってくれた。
城を出てからというもの、なにもできずにただひとつに縛っていただけだが、櫛をいれると以前のような光沢が戻ってきた。
「うん、いい。これならいけそうだ」
神官はイディールの髪を丁寧に肩の当たりで一房ずつ、いくつもの束に括った。
「変わった纏めかたをするのね」
「この方が楽だからね」
そう言って神官は束のひとつを手に持ち、括ったところより指二、三本分上の所にいきなり鋏を入れた。
ジャッキィィン。
耳障りな音が頭に響いた。
はらりと短く残った髪が顔にかかる。
「何をするのっ!」
「何って、こんなに長いと仕事ができないじゃないか。どうせ自分で纏めることもできないんだろ。これだけ綺麗なら、高値で売れるよ」
「えっ……、売る……?」
ジャキィン。
話している間に、二つ目の束も切られた。
イディールはショックで声が出なかった。
何の抵抗も出来ないうちに、残りの束も次々と切り落とされ、腰下まであった髪は顎の下あたりで切り揃えられた。
呆然と鏡を見つめるイディールに、切った髪の束を丁寧に風呂敷で包みながら神官は口を開く。
「どんな良家のお嬢さんだったかしらないけど、ここにきたらみーんな同じ。仕事を覚えて、勤め先を見つけて、食べて生きていくんだよ。明日から気張りな」
※※※
そのまま風呂場に連れて行かれ、使い方の説明がてら風呂に入れられたが、全く頭に入ってこない。
「世話がやけるねぇ」
突っ立ったまのまま、イディールはどうしていいか判らない。神官に呆れられながら、泡立ちの悪い石鹸でゴシゴシと頭から足の先まで洗われ、湯船に放り込まれた。
「今回だけだからね」
あがると寸法を測られ、アンナの言った通りに下着と神官服が一式渡された。
部屋に戻るとイディールの頭を見て、同室のアンナはやっぱりね、という顔をした。
「まあ、そうなるわね」
「髪って、お金になるものなのね⋯⋯」
「まー、貴族連中には需要があるからね。男女問わず、子どもの頃から伸ばして売るなんて、地方じゃよくある話よ」
「⋯⋯」
余程情けない顔をしていたのだろう。
「その頭もかわいいよ」
アンナは慰めてくれたが、イディールの心には響かない。
ジャッキィィン。
鋏の音が耳の奥に蘇る。
断ち切られたのは髪だけではないことを悟った。
「そういうこと、なのね……」
イディールは自分が捨てられたのだと理解した。
寝衣に着替えもせずに寝台の上に上がると、足を抱えた。
「お父様の莫迦……。なんで死んじゃったのよ……」
短くなった毛先に触れ、イディールはサラ・ファイファーの身分証明書を見つめた。
『月星歴一五二〇年生まれ
女
髪:砂色
瞳:青』
あとは発行した領主の印だけの簡素な内容。
おそらく特徴が符合するというだけで、身代わりになったサラ。
「あなたが死ぬことだって、無かったのに……」
両手を握りしめて、イディールは泣いた。
やっと泣けた、というべきかも知れない。
サラがかき集めてくれた金品の類いはカルゴが持っていってしまった。
カルゴしてみれば、危険をおかしてイディールをここまで連れてきたの対価のつもりだったのかも知れない。
あるいは、イディールをここに置く為に、口止め込みの神殿へのお布施に消えた可能性もある。
なんにせよ、残ったものは、服の下につけていた母の形見のペンダントだけである。
自分がイディール・ジェイド・ボレアデスである証は何も無い。印章を持ち出す間も無かった。
今のイディールは戦場に赴いた父親を亡くした、戦災孤児でしかないのだ。
お金目当てに花街に売るではなく、神殿においていったのは、カルゴのせめてもの良心だったのだろう。
アンナはイディールの止まらない嗚咽を聞かないふりをしてくれていた。
第六章□月星暦一五三六年二月⑦〈真祖〉で、アウルムがアトラスの秘密を知った夜です




