■月星暦一五六〇年六月⑤〈追憶〉
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ひとしきり吐き出すと、アトラスが纏う空気から険がとれた。
アトラスとアウルムは、二人して床に座り込み、壁に背を預けて、葡萄酒を瓶から直接口に含む。
応接室は暫し食後酒を愉しむ部屋になるため、酒瓶が常備されていた。
衛生面と安全面から食器の類は置かれていない。
酒瓶は封を切らねば開けられないーー一度開ければ封を戻せない為、手が入れば判るから置いておいても問題ないという理解だ。
「惜しい人を亡くしたな……」
酒瓶を傾けるアウルムの腕に喪章があることに、アトラスは今更ながら気付く。
「得難い女性程、先に逝ってしまうような気がするのは、気のせいだろうか……」
「……そうですね」
アトラスは窓からの夕陽に染まる兄の横顔を見つめた。
アウルムもまた、亡き妻を思い出しているのだと感じた。
アウルムは月星歴一五四六年、三十歳の頃に一度結婚している。
相手はスールの娘のネブラ。
月星王ともあろう者が、伴侶を得て子孫を残さない訳にも行かない。臣下に懇願され、不承不承だったとも聞いている。
政略婚というよりは、ネブラ個人との契約婚に近かった。
かつてアウルムは、自分の娘を物の様に差し出してくる家臣達に我慢ならないと漏らしていた。物の様に扱われた上に、重圧のある立場を強いられるのが解っていながら選べるものかと愚痴っていたのを、アトラスだけは知っている。
アウルムのことだから、妻となった女性には、はっきり口にしたのだろう。
「妻にしたからと言って、貴女の家が優遇されることは無い。女性陣の妬みや嫉妬から貴女を贔屓することも、護ることも出来ない。貴女を愛せるとは限らない。孤独な立場でありながら完璧を求められる過酷な地位である。それでも王妃になることを望むか」と。
ネブラは、全てを飲み込んだ上で了承した。
周りや親の思惑を欺いての結婚に合意し、アウルムにとっては良き理解者だった。そこには恋愛感情は無くとも、敬愛はあっただろう。
子はなかなか授からなかった。
実は作るつもりが無く、アトラスの息子、ウェスペルを養子に取るつもりではないのかという噂さえあった。
※※※
突然、バタンと扉が開かれた。
「おじうえ!!」
蜂蜜色の髪を振り乱して駆け込んできたのは、アウルムの一人息子、レクス・リウス・ボレアデス・アンブル。
「おひさしぶりです、おじうえ!」
「レクスさま、お話中です。邪魔しちゃ、駄目です」
息を切らして追いかけて来た少年はレクス付きのオネスト・ネイト。十六夜隊でアウルムの副官だったウィル・ネイトの息子である。
だらしない姿態で酒瓶を空けている主人達の姿に、オネストは礼儀正しく目を逸らす。
「も、申し訳ありません。レクスさま、行きましょう」
アトラスはレクスの姿から目が離せなかった。父親同士の顔が似ているせいか、レクスはウェスペルに似ている。
「……殿下、大きくなられましたね」
アトラスが両腕を広げると、レクスは飛び込んできた。
今年八歳。ウェスペルが亡くなった一年半後に誕生した王子。——噂が本当なら、ウェスペルが亡くならなければ生まれなかったかも知れない命。
誕生時に亡くした為、母親を知らない少年。母親を喪って哀しいという気持ちすら知らない少年。
子供特有の熱い体温を感じていたら、涙が溢れてきた。
「おじうえ? どこかいたいのですか?」
「……人が居なくなると、心が痛くなるのですよ」
理由のわからないレクスは、アトラスの頭を撫でる。
甥を抱きしめてむせび泣くアトラスの姿に、アウルムはほっとした表情をしていた。
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【小噺】
レクスの母親は、3章で使命を持って宴に参加し玉砕したスールの娘。アトラスより二歳年上。アウルムとはアトラスを想う同士の経略婚。例の噂はアウルムは案外本気だったかも知れません。三十四歳での初産。この世界では高齢出産で帰らぬ人となりました。




