■月星暦一五八五年六月⑨〈意図〉
小高い丘の中腹にフェルン領主の館は建っていた。
上まで丘を登ってみると、海から拭き上げる風が強く頬を打つ。
島の西側には、海を挟んで竜護星本土の、ファタルに次いで大きな港街カイがよく見えた。
フェルンの港は、元は本土のカイの港とを行き来する連絡船と漁港としての用途しかなかっただろう。むしろ島の丘陵地での農産物の方に重きか置かれていた。領主邸が港街の中で無く丘にあるのもその名残だろう。
だが、時代は変わる。
海上交通が発達し、ファタルを出た船は島を一周する形であらゆる物資を地方都市に運ぶようになった。港は整備され、以前は馬車で運ばれていた荷も船が使われるようになる。
中継港であるカイは、フェルン島のおかげで強風や荒天が遮られ、使い勝手の良い港になり発展した。
対岸にあるフェルンの港も、入港待ちの船の退避場所として需要ができ、発展していった。
船が入れば当然やり取りが始まる。商人が入ってくる。
今や領主邸のある場所よりも港街の方が賑わいを見せていた。
島の東側は断崖になっており、船は着けられない。
海の向こうには隣国朱磐星がよく見える。
今ほど国同士の仲が良くは無かった時分には、牽制と防衛の意味合いもあっただろうことが伺える。
このまま立ち去ろうとアトラスは思った。
フェルター家の現状はマイヤに伝えれば、然るべき人材が投入され、商人の件は検められ、改善がなされるだろう。
それで終わる。
暫く海を眺めていたアトラスだったか、竜を呼ぶ気にならなかった。
いつまでたっても踏ん切りがつかない。
「はあぁ………。ったく!」
特大のため息が出た。
領主の窮状をなんとかするーーそれだけの為にわざわざアトラスが呼び出された筈が無いのだ。
ユリウスが姿を見せた。それが物語っている。
月星暦一五七三年の夜の一件以来、一方的な指示しか寄越さなかったユリウス。
そのユリウスがサクヤの前に姿を現して、アトラスが来ることを報せた。
アトラスに来るよう、マイヤを経由して示した。
アトラスはその意図を考えねばならないということだ。
サクヤはレイナの記憶を夢に見ると言う。
それは違うとアトラスは先ず思った。サクヤはレイナの記憶を自発的に見ているのでは無く、ユリウスに見せられているのだと考えた。
ユリウスは常々、受信者として優秀な巫覡に、未来を見せてきた。
不確定な未来を見せられるのならば、過去を見せることも出来るのではないかとアトラスは推測した。
ユリウスは適当な受信者にレイナの記憶を送りつけ、自分はレイナだと思い込ませた人間がサクヤなのだというのがアトラスの見解だ。
ユリウスは、自身の為にしか動かない。
人間で無いユリウスには、人の心も都合も解らない。
一方で、もしかしてと思わない訳では無い。
サクヤが時折見せる表情に思わず見入った。素通りできない眼差しに目が惹かれた。笑い方が重なって見えて戸惑った。
シモンに理由を聞いて、納得してしまった自分も確かにいる。記憶があるというだけで、同じ様に笑えるものだろうか。
判断がつかない。
「今更、どうしろっていうんだ……」
レイナは亡くなった。
アトラスの腕の中で息を引き取った。
その日から丁度二十五年。
一言で片付けるには長い歳月が経っていた。
お読みいただきありがとうございます




