□月星暦一五八五年六月⑩〈諦め〉
□サクヤ
領主邸の執務室の扉をばたんと乱暴に開け放ち、どかどかと執務机の前まで来るや、サクヤはシモンを睨めつけた。
「兄さん。なんで夢のこと、アトラスに話しちゃったのよ」
「言っちゃいけなかったのか。ごめんな」
動じず、サクヤを見るシモンの目は優しい。書きかけの書類を脇に除け、聞く体勢を取る。
「いきなり言えば、拒絶反応が出るに決まってるじゃない」
文句を言いつつも、それが八つ当たりであることをサクヤは自覚していた。
だが、やり場のないもやっとしたものを、吐き出す術が他に思いつかなかった。
「父さんだって、母さんだって信じてくれなかったの、兄さんだって知ってるじゃないの!」
まくしたてるサクヤの言葉を、それが理不尽な文句であろうともシモンはじっと聞く。聞いてくれる。昔からそうだった。
「だから、頃合いを見て話そうと思っていたのにっ!!」
いきなり話してもアトラスは信じない。すぐさまレイナが生まれ変わってきたのかというような反応で信じるなら、それはアトラスではない。
アトラスという人間は、自身が納得せねば信じない。逆に納得さえすれば、御伽噺ですら信じる。
そういう人間であることをサクヤは知っている。
「そうか。アトラスさまには認めて貰えなかったか……」
サクヤが理解されないと泣く度に、慰めてくれるのはシモンの役割だった。
「でも、良かったじゃないか。せめて、伝えられただけでも。本来ならおいそれとお会いできるお方では無いのだから」
かつて並びなき王国と言われた大国月星。
内戦の折、王の一子として女神の代弁者とされるタビスの証しを持って生まれたアトラスは、長じて終戦の英雄と讃えられた。
後にこの国の王配となるが、女王が身罷ると月星に戻り、以来現在に至るまで、何か重要な使命を持って各地を巡っていると伝えられている。
地方の一領主には、雲の上のような人である。
「そんな方を我が家にお招きできた。おまえも良い思い出が出来て良かったじゃないか」
『最後に』
サクヤはシモンが飲み込んだ言葉を察して歯噛みする。
「兄さん!」
シモンの諦めてしまっている眼差しにカチンときた。
「だけどな、サクヤ……」
「言わないで!」
この先は何度も兄妹間で繰り返してきた堂々巡り。
遮って、サクヤはくびきを返す。
「兄さんは人が良すぎるのよ。どうして、せっかく『そんな方』が居るこの状況を、活用しようとは思わないかなぁ?」
開きっぱなしの扉の先に、気まずそうな青灰色の瞳があった。入る時機を逃したのが伺える。
「そう思うでしょ、アトラスさま!」
サクヤが声をかけると、苦笑いでアトラスは執務室に入って来た。




