□月星暦一五三六年二月③〈噂話〉
クッションもない座面の白木の椅子に座らされたイディールの前には、節だらけの白木の丸テーブル。その上に乱暴に運ばれてきた食事は粗末なものだった。
パンはぼそぼそしており、スープも塩辛いばかりで具も殆ど浮いていない。
正直、喉を通らなかった。
「美味しくないわ」
「丸一日口にしてないのです。無理にでも食べてください。外の食事なんて、こんなものですよ。慣れないと生きていけません」
「……」
仕方なくもそもそと口を動かしていると、少し離れた席で酒を飲む二人連れの男たちの声が聞こえてきた。
空いた店内に男たちの声はよく通る。
「おい、ジェダイトの話は聞いたか?」
「ああ。ひどい有様らしいな」
「アンブルの軍が破壊しまくったらしいじゃないか」
「聞いた、聞いた。王女も死んだってな」
「殺されちまったのかい?」
「いいや、自室で毒をあおったんだってさ。自殺だよ」
「まあ、囚われて酷い目にあうよりかはマシかもな」
「えっ……?」
イディールは思わず顔を上げるが、向かいに座るカルゴが険しい顔で首を振った。
「そんな連中が東側も治めるんだろう。さぞかし東の奴らは恐ろしいだろうな」
「でも、ま、これ以上悪くもならんだろうよ。戦争は終わったんだ。徴兵がなくなっただけ、マシってもんよ」
「違いねぇ。庶民にとっちゃ、ぶっちゃけ王さまが誰だってかまわねーもんな。うまい酒と食事にありつけりゃ、なんでもいいさ」
「そりゃそうだ」
そう言って笑う二人の男の声は耳障りで、イディールは顔をしかめた。
「出ましょう」
カルゴは立ち上がり、イディールはその後をとぼとぼと付いていく。
辺りは暗くなり、街灯には灯が灯されていた。
振り返らず進む背中に、恐る恐るイディールは声をかけた。
「サラが残ったのは、私の代わりに死ぬためだったの?」
カルゴの足が止まった。
「カルゴは、知っていたのね」
「戦果に酔った人間は凶暴です。敵方の姫君が残っていたとあらば、どんな辱めを受けるか分かったもんじゃありません」
やけに淡々とした口調にイディールは苛立った。
「だからって、サラを犠牲にすることはないでしょう!?」
「サラが決めたことです!」
吐き捨てるカルゴの声音は怒りを含んでいた。
サラとカルゴは仲が良かった。遠い血縁者と聞いている。
「姫さま、いえ。あなたはもう姫さまでもイディールさまでもありません」
振り返ったカルゴの剣幕にイディールは気圧された。
ずいっ、と手渡されたのはサラの身分証明書。
「あなたはこれからサラ・ファイファーとして生きていくんです。彼女の分まで、彼女として!」
※※※
その後の道中カルゴが口を開くことなく、イディールは街区神殿に連れて行かれた。
暫く聖堂で待っているように言われ、カルゴは神官長と話をしてくると言って、対応してくれた神官に案内されていった。
戻ってきたカルゴは、神殿とは話がつき、イディールはここで暫く厄介になることになったのだと言った。
「あなたはどうするの?」
尋ねると、カルゴは声を潜めた。
「自分は一度ジェダイトへ様子を見てまいります。それまでここにいてください」
「戻って、来るのでしょう?」
カルゴは何か言おうと口を開きかけたが、人がやってくる気配を察し、言いかけたのとは明らかに違う言葉を紡いだ。
「サラ、いい子でこちらの方々の言うことを聞くんだぞ」
「……はい」
イディールか頷くと、カルゴは神官に宜しくと頭を下げて出ていってしまった。
カルゴは振り返りもしなかった。
神官は深い皺のある初老の女性だった。
「サラさんですね。わたしはこの街区神殿の神官長のメールです。お部屋にご案内しますね」
聖堂を大扉から出て、聖堂脇の廊下を進む。
廊下の反対側には集会場が並び、奥に住居区画がある基本的な構造の街区神殿なのが見て取れた。ジェダイトの中央神殿と間取りが似ている。
連れて行かれた住居区画内の部屋は二人部屋だった。神官長のノックに、同室だという少女が出てきた。
「神官長さま、こんばんは。その人、新しい子?」
「サラさんというの。色々教えてあげてね」
「宜しく、サラ。わたしはアンナよ」
栗色の髪を肩口で切り揃えたあまり見ない髪型の少女は、笑うと笑窪が出来た。
部屋には、寝台と戸棚と文机と椅子だけが左右対称に一組づつ置かれていた。
「あんたはこっち側ね」
アンナに示された方の戸棚には、寝衣が一着入っているだけだ。
「これだけ?」
「神官服と靴は後で支給されるよ。下着とかは最初の授業で作らされる」
「作る?」
「そう、作る。最初の一組は支給されるけど、ここじゃ下着も靴下も必要なものは自分で作って揃えていくんだ」
イディールは信じられない気持ちでアンナの言葉を聞いていた。




