■月星暦一五七六年一月末⑥〈侮辱〉
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「あちらが出張ってきたもう一つの理由を考えれば、しっかり敗北をその身に刻んでもらわねば」
アトラスの怒気を孕んだ声音に、チリっと空気が震えた。
「月星は侮られたのですよ」
「その点は同意する」
アウルムが渋い顔で頷く。
「本来なら幸いなことなのだが、大きな争いが長い間無かった。軍事方面は技能が喪われ、弱体化したと判断された訳だ」
実際、縮小傾向にあったことは否めない。
月の名を冠する三隊は解体され、それぞれ近衛隊に吸収された。
軍部と名はついていても、国内の小競り合いの平定がせいぜい。街の警備や見廻りが主な仕事と言っても良い。
「加えて、タビスが不在、もしくはもう居ないという噂がが流れた」
アトラスは腹立たしげに言い添える。
「だから勝てるって? 冗談じゃない」
口惜しさを滲ませてアトラスは吐き捨てる。
「殿下、こんな戦いはいたずらに長引かせても、双方得はありません」
アトラスは王と同じことをレクスに言う。
「長引かせて、氷が溶けるのを待つという選択肢は?」
「無い!」
細い街道一本では退路がなくなると続けようとしたレクスだったが、アトラスは一刀両断で遮った。
「海が溶ければ船で物資が届けられてしまいます」
そっと言い添えたのはノース・マリ・クザン。この北の地は五大公が一人クザンの一族が任されている。
「長引かせれば、あちらは食の面から自滅しましょう。ですが殿下。一日を戦場に人を集めておくことで、どれだけ経費がかかっているか考えましたか?」
控えめに意見したのはかつて軍部統括をしていたヴェストの孫のフランク・ウェスト・ゴーシュ。
「物資の件もあるが、冬を超えられない難民が押し寄せてくることになる。……実際、兆候はあるはずだ。そうだな?」
「はい」
いきなり話の矛先を向けられたニクスの街の警備責任者が、びくつきながら肯定する。
北の砦は関所も兼ねている。監視よりもむしろ、そちらの業務が主になっていると言っていい。
「ニクスの街の各神殿からも、すでにこれ以上の受け入れは難しいと回答が来ています」
地方の神殿は、身寄りのない者を一時預かり、自力で生活出来るように技術や知識を学ぶ職業訓練所の側面を持つ。
「いいですか、殿下。向こうは南の漁場での漁獲権が欲しい。それは最終的に期間限定で許可しても良い。無能な上層部に振り回される民は気の毒ですし、恩を売っておくのは悪くない。代わりに、譲歩を向こうから引き出しなさい」
と、それは王の仕事でしたかと、アトラスは兄に差し出口を謝罪する。
「いや、今回はそこまで込みで倅の仕事だ」
アウルムは同行はしたものの、一切口を出さないと決めている。
「殿下、地の利はこちらにあるのです。それを最大限に利用しなくてどうするのです?」
盤上のみの兵法だけでは成り立たないことは多々ある。
「兄上、構いませんね?」
「レクス、良い機会だ。揉んでもらいなさい」
頷き、アトラスは控えていた自身の従者に声をかけ、外に待機していた者達を呼び入れた。