□月星暦一五八五年六月③〈指示〉
□サクヤ
「サクヤ、君は俺が誰だか知っているんだね?」
サクヤが一息つくのを見計らって、尋ねる男の口調は優しかった。
「……確かに、妻は随分前に亡くしたが、知っているなら『私』が再び妻を娶れるような立場でないことも解るだろう?」
「それは……」
知っていたと、サクヤは首肯した。
「アトラスさま。わたしはあなたに会いに来ました」
乳黄色の髪。長い睫毛の下で、ぐいと、サクヤはアトラスを見据える。
「サクヤ、君は何歳だい?」
「十八歳です」
この歳で独り立ちしている人間はいる。家庭を持つ者も珍しくない。
だが、アトラスはサクヤの身なりに目を止めて、考える素振りを見せた。
サクヤが纏うのは実用一辺倒な旅装束だった。形は若干古く、華美なものではないながら、そこそこ上質な素材のしつらえである。
「君には保護者がいるね?」
サクヤの立ち居振る舞い、姿勢の良さなどから、どこか育ちの良さを感じられると、アトラスは言う。
「……兄がいます」
「では、このまま君を連れて行ったら、俺は誘拐犯だな」
サクヤの、カップを握る手にぎゅっと、力がこもった。
「例え、君の望むように雇うにしても、保護者の許可を求めないわけにはいかない」
アトラスの言うことは至極全うだった。
反論できずにサクヤは俯いた。
「……私がここにいることも知っていたね」
「はい……」
アトラスが現在も実在すると知ったのは数日前。
「現状を悲観するなら、会えと言われました。今日この日、この場所でなら会えると……」
それこそ伝説級の人物がわざわざサクヤに伝えに来た。
サクヤに迷いは無かった。
ただ一言を言うために、ここまで来た。
その為だけに、置き手紙一つ残して夜更けに家を抜け出してきた。
「ユリウスか?」
おそらく、とサクヤは首肯する。
「その人は名乗りませんでしたが、人間離れした容姿……あんなに鮮やかな青銀の髪に紫の瞳の人が他にいるとは思えませんから」
アトラスは盛大に溜め息をついた。
「あいつが、自ら姿を現して来たのか……」
ユリウスがわざわざ寄越した娘を無碍にするわけにもいかない。あからさまにそうと判る態度でアトラスは立ち上がった。
「送ろう。先ずは君の保護者に会わせなさい。話はそれからだ……」
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