□月星暦一五八五年六月⑮〈レイナ〉
□マイヤ
□マイヤ
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少し悪戯っぽい微笑。気を使わせまいと吐いた下手くそな嘘。サクヤが浮かべたその表情をマイヤは知っている。
今度こそ、マイヤが呆気にとられた。
「……サクヤさん。あなたは、ご自分が母の生まれ変わりだと主張したいのではありませんの?」
「そう、信じていたこともあります」
サクヤは語る。
「実際にレイナの見た景色、彼女が生きた場所に来てみて、分からなくなりました」
ふぅと、サクヤは息を吐いた。
「懐かしいと感じたわ。知っている景色に感慨深いものがある。でも、竜の背で感じた潮風もこの地のむせかえるような緑の匂いも、この城の重厚感も初めての感覚です。……私は、この空気を知らない…」
「サクヤさん」
後ろ半分は嘘である。マイヤが嗜めるとサクヤはきまり悪そうな顔をした。
「陛下相手に嘘は無駄でしたね」
そう口にして、サクヤ不思議そうに「何故そう思ったのかしら?」呟いた。
サクヤの知るレイナにとって、マイヤはまだ巫覡ではない。マイヤが巫覡であることをサクヤは風の噂では知っていても、どんな巫覡なのかまでは把握していない。
マイヤは、興味深く頷いた。
「では、あなたは母を、『レイナ』をどうお思いになりますか」
「莫迦な女……」
サクヤは低い声で呟くように答え、ハッと顔をあげる。
「ごめんなさい。お母様のことを……」
「良いのです。続けて」
「……」
続けてと言われてすんなり続けられるものでないとサクヤ。
だが、マイヤの逃すまいと言う視線に、ため息をつきながらサクヤは口を開いた。
「……レイナは元来、好奇心旺盛で奔放で自分の心に正直な人でした。心の赴くままに城を抜け出して一人月星に行ってしまうような。お互い何者でも無い者として、アトラスと旅をした五年間は夢のような時間だった。そんな宝物だった時間なのに、自分がそうであった為に国が民が苦しんだと、いつしか罪悪感にすり替えてしまった」
レイナが不在の五年の間に、次兄が狂った。母王と王位継承者の長兄を弑逆し、暴君として君臨。国は傾いた。
「あの次兄が道を誤ったのはレイナの所為では無いのに、兄の心が弱かっただけのことなのに、彼女は自分の所為だとはきちがえてしまった」
「あなたはレイナは幸せではなかったとおっしゃる?」
「幸せだったわ。腹が立つ位に幸せだった。でも、幸せ過ぎることにも罪悪感を持った莫迦な女。兄の過ちを償おうという志しは立派だったかも知れないけど、それで自分を押し殺して、向かない王様業を頑張りすぎて、寿命を縮めるような……」
その口調はどこか自虐的にも聞こえた。
「失ったからこそ、いえ、違うわね。手にしていない私だからこそ分かることもあるということよ。自分がどんなに幸せだったのか、見失っていたの。アトラスにさえ、罪悪感を持つような」
サクヤの言い分は、単にレイナとの意見の相違を示すのではなく、愚かな過去を諫めるようだった。
苦笑しながらも、マイヤは頷く。
「母の……レイナの記憶を持つというのは、本当のようですね……」
サクヤの感情は別として、その言動には普通では知り得ない情報が含まれていた。
少女の時分にレイナが月星に『自ら』行ったということを知る者は限定される。
公には当時の王セルヴァが事態を予見し、昔の伝手を頼って月星に逃がしたことになっている。その盟約に従って、アトラスがこの国に送り届けたというのが、一般に知られている史実だ。
アトラス自身も失踪中の身の上だったことは、月星との取り決めで伏せられている。
知らなければ、『何者でも無い者』という言葉は出てこない。
お読み頂きありがとうございます。
サクヤの情報には何故か、夢で《《見ていない》》ものも混ざっているようです。




