□月星暦一五七三年六月⑨〈タビスの真相〉
□視点マイヤ
「本来タビスとは、女神ではなくユリウスに選ばれた者を指す言葉だった」
アトラスはマイヤに、とても月星の人間には聞かせられない爆弾発言をした。
右手に麦、左手に剣を持って描かれる女神セレスティエルと、魔物退治の剣を携えて語られるユリウスは恐らく長い年月の中で両者は混同され、タビスの意味も取り違えられてしまった。
通常タビスは月星王家が保護する為、自由に外を出歩く事が出来ない。剣を手にする資格を持った者が現れなかったのも説明がつく。
だが月星を出奔するという、規格外のタビスが現れた。だから、アトラスは剣を手にできたのだという。
「断定で語るのですね」
マイヤの言葉に、アトラスは非常に渋い顔をした。
「ユリウスに聞いた」
投げやりに、怒りさえ含む声音でアトラスは続ける。
「ユリウスが昔、竜護星出身のある男と盟約を結び、その証に男に刻印を刻んだそうだ。月星の始祖ネートルが竜で舞い降りたその男をタビスと誤解した。以来、刻印を持つ者がタビスだと人は解釈した。それが真相らしい」
「たしか、アシエラを救う為に禁を犯して追放された竜護星の青年がいましたね」
マイヤは昔読んだ歴史書の記憶を辿る。
「その方なのでしょうか」
「かもな」
アトラスは不機嫌に鼻を鳴らした。
「俺は刻印を持って生まれてきた。だからそいつの代わりに盟約を果たせ、そういうことらしい」
アトラスは突然テーブルの上のナイフを手に取ると、刃を指に押し当てた。
「いきなり何を!」
ぷつりと皮膚が破れ、玉状の血が浮き上がる。
「マイヤ、見ろ。俺の血はまだ赤い」
アトラスは血が滴り落ちる前に掬い舐めた。
「ちゃんと血の味だ。刃物で切れば傷ができる。強打すれば骨は折れる。打ち身は青痣になるし、これで胸を突けば死ぬ」
ナイフを見つめるアトラスの喉から乾いた笑いが漏れた。
「俺は、ヒトだ……」
アトラスは少し泣きそうな顔をしていた。
「俺はヒトを辞めるつもりはない」
「お父様……」
マイヤにはこんな時どんな言葉をかければいいのか判らない。
難解な交渉はいくつもこなしてきた。大抵の場合は道筋が視えていたから、どんな言葉を言えばいいかは考えなくて良かった。
視えないアトラスとの会話は面白いが難しい。こんな時、レイナだったら何を言うのだろうか。
とりあえず、マイヤはナイフを握ったままのアトラスの指を解いた。
指に触れた瞬間、輪郭が定まっていない映像が脳裏に浮かんだ。
半透明の刃の剣を間に向かい合うアトラスとユリウスの姿。それだけだったが、マイヤにはユリウスの意図が解ってしまった。
盟約の意味を知った。
なんて不器用なのだろうと、ユリウスの想いを思うと涙が溢れた。
「どうした?すまん、驚かせたか」
「小さな子供じゃないんですから」
慌てるアトラスに、マイヤは笑うことで誤魔化した。
これはマイヤの口から伝えるべきことではない。
アトラスが自分で見つけなければならない答えだ。でないと、あまりにユリウスが不憫過である。
アトラスはマイヤに厳重に口止めをし、マイヤも了承した。
とても他言できる内容ではない。
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