■月星暦一五八五年六月㉕〈憂慮〉
翌日、二日酔いに悩まされたアトラスは、午後も遅くなってから二ノ郭へ赴き、屋敷の一つを訪ねた。
前王アウルムの妹アリアンナは六十歳を超えたというのに、矍鑠としている。
砂色の髪には白いものが混じっていても、姫と呼ばれていた頃の華やかさは失われていない。
背筋のピンと伸びた立ち居振る舞いで、優雅にアトラスを屋敷招き入れた。
アリアンナは昨夜食事の後、男性陣と別れてからサクヤと二人でお茶をしていたという。
「サクヤがここに来ていると聞いたのだが」
「モネ……、上の孫娘と意気投合して、出掛けていますわ」
モネは今年十七歳になる、ルネの娘である。
サクヤがアンバルどころか月星に来たのが初めてと聞くや、自分が案内するのだと張り切って連れ出したという。
サクヤに若い娘らしい一面を垣間見た気がして、アトラスはなんだかほっとする。
「なら今晩は、こちらに泊めてやってくれないか?辛気くさい宿坊よりは良いだろう」
「それはかまいませんが……。でも、お兄様と一緒の方が、彼女は喜ぶのではございませんの?」
意味深な眼差しでアリアンナは問う。
アリアンナは昔から察しが良い。
「……サクヤは自分で話したのか?」
「レイナの記憶の話は夫から。ですが、それで納得しました。久しぶりに、懐かしい友人とお話をしたような気分でしたから」
アリアンナはふわりと微笑んだ。
「……お前は、『彼女』だと、思うか?」
「それは、私が判ずるところではありませんでしょ」
見透かしたような視線がアトラスを捉えた。
「お兄様自身が納得しなければ、誰が何を言っても意味はございませんでしょう?」
アリアンナは悪戯っぽくころころと笑う。
「夫は信じ切っている様子でしたけど。『またレイナに会えた』と言って、喜んでおりましたわ」
「ハイネらしいな」
齢を重ねても感情に正直でいられる姿勢が羨ましい。
「さておき、レイナの記憶を持っているのが本当なら、あの娘はお兄様が保護するべきでしょうね」
極めて現実的に、アリアンナは意見する。
「仮にも一国の王を務めた者の記憶ですよ。悪用されたら危険ではありませんの?」
「……っ!?」
動揺しすぎていて、思い至らなかった。
らしくない。
全くもって、らしくない。
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食事の質が改善されたとはいえ、平均寿命はまだ七十前後というところでしょうか。
享年八十九歳のモースは驚異的でした。
竜血薬を口にしているアウルム、竜護星で生まれ育ったハイネ、竜護星にしょっちゅう行っては、その土地のものを口にしているアリアンナは長生きの素養があります。




