■月星暦一五四一年七月⑲〈目覚め〉
何かが去る気配。
ほぼ同時に瞼が軽くなったような気がした。
急激に覚醒する意識。
もっと、感じていたかったぬくもりの名残を覚えながら、重い瞼を無理矢理開く。
夢を見ていた気がするが思い出せない。
懐かしい声を聞いた気がした。
目に飛び込んできたのは知らない部屋。知らない天井。
状況が判らない。
(ここは、何処だ?)
体を起こしかけ、腹に言いようのない激痛が響き、声に鳴らないうめき声が漏れた。
(何だ、この痛みは?)
戸惑い、荒い息を吐きながら、再度起き上がろうと努めたが、怒鳴り声に近い制止が戸口の方からかけられた。
「何をやってるんだ」
鳶色の髪の少年が駆けつけ、身体を支えてくれた。
自分の息遣いで扉の開く音には気づかなかった。
安堵感を隠し切れない顔の彼はハイネ・ウエルト・ブライト。
(そうだ、思い出した)
自分はこの少年を庇って刺されたのだ。
あの娘に幼馴染を殺させてはならないと、そう思ったら体が動いていた。
「アトラス、君は死にかけて、三日間目を覚まさなかったんだ」
苔色の瞳が気まずそうに見つめてくる。
ハイネの手を借りて身体を起こすと息を整える。
ハイネはすぐさま追加の枕を背中に挟んでくれた。
「……俺は、生きてるんだな」
それは、レイナが上手く事態を収拾したことを意味する。
「そうだよ。祖父が必死に手当したんだ。絶対死なせやしないって……」
「モースが?」
「祖父は王族直属の医者でもあるんだ」
ブライト家は医術に通じる家系だった。
この由来は、竜護星の始祖アシエラの時代に遡る。
当時、巫覡としての彼女に病の悩みを打ち明ける者も多く、村の長老だったブライトがその治療を受け持ったことに始まるという。
説明するハイネは視線を彷徨わせていた。
自身の不注意が隙を与えるきっかけを作ったと思わずにいられない心中がにじみ出ている。
アトラスとしては、命を落としていても悔いはなかった。
仕方がなかったと割り切れたというのが本音だった。
かつて自分が殺めた者達を考えれば、尚更……。
否。
もし、死んでいたらレイナは罪の意識に苛まれるだろう。悔いるだろう。責めるだろう。
アトラスが故郷月星を出てきた理由に一つは、人の命を奪ったことを戦さでの行為だから仕方がなかったと、殺らねば殺られていたのだからと、正当化することが出来なかったからではなかったか。
レオニスの言葉を借りれば、『故に、逃げてきた』のだ。
自分が死んでいたなら、その責をレイナにも負わせたことになる。
「とにかく、祖父を呼んでくるから」
部屋を飛び出そうとする少年を腕を、アトラスは掴んで引き止めた。
「アストレア、連れてきて。泣いているのだろう?」
やや、間があった。
ハイネの確かめる様な視線が向けられる。
無言で頷くアトラス。
ハイネは一瞬痛みをこらえるような顔をし、部屋を出ていった。
小噺
ハイネ:初めて飼った猫の名前 ブラウンタビー、緑の目のメインクーンでした。
ブライト:猫の『ハイネ』の血統証上の名前




