■月星暦一五八五年六月㉗〈報告〉
夕刻、城に戻ってきたサクヤをアトラスは書斎に呼び出した。
「書類は揃ったの?」
サクヤはアトラスの手元にある紙の束に目を落とす。
月星に赴いていた間に、マイヤに頼んで揃えてもらってあったものだ。
「あとは、ライ・ド・ネルトが何を調べてくれたかが楽しみだ」
アトラスはサクヤをまっすぐと見つめた。
「……知っていたな?」
サクヤは肩をすくめることで肯定を示した。
「ねえ。十歳も年の離れた妹の言うことに、まともに耳を貸すと思う?」
兄にとっての妹というのは、いつまで経っても幼い少女の感覚が抜けないものらしい。
アトラスも身に覚えがあるだけに、何も言えない。
今や親子程にも見た目に隔たりのあるアリアンナだが、花のような笑顔でまとわりついてくる少女の頃を思い描くのは容易い。
「私が何を言っても『コルボー氏を悪く言うな』と最後は喧嘩になるもの。だから、有無を言わさず信じるに足る第三者と証拠が必要だったのよ」
サクヤはそっとため息をついた。
「もし私が嫁いだら、きっと兄さんは殺されるのにね……」
昏い瞳で呟くサクヤ。アトラスは息を呑む。
「そこまで、考えていたのか」
正直侮っていたとアトラスは詫びた。
意にそぐわない相手に嫁ぐのが嫌だからとごねるだけの小娘だと、どこかで思っていたことは否めない。
「兄さんは馬鹿がつく程お人好しだから。でも、あんな成金親父に嫁ぐなんて、死んでも嫌なのは確かよ」
サクヤは重い空気を払うように、悪戯っぽく笑ってみせた。
※※※
翌朝、アトラスはサクヤを伴って、アセラの街にあるファルタン別邸を訪ねた。
通された部屋で、王城勤めを辞したペルラが自らお茶を運んで来た。
ペルラはサクヤをあけすけに見やり、サクヤはその視線をまっすぐ受けた。
ライにはサクヤについて、レイナの記憶のことは話していない。
ペルラがライから何かを聞いているとは思えない。
それはウパラやグルナからも同様の筈だが、サクヤに対して感じるものがあったらしく、ペルラはふと微笑みを残して、退出して行った。
間もなく入ってきたライ・ド・ネルト。
「なかなか、面白い人物のようですね」
卓の上に書類を置き、二人の向かい側に座るや発せられた言葉。
それが誉め言葉ではないのは、ライの表情を見れば一目瞭然だった。
ライの資料によると、グリース・コルボーという男は、人身売買以外はなんでも手広くというのが信条。商人としての手腕は悪辣と揶揄されるほど、有能だという。
「あまり良い噂は聞かないようですね」
ライはどこで仕入れているのか、いつでも詳細な資料を持参してくる。
「先日も、ファタルの酒場で『新しい妻を迎えるんだ』と上機嫌で話していたのが目撃されています」
「遠くへ仕入れに行くという行き先は、ファタルだったのね」
思いつかなかったとサクヤは呟く。
「なんでも、十年かけて仕込んだとか何とか。『何』を仕込んだんでしょうかね」
思わせぶりにニヤリと微笑するライ。
この男のこういう顔は、若い頃から変わらない。
「そうそう、こんなものを手に入れましてね」
写しだと断って取り出した書類に目を通して、アトラスは唸った。
サクヤに見せると、その顔も曇る。
「……まあ、そういうことなのでしょうね」
何事もはっきり言う性質のライが言い淀んだ。
「……立証することは可能か?」
「無理ですね。時間が経ちすぎています。特に、先の二件については、隣国での出来事ですから、我々が介入することは出来ませんね」
「だが、材料としては申し分ない」
アトラスはライに礼を言うと、口元に物騒な笑みを漏らした。
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