□月星暦一五六〇年六月二日①〈違和感〉
□視点マイヤ
その日、マイヤは寝付くことが出来なかった。
拭えない違和感に、結局未明に母の寝室を訪れると、レイナは起きて寝台に座っていた。
起き上がるのが限界だったのだろう。座っているのがやっとという感じである。
「マイヤ、ちょうど良かった。服を着るのを手伝ってちょうだい。寝衣は嫌なのよ」
マイヤは違和感の正体を悟った。
「解りました。どれにしますか?」
「若草色のを。ほかは貴女に任せるわ」
身体の負担になる締め付ける下着は使わない。全部前開きのものを手早く選び、座らせたまま着替えさせた。
一番外側に纏った古い意匠の若草色の衣に触れて、レイナは懐かしそうな顔をする。
この衣装の由来をマイヤは聞いていた。初めて参加した月星の大祭で、アトラスと踊った時には着ていたものである。二十年近く前のものだが保存状態が良い。
当時の体型より肉が落ちた為、生地が余ってしまっている。
「服って重いのね」
呟くレイナにマイヤは頷くことしかできない。
マイヤはレイナの髪を軽く整え、紅を挿した。
見計らったような頃合いでアトラスが入ってきた。ちょっと驚いた顔をしている。
「起き、てたか。おはよう」
ーー起き上がって大丈夫なのか?
アトラスが言いかけた言葉を飲み込んだのをマイヤは気付いた。
大丈夫な訳が無いのだから、アトラスは無駄なことは言わない。
「懐かしいのを着てるな」
「貴方と朝日を見ようと思って」
一瞬、レイナの隣に立つマイヤに視線が向けられた。マイヤはレイナに気づかれないように頷いてみせる。
「じゃあ、竜を呼ぶな」
歩いていくだけの体力も時間も無い。
アトラスは白み始めている空に浮かぶ露台の方に向かった。
レイナがマイヤに向かって手を伸ばした。マイヤは駆け寄って支える。
「ありがとう、マイヤ。貴女は私の自慢の娘だわ」
マイヤは目頭が熱くなったが、まだ泣く時ではない。
「当然です。お母様の娘なのですから」
マイヤはいつもの声音で微笑ってみせた。そっと抱きしめて離れる。
アトラスが戻ってきた。露台には竜が舞い降りてくるところだった。
「こちらを」
いつの間にかペルラが来ていた。二人分の外套を差し出してくる。アトラスは手早く纏い、マイヤは受け取ってレイナの身体を包むようにかけた。
アトラスは両腕でレイナを抱き上げ、器用に竜の背に乗る。
「いってらっしゃい」
飛び立つ竜を見送るマイヤの肩にペルラの両手が置かれた。
「立派でした。もう良いですよ」
その声に、堰き止めていた涙が溢れた。
マイヤはペルラにすがって泣いた。年相応の少女の顔で、泣き崩れる。
そんなマイヤの背を撫でるペルラの瞳もまた、涙に濡れていた。