□月星暦一五三六年二月①〈逃亡〉
五章「新人女官」登場のイディール視点でお届けします。
なぜ今になってイディール?と思われましょう。
次の章が終戦五十周年記念式典。
舞台がジェダイトだからです。
イディールの凄絶半生、暫しお付き合い下さい。
□イディール
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「姫さま、大変です!」
駆け込んできたサラの砂色の髪はかき乱れていた。
息を整えながら、サラはイディールの肩をがしっとつかむ。
「陛下が、ライネス陛下がお亡くなりになりました」
サラの怖いくらいに真剣な表情に、本当のことを言っているのだとイディールは理解した。
「お父様が、どうして!?」
「戦場で一騎打ちを挑まれて、討たれたそうです」
「そんな、まさか!?相手は誰?お父様を降す程の強者があちらにいるとは思えない!!」
「あいつですよ。『戦場の黒い悪夢』……」
「タビス……」
今代のタビスはアンブル派の王子だった。
名前はアトラス。
『タビスが終戦の鍵』という予言があった為に、常に最前線に投入され、子供とは思えない冷酷さで淡々と剣を振るうさまから、ジェイド派ではそんな二つ名で呼ばれている。
「そんな……、本当にタビスが終わらせたというの?」
力が抜けた。
イディールはへなへなと、その場にへたり込んだ。
「姫さま。呆けている場合じゃございません。早く逃げませんと……」
「逃げる?」
「アンブルの奴らがこちらに向かっているそうです」
荷袋と服を抱えた侍女のメランが入ってきた。
彼女はカラスの濡羽色のような髪が美しい。
「姫さま、こちらに着替えてください」
メランが示したのは装飾の類いの無い綿のワンピースに、羊毛の綿入れと実用一辺倒の革の外套。無骨な長靴もある。
「これを……私が着るの?」
「いいからお早く!」
メランに着ていた絹のドレスは剥ぎとられ、示された衣服に着替えさせられた。
「ちくちくするわ」
おまけにガサガサして肌触りが悪い。
「そんなこと言ってる場合じゃありません」
サラが貨幣や宝飾品、金目の物をかき集めて袋に入れ、押し付けてきた。
「無くさないでください。いざとなったら、これを売って食いつなぐんですからね」
サラ・ファイファーはしっかりしている娘だった。
イディールより三歳も歳下とは思えない程、機転も利き、ずばずばとイディールに意見をしてくる得難い友人でもある。
サラも着ていた服を脱ぎ、今しがたイディールが着ていたドレスに袖を通した。
年の割に身体が大きいので、イディールのサイズでも違和感はあまりない。
「わたしが姫さまのふりをして時間を稼ぎますから。姫さまはお早く!」
サラの薄青の瞳に不穏なものを感じてイディールは尋ねた。
「サラ、また会えるわよね?」
一瞬、間があった。
「もちろんですとも!」
サラはイディールを一度強く抱擁して、離した。
「ご準備できましたか?」
入ってきたのは使用人のカルゴ。
イディールの専属従者のアイン・マールは間の悪いことに里帰り中で留守だった。
「カルゴ、姫さまを頼みます」
「お任せください」
サラとカルゴの視線が刹那強く絡み合う。
「サラ!」
「姫さま、こちらです!」
メランに手を引かれ、引きずられるようにして、イディールは部屋を後にした。
振り返って見たサラの口が「さよなら」と動くのが見えた気がした。
メラン:黒
カルゴ:職務
アインマール:いつか




