□月星暦一五四一年七月㉔〈忠臣 後〉
□モース
「良かったですね。うまくいったようで」
考えにふけっていたモースは、入室者の存在に気付いていなかった。
「いつからそこに? ライ」
「らしくないですね。モース・コル・ブライトともあろう方がどうしました?灯りもともさないで」
言われてみて、気がついた。
あらためて窓の外を、そしてライを見やった。
既に日が落ちて暗い室内に佇むライはもう兵士の装いをしていない。
「あぁ、今日は満月ですか」
灯りをつけながら、窓の外に目をやるライの振る舞いはどこかわざとらしかった。
ライはモースを伺いつつ、微笑を絶やさない。
「ご存じですか? 月星では、月には女神がいると信じられていたそうですよ」
だから『|月に守護された星(国)《月星》』と言う。
月は水を司り、大地の恵みも月の満ち欠けそのままに女神が水を微妙に調節しているからこそ得られものと考えられた。
だが女神は月に一度、新月の晩に姿を隠す。
その不在を補う為、女神は代行者を選んだ。
その者は『タビス』と呼ばれ、女神の加護を受け、女神の代弁する神官とされた。
「先の内戦でも、たった十五歳で敵対する王を倒し、英雄視されたタビスがいたとか」
名は、アトラス。
「そういや、別室に寝ている青年もアトラスといいましたねぇ」
そんなに多い名前なのかと含みを持った問い。
分かりきっている。『天を支える男』の意を持つ『《《アトラス》》』などという名の人間がそういるわけがない。
モースはうなずいた。
考えているところは同じだと。
だからこそ、王族にしか使わない条件で密かに保有している秘薬の竜血薬まで持ち出して治療した。
前王の遺した言葉があったからだ。
『娘の帰還を待て。タビスを頼む』と。
『頼む』とは『救え』という意味とモースは捉えた。
「では、月星に連絡を……?」
「いいえ」
モースは首を振る。
「ここにいるのは、我らの元に王女を連れてきてくれた、ただ、月星出身だというの若者。そうでしょう?」
敢えて、強調。
本人は何も言っていない。
確証がない上に推測の域も越えていない。
だから、今はそれで良い。
「モースさま、月星の諜報部門は優秀ですよ」
「そうでしょうね」
含み笑いを伴って、モースは応える。
「報告に戻らなくて良いのですか? ライ・ド・ネルト・ファルタン」
「ファタルには、とっくに遣いを送ってあります」
ファタルの領主の三男は澄ました顔で答えた。
ファタルは収益の半分以上を貿易が占める。
その取引先には当然月星も含まれる。
モースが何かしなくても、情報は伝わる。
既に早馬、諜報部門、吟遊詩人、あらゆる手段でレオニスとレイナの話は拡散されている。『暴君をその妹が自ら始末した』と尾ひれがついて救世主的な扱いさえしているだろう。
そして、王女を補佐した月星の青年のことも。
死んだと思われた随分の数の人間が解放されて、帰るべき場所に帰っていった。
彼らもまた情報源だ。
信憑性に拍車がかかる。
「忙しくなりますね。首都機能を戻さねばなりませんし、レイナ様には色々と学んで頂かねばなりませんし」
「大方、隙に乗じてファタルは統治権を奪う魂胆でいたのでしょう?」
「正統な後継者が現れた今、必要ありませんけどね」
悪びれた様子もみせずにライは微笑する。
「今後も働きに期待してますよ、ライ」
国葬、戴冠式も控えている。
人手不足は深刻。問題は山積み。やることは多い。
「ええ。誠心誠意お仕えしますとも」
そう微笑むライ・ド・ネルトの言葉に裏があるようには感じられなかった。
※※※
翌月《月星歴一五四一年八月》頭、前王セルヴァをはじめとした犠牲者を弔う儀式が首都アセラにて行われた。
各都市の重要人物は全員出席したその場にて、レイナが竜護星の王位を継ぐことが正式に宣言された。
第一部 国主誕生編 完




