□月星暦一五七六年一月末⑬〈浄化〉
□視点レクス
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椅子に倒れ込もうとするバオムの身体をアトラスは支えた。流血はない。
「バオム陛下、起きてください」
アトラスは何食わぬ顔で王に呼びかける。
「アトラスさま、どういうことです!?」
ルートが抗議するが、アトラスが口を開く前にバオムが目を覚ました。
「ご気分はいかがですか?」
「ああ、私は眠ってしまったのか」
顔を上げたバオムは、憑き物が落ちたかのようにすっきりとした表情をしていた。
「とてつもなく気分が良い。こんな清々しいのは久方ぶりだ」
「それは良うございました」
「陛下、その、お身体は何ともないのですか?」
平然としているバオムに、ルートの方は面食らっている。
「うむ、『タビスの祈祷』とはすごいな。アトラス殿、感謝する」
「お役に立てて何よりです」
アトラスはバオムとルート、そしてレクスの顔をゆっくりと順に見回した。
「『タビスの祈祷』は滅多に行いません。ここで見聞きしたことは他言無用でお願いします」
「なるほど。知れ渡ったら、やってもらいたがって行列が出来てしまいますな」
承知したとバオムは晴れやかに笑い、ルートにも釘を差した。
ルートは何か言いたげだったが、アトラスの顔を見て飲み込んだ。理解はしていないだろうが、妙に腑に落ちたらしい顔をする。
バオムは笑顔のまま、レクスに向き直った。
「この度の我が国の非礼に対して、寛大な処置を賜ったことを改めて深く感謝する。アウルム陛下にも宜しく伝えてくれるだろうか」
「勿論です」
背中からの圧を感じてレクスは一つ忠告を添えた。
「今後、竜護星の巫覡の言葉には耳を傾けて下さい。マイヤ陛下が警告を出す時は、余程のことですから」
「心得た。私も今回のことで身にしみて理解した。ーー貴国とは今後は末永く、良き隣人でありたいとお伝えして欲しい」
晴れやかなバオムを前に、レクスは何とか取り繕ったまま城を後にした。
※※※
「叔父上、先程の『祈祷』はなんだったのですか?」
馬車に乗り込むや、レクスはアトラスに問いかけた。
「殿下は、魔物退治のユリウスの話はご存知てすね?」
「あの、御伽噺の?」
「先程使ってみせたのが、まさにその剣なのですよ」
レクスは揶揄われているのだと思ったが、アトラスの思いの外真摯な口調に息を呑む。
「私はユリウスに何度か会っておりましてね。魔物絡みの案件に遭遇し、件の剣を本人から預かっているのです」
『ユリウスに会ったなんて、そんな莫迦な!』言いかけた言葉をレクスは飲み込んだ。
ひたとレクスを見詰めるアトラスの青灰色の瞳の奥に、見かけ通りでは無い年月の重みを垣間見た気がした。
「……それは、叔父上がタビスだからですか?」
「そうなりますかね」
苦笑気味にアトラスは肯定した。
「では、あの王は魔物に憑かれていたとでもいうのですか?」
「完全に、ではありませんでした。生成りとでもいいましょうか。時間の問題だったでしょうがね」
最初に比べると、別れ際の王バオムは充分別人の様に朗らかに見えた。そうレクスが指摘するが、アトラスはは首を振る。
「完全に憑かれると、人格が豹変します。あの王はまだ、自我が残っていましたから」
古い魔物なら、タビスがユリウスの剣を保持していることを知っている。あの王はタビスと聞いても警戒をしなかった。魔物は意識を共有するとも言うから、魔物としても完成されてなかったのかも知れない。だから生なりという言い方をしたのだとアトラスは語るが、レクスにはいまいちそのあたりの理屈は理解できなかった。
この冬の災害に、急激に増えた不安、不満、憤懣、落胆、全てが経験の浅い王に向けられた。回らない対策。悪循環。どうしていいか、王自身も判らなくなっていた隙を突かれ、急激に成長した負の塊に飲み込まれかけた。そういうことらしい。
「後の方が元来の性格なのでしょう。つき合いやすそうな方で良かったですね」
と、アトラスはレクスに微笑んだ。
レクスはアトラスが言外に含んだ意味を悟り、息を呑んだ。
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