■月星暦一五四一年七月①〈入国〉
転々と結ぶ島々に寄りながら、碧い海を越え南下を続けると、進むほど気温が下がっていく。
温度は北に行くほど下がるものという、親しんだ常識で戸惑う事にも慣れた頃、その街は彼らを出迎えてくれた。
港街ファタル。
領主ファルタン一族が代々治めるこの街は、竜護星の玄関に当たる。
漁業と貿易が盛んで、ファタルを通らずに物品が竜護星に流れることは無いとまで言われる。
昼間の喧騒も夕闇に掻き消された頃、メイン通りから一本入った路地に面する宿屋では、港で働く男たちが、仕事の疲れを酒で潤おしていた。
一階が食堂になっており、女主人と娘夫婦が切り盛りしている。
ほとんどが顔なじみの中に訪れた二人連れは、嫌でも目を引いた。
明らかに旅の装い。
客の視線が集中した。
この数年、旅目的でこの国に来ようなどという物好きは、いないに等しい。
「素泊まりなら一人五百アール。食事付きで五百五十。先払いだよ」
恰幅の良い女主人が給仕をしながら、声をかける。
「セレナしか持ち合わせてないのだが」
背の高い方が答えた。
年の頃は二十歳代前半だろう。始めの音を強く発音する訛りで、月星人だと判る。
「着いたばかりで両替をしていないんだ」
「一セレナは十アールだよ」
こんな時間に到着する客船はあっただろうかという顔をしながらも、女主人は快く応じる。
ファタルは貿易が盛んであるため、隣国ではないとはいえ、大国月星の通貨セレナは日常的に流通している。
青年は二人分の食事付きの料金を支払うと、そのままカウンター席に腰を下ろした。
小柄なもう一人も倣うが、フードを被り俯いたままで顔が見えない。
髪が短いので少年の様だが兄弟には見えなかった。
見計らって、女主人と良く似た体型の若い女性が食事を運んできた。
煮込んだ魚と、茹でた野菜が乗った皿が、パンと一緒にどんと置かれる。
「美味いね」
一口食べた青年が顔を綻ばせた。
煮込んでいても判る食材の新鮮さ。味が良く染みていてほっくりとした感触が口に広がる。
路地裏の安宿での味とは思えない。
「この国の名物料理なのかい?」
「ただの家庭料理さ。竜王星名物っていったらこっちだよ」
気を良くした女主人が続けて出したのは真紅の液体。
芳醇な香りが飲む前から鼻腔をくすぐる。
「葡萄酒……だよな? なんて濃厚な!」
「美味いだろう? こればかりは月星産に張り合えるよ」
「張り合えるどころか、断然美味い」
そんな会話から、青年はこの女主人の警戒を解いてしまった。
他の客たちも、いつもの世界に戻っている。
「ところであんた達は何しに来たのかい?」
「人探しだ」
意外な言葉に女主人は興味津々という顔。青年は黙々と食事をする連れを指す。
「こいつは五年程前にうちに引き取られた。親父にはイトコーー妹の子供と聞いていんだが、実際は家出して行場の無いのを親父が保護したらしい。故郷が恋しくなったというんだが、小さかったからよく覚えていなくてな。俺の親父も死んでいるから聞けない。仕方が無いから自分探し始めた」
ちょっと無理がある説明だなと、内心青年は苦笑しつつ続けた。
「この街でそのくらい前に、子どもが居なくなったといった話は無いかい?」
「行方不明者なんて、毎年わんさか出る。首都へ行って帰ってこない連中なんてざらだろ」
酔った呟きが聴こえた。
声の主を探そうとした青年を遮るように、串焼きが乗った皿が前に置かれる。
「……この国で身元のはっきりしている行方不明者といったら、姫さんくらいよ」
若い女性店員が囁く。
出入りの多いこの街で、人探し自体が無茶な話だと、女主人は笑った。
「やっぱり他の街をあたるかね」
「だったら両替してきな。セレナ通貨が使えるのはこの街だけだ。特に、首都アセラへ行けばレートも悪くなるし」
そこまで言って、はっとした顔で女主人は声を潜めた。
「でも、アセラの街には行かない方がいい」
青年は、視線だけでどういうことかと尋ねた。
「いやね。娘夫婦もアセラの街で宿屋をやっていたんだがね、あんまり酷いから呼び寄せたんだよ。前の王様の時は良かったんだけど……」
店内の声が止んだ。
一様に聞かなかったふりをする。
「お母さん」
先程の女性店員が嗜める。女主人は首を一つ振って、取り繕った。
「ゆっくり休んでおゆきよ。部屋は三階さね」
※※※
翌朝、宿を後にした二人は街を出ると、街道を逸れて人目のつかない所に向かった。
宿屋の女主人が言った言葉が青年を煩わせていた。
理由を尋ねても首を振るばかりで、ただ忠告はしたからねと奥に引っ込んでしまった彼女の瞳には、怯えの様なものが浮かんではいなかっただろうか。
「どう思う?」
青年は連れに問いかけた。
だが、返事は得られない。
声が聞こえなかったのか、連れの意識は別のところにあるようにも見えた。
その視線は青々と木々の広がる景色におかれ、風の匂い、空気の雰囲気を感じ取ろうとしているような表情をしている。
それは、何かを探す仕草にも似ていた。
「アストレア?」
再度の問いかけに、連れの少女はやっと青年の顔を見た。
「……行くよ」
少女の海青の瞳が、強い意志を示していた。
「行かなきゃ。そんな気がするの」
青年は無言で承諾した。
行く先の厄介事の気配は承知の上である。
少女の方もそれを理解した上で言っていたが、実際のところ何が起こっていようとそれは彼らにとって大した意味を持っていなかった。
肝心なのは、少女の気が向く方に行くことであり、その要望に背く理由を青年は持ち合わせてはいない。
少女には青年と会う以前の記憶がなく手がかりが極めて少ない。
この旅の目的は少女の故郷、更には家、家族を探すことである。
『イトコ』というのは方便だ。ただ、連れが少女だと色々と邪推される為、そういう説明の方が都合が良い。
五年程前に青年から『アストレア』の名をもらった少女は、彼の承諾を確認するや空に向かって鋭く二度、口笛を吹いた。
待つこと数十秒。
辺りの空気の流れが変わる。
少女の薄紅めいた亜麻色の髪も、青年の青みがかった砂色の髪もが乱される。
そして彼らの前に降り立ったのは、馬の三、四倍の体長はあると思われる白い雌の竜であった。
否。
実際は、本当に竜なのかは判らない。
一見、伝承にある竜に似ており、体格は長細くしなやかに動く。だが牙もなければ体表面は鱗ですら無い。
薄くだが体毛もあり、その色は白く見えるが厳密には透明というべきだろう。
それ故か案外器用に風景に溶け込んで身を隠すその生き物は、他に呼びようが無い為、便宜上『竜』と呼んでいる。
仮に『竜』だとして、これまでに青年が調べた知識では『竜』は地上でもっとも少ない生物の一つであった。
珍獣であるが故に恐れる者も多く、その為にか竜の方でも人類を怖がっている傾向がある。
手なづけるのは非常に難しいとされ、生態もほとんど分かっていない。
その巨体を支えるだけの翼と行ったものを持ち合わせていない彼らが、なぜ飛ぶことが出来るのかも謎である。
そんな特性を持つ(おそらく)竜を、少女はなつかせるどころか意のままに動かす。
青年が少女を見つけた時にはすでに持ち合わせていた技術だったが、あまりにも知名度の低い生き物の為、手がかりとしての比重はそれほど重くはない状態にある。
「頼むわね」
少女がその長い首に手を絡ませ声をかけると、『竜』は応じるように顔をすり寄せてきた。
いつものように少女が前という形で二人を背に乗せると、『竜』は首都アセラに向かって静かに上昇していった。
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