■月星暦一五八五年六月㉒〈悪癖〉
聖堂には蜂蜜色の髪の、豪奢な装いの男性が待っていた。
見た目だけを言えば、アトラスと同年代か少し上。二人の顔立ちはどこか似ている。
「おやおや、陛下自らお越しですか」
「叔父上、お久しぶりです」
アトラスの兄アウルムの息子レクス・リウス・ボレアデス・アンブル。
現在の月星王である。
「して、そちらの女性は?」
「まあ、訳あって同行してもらっている」
「サクヤ・フェルターでございます」
月星王を目の前にして、臆することなく名乗る胆力に、レクスは面白いものを見る顔になった。
「ほぉ?」
「陛下」
アトラスの冷たい視線が刺さる。
「冗談です。サクヤ殿、失礼した。滞在を歓迎する。今晩は王城で食事を用意させよう。あなたもいらして下さい」
それだけ言うと、レクスは聖堂を出ていった。
「何しに来たんだか……」
呟くも、大方予想は付いている。アトラスが女性連れで戻っきたと聞きつけて、顔を見に来たのだろう。
レクスの悪い癖である。
立ち去る背中を見送ると、アトラスは祭壇の前に立った。
そこには一体の女性の像が見下ろす形で設置されていた。
月星における女神、セレスティエル。
右手に麦の穂、左手に剣を持つ姿で描かれることが多い。
アトラスはその像を見やると、一呼吸おき、形式に則って祈りを捧げた。
その様子を後方から眺めていたサクヤは珍しいものを見た顔をする。
「驚いた」
「俺がこうすることで、保たれる形がある。それを縁にする者がいるなら、安易に否定するものでは無いってことさ」
誰よりも女神に近しいとされ、女神の代行者と云われるタビスであるアトラス程に、女神を信じていない者はいない。
血の滲むような想いをいくらぶつけたところで、何一つ女神が応えないことを、彼だからこそ身を持って知っている。
頑なに否定していた若かりし頃。
全てを否定して出奔し、だからこそレイナに出逢った。女神を受け入れていたら、出逢うことが無かったと思えば、皮肉な話である。
「人間、どこかで折り合いがつくものなのさ」
時が癒やしてくれるという言葉がある。それは落としどころを見つける作業なのかも知れない。
※※※
サクヤを二階にある宿坊に案内しながら、アトラスはその横顔を盗み見る。
レイナとは違う顔立ち、髪質、瞳の色。だが、時折みせる眼差しに、表情に、言動に幾度戸惑ったか分からない。
レイナの事は愛していた。
だが、ほろ苦くも優しい思い出として、心の中で整理がついている。
二十五年という歳月はそれ程に長い。
「どうしたの?」
視線に気づいたサクヤが振り返る。
「いいや、なんでもない……」
二階には遠方からの参拝者用に宿坊が設けられている。
王宮に隣接するこの神殿への参拝は、ある程度以上の身分が求められる為、宿坊とは言っても相応の設えが施されている。
一番奥の部屋の前で女性の神官が一人が待っていた。
参拝者をもてなすのも、神官の仕事の内である。特に王立セレス神殿の神官は、出来ないことは無いのではないかと疑うくらい、あらゆることに長けている。
アトラスが薪割りなんてできるのも、ここでの幼少期での生活に起因する。
「俺は私室にいる。何かあれば呼んでくれ。場所は……」
「この真下辺りね」
「……知ってるんだったな」
複雑な思いを一つ残して、アトラスは階下に消えた。
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