■月星暦一五七三年六月③〈昼食〉
サンクに案内されたのは、マイヤが休憩時などに個人的に使うことが多い居間のひとつだった。何かあれば呼んで下さいとサンクは扉の前で下がっていった。
人払いがされた部屋の卓に、マイヤが一人席に着いていた。
卓の上には、薄くスライスされたパンやピタが大きな皿に山積みにされている。
生ハム、ソーセージ、蒸し鶏を割いたもの、燻製鮭など、肉類やゆで卵が一口大に薄切りにされ、干しトマトやピクルス、香草や薄切りした玉ねぎなどの野菜類もそれぞれ別の皿に盛られていた。
小鉢にはチーズやマスタード、豆ペースト、オリーブオイルやトマトソース、香辛料の類が並べてある。
好きな具材を好きなだけパンやピタに挟んで食べる献立。これならば給仕も要らない。
マイヤはアトラスが席につくと、ティーコゼーで保温された
紅茶を手ずからカップに淹れてくれた。
「心配をかけて済まなかったな」
「まったくですよ」
マイヤは呆れた顔で応じ、並べられた食材を示した。
「お腹が空いたでしょう?先ずは食べましょう」
改めて言われると、腹が空腹を訴えた。
ファタルの食堂で摂った夕食は一昨日の夜ということになる。腹が空くわけだ。
アトラスは抗わず、食事に手を伸ばした。
野菜は夏ではないので、保存用に加工されたものばかりだが、挟んで食べるには組み合わせによっては却って味わいが深くなる。
様々なものが枯渇した身体には塩味が効いた生ハムが美味い。燻製鮭もハーブが効いていてパンによく合う。淡白な味付けの鶏肉も、香辛料を加えてトマトソースをかけるといくらでも入りそうだ。ピクルスの酸味も身体に沁みる。
人心地つき、紅茶のお代わりを飲み干すとパンの山が半分以上減っていた。マイヤの四、五倍の量は平らげていた。
よっぽど腹が空いていたらしい。
※※※
腹が満たされ、頭が回ってくると、一昨日の夜のユリウスの行動を考える余裕が出来た。
店に呼びつけられた時は頭に血が上っていたから思い至らなかったが、冷静に考えればユリウスにはあの様な店しか選択肢が無かったのだ。
レイナと旅をしていた頃から四十年近くが経っている。
治安維持と難民把握の観点から、街の移動には領主等が発行した旅券が必要となっていた。宿に泊まる際にも旅券と照らし合わせた記帳が必須となっている。
神出鬼没なユリウスのことだから、街の門は搔い潜れようが、記録の残る宿の記帳は誤魔化せない。
個人情報の隠匿がむしろ必須の『娯楽』目的の店ーー大っぴらには『宿』を名乗れないーーしか、身分証明の出来ないユリウスは使えなかったのだと推測できる。
あのような場所に呼び出した理由は、そう考えることで納得できた。
では、なんであのようなことをしたのか。
恐らくユリウスも考えていなかった展開だったのだろう。
イディールの姿にアトラスが拒否反応を見せたこと。次にレイナの姿とろうとしたことに激昂したことが既に計算外。ユリウスは、まさかアトラスが殴りかかって来るとは思わなかったに違いない。
お互いに冷静でいられなかった売り言葉に買い言葉。
破けたシャツの合間から見えた傷跡に、その多さにユリウスは驚愕していた。
アセルスのことを罵っていたから、結果的に死ななかったとは言え、道具として扱われ、常日頃死地に追い込まれていたアトラスの少年時代を察したのだろう。傷跡を消したのは、アセルスの元にアトラスが渡るよう仕向けたユリウスなりの罪滅ぼしだったのかも知れない。
方法は迷惑千万極まりなく、到底許せるものではなかったが。
腹立たしいほどに、妙に満足した顔をしていたから、過程はどうあれ、ユリウスの目的も達成されたのだろう。
ユリウスは礼とばかりに、こちらが求めていた情報もいくつか残していった。
※※※
アトラスは食べる手を止めて、刻印のある右腕に目を落としていた。
視線を感じて顔を上げると、マイヤが神妙な顔をしてこちらを見ていた。
「そろそろお話を始めてよろしいでしょうか?」
どうやら、お小言時間が始まるらしい。
お読みいただきありがとうございます
オープンサンド、美味しいですね。マイヤもこういう気軽な食事は好きなようです。
人物紹介
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ピタはケバブなどに使われる、円形で中に空洞があり、ポケットのような形をしたパン。空洞の中に具材を入れて食べます。月星伝来設定です。




