□月星暦一五八五年七月④〈魂胆〉
□シモン
「あなたは商人だ。我々が手に入れられない物も入手できるんじゃないかとね、つい、考えてしまうんですよ」
「知らんのか。毒物の扱いは厳重に管理され、儂らのような一介の商人は触れられないようにて出来ておる」
アトラスの言葉に、コルボーは自ら毒という単語を使ってしまったことに、気づいていないようだった。
「まぁ、知識さえあれば、その辺の野山にもいくらでも有毒な植物は生えている。そして、少量なら身体の為でも取りすぎると害になるなんていう『薬』も、世の中にはあるもんだ」
ここでアトラスが、思わせぶりにシモンを一瞥し、続けた。
「例えば、これは異国から取り寄せた滋養強壮薬だと言えば、信じて口にし続ける方もいるかも知れませんな」
シモンは、がたんと立ち上がった。
泳いだ視線は妹に止まり、サクヤが困り顔で頷くのを見て、疲れたように再び座った。
「儂が用意したとでも言いたげだな。証拠なんかないだろう」
コルボーが吐き捨てる。
「どうですかね?商業組合に調べさせることはできる。帳簿の類は最低でも十五年は保存が義務づけられている」
ペラリと一枚捲り、アトラスは手元の資料をコルボーに見せた。
日付は約十年前。
名前があるわけではない。
ただ、とある船舶がとある薬品を輸出する旨を報告しているだけの『月星側』の書類だ。
ただ、それだけである。
兄妹の父親が伏せっていた時期とたまたま重なっているだけの資料だ。
だが、コルボーの禿げ上がった額には脂汗が浮かんでいた。
目の前の人間が、この類いの資料を調べる権限を持っているか、権限を持つ人間を動かせる立場の人間だと、やっと理解した顔である。
「……儂を脅す気か」
「そうさなぁ。そんな面倒くさいことは、俺もしたくない」
砕けた口調になって、アトラスはここで引いた。
そもそも、隣国での事案に口を出せる権限は例え王でもさすがに無いのだが、コルボーには思い至らないようだった。(※)
話術に長けている筈の商人が押し負けていた。
十分脅してるわと、ぼそりと呟いたサクヤの声は、シモンにしか届かない。
「今までの話は忘れて下さって結構」
にっこりと笑うアトラス。
その笑顔が恐ろしいと思ったのはシモンだけでは無かったはずだ。
「過去のことは正直どうでもいいんだ。ただ俺は、負の連鎖がこの先『友人』にも及ぶのは避けたいだけさね」
視線がシモンに向けられる。
さすがにシモンも意味することを理解した。
「まさか、私どころかサクヤも……」
「いや。そういう意味ではサクヤに害は及ぶまい。コルボー氏は彼女の頭の中に用がおありのようだから」
「コルボーさん!」
シモンは怒りを込めて名を呼んだ。
自分が騙されていたことよりも、父を殺されたかも知れないことよりも、サクヤを利用しようという魂胆の方がシモンには気に障った。
「サクヤを手に入れる為に……。それも、そんなことの為に……」
「どこかで、『レイナ記憶』の話を聞いたのだろう。サクヤを娶り、あんたを殺して領主に成り代わり、華々しく社交界レビューをして、レイナの記憶を餌に、更にのし上がろうと考えた」
コルボーに視線を戻すと、その顔はどす黒く変色していた。
最早、取り繕う素振りすら忘れている。
「貴様は、何者だというんだ……」
コルボーはアトラスを睨見つける。
「レイナの事を調べたのなら、『私』の事も知っていて良さそうなものだが」
一呼吸おいて、アトラスは人の悪い笑みを浮かべた。
「私はアトラス・ウル・ボレアデスと名乗りませんでしたかな?」
お読み頂きありがとうございます
※朱盤星の王はマイヤの元王配のテュールなので、ゴリ押しすれば可能かもしれませんが、シモン視点なので無しと断定にしました、




