■月星暦一五六〇年六月二日⑤〈虫の知らせ〉
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アトラスが衣服を改め終えたころ、控えめに扉を叩く音がした。
問わずとも誰だか判った。
扉を開くと、籠を持ったマイヤが居た。
目が腫れている。
「お互い、ひどい顔だな」
「そうですね」
マイヤはアトラスの装いを見て驚いていた。
鈍色に染め上げられた月星の神官服に濃い紫の帯を締めている。その上には黒地の上に黒い糸で細やかな刺繍が施された、長い薄手の上着を羽織っていた。
葬送時のタビスの正装。
それを纏う意味は存外深い。
マイヤは卓の上に籠の中身を並べた。二人分のお茶とスープにパン。
そういえば、朝食が未だだったことすら忘れていた。
「食欲は湧かないとは思いますが、少しでも入れておかないと」
「そうだな。これから、長いしな」
向かいあって、食事に手を付ける。
口に入れて、こんな時でも腹は減るのだと案外冷静に感じていた。
「すまなかったな」
アトラスはレイナとの最期の時間を独り占めしたことを詫びた。
例え娘と言えど、譲りたくはなかった。
「大丈夫です。身支度を手伝っている間に、お別れは済ませましたから」
気丈な娘に、アトラスはかける言葉が見つからない。
マイヤは十六歳とは思えない程、良く出来た娘だと、親の目から見ても思う。その歳のアトラスは、色々と抱えきれずに月星から逃げ出したと言うのに。
「お父様、午後にハイネ叔父様達がいらっしゃいます」
「報せたのか?」
それにしては、早すぎる。
「報せは飛ばしましたが、まだ着いていないと思いますが」
マイヤも訳が判らないという顔。
「虫の知らせでも働いたのだろう」
呟いて、窓の外を見やる。
雲一つない空の青が、やけに目に痛い。
※※※
マイヤの言った通り、午後になるとハイネとアリアンナが竜に乗って到着した。
出迎えたアトラスの装いを見るや、アリアンナは口を押さえて座り込み、ハイネは挨拶もせずに城内に駆け込んだ。




