□月星暦一五七六年一月末末②〈覆面の男〉
軍議の為に集められた天幕内で、月星王の一人息子、レクス・リウス・ボレアデス・アンブルは苛立っていた。
「父上、今回は手出し無用という話だったではありませんか!!」
レクスは目尻をつり上げて、父である月星の王アウルムに食ってかかる。
「私の指示では無い。が、あの友軍に助けられたのも事実であろう?」
「しかし……」
「実際のところ、どうだ?膠着状態で、いたずらに兵を消耗させているばかり。打開策が必要な状況だった」
人為的に起こされた雪崩によってかき乱された戦場。
その混乱に乗じて現れた黒づくめの隊が戦線を押し戻した。そのタイミングは完璧だったと言っていい。
「お話中のところ、失礼します」
天幕の外から控えめな声がかけられた。
「件の隊の代表を名乗る方をお連れしました」
レクスは側近のオネスト・ネイトに、乱入した騎馬隊について調べるよう頼んでいた。
「入ってもらってくれ」
オネストに連れられて現れた人物の風体の異様さに、レクスは絶句した。
黒一色の装束。顔も下半分、黒い布のような物で覆われており、青灰色の目がかろうじて伺える。
身体つきや青みがかった砂色の髪の質感、目の周りの肌具合から三十歳前後位であろうことが見て取れた。
じっと男を見据えていたアウルムの顔がふとほころぶ。
「やはりお前か」
「盟約に従い、助力に参りました」
覆面越しにくぐもってはいるが、声音にも張りがある。
「助力には感謝する。だがなんだ、顔も隠し名乗りもしない。無礼であろう!」
レクスが口調を荒げたのは、アウルムには相手が判ったのが面白くなかったからかも知れない。
だが、男は泰然とした態度を崩さず、静かな声をレクス向ける。
「顔を晒しても、名乗ろうとも、あなたは納得しないだろう」
ますます眉間にしわを寄せるレクス。
「そもそも、人に名を問う時は、自分から名乗るものですよ、レクス・リウス・ボレアデス・アンブル殿下」
男は溜息を隠そうともしない。王子をフルネームで呼び、嗜めさえする。
「なっ……」
口を開きかけるレクスを右手で制し、徐ろにその腕の篭手を外した。袖を捲りあげて見せつけるように腕を掲げてみせる。
複雑な形の痣。
この意味を間違える月星人は居ない。同席していた面々から息が漏れる。
「タビスの刻印……。叔父上、なのですか?」
「こんな刻印を持っている者が他にも居たら、俺は心底同情するね」
皮肉混じりの砕けた口調。その言い回しは記憶にある。
「なぜそんなまどろっこしい真似を……」
言いかけて、レクスは父アウルムと叔父らしき男を見比べた。
二人は四歳しか違わなかった筈だ。アウルムは今年六十歳を迎えようとしている。
王の弟、レクスの叔父にあたるアトラスはここ十年ほど月星に姿を現していなかった。
刻印を授かりし女神の代行者たる『タビス』という最高位の神官でもある立場だが、月星最大の神事でもある月の大祭すら、神殿の『タビス役』が行なっている年が続いていた。
「覆面を外してください」
「晒さないままという訳には、やはりいかんか……」
叔父を名乗る男は、観念したように覆面を取った。
「どうして……?」
「俺が聞きたい」
男——アトラスは最後に会った時のままの顔で、困ったようにはにかんでみせた。
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