■月星暦一五四三年十一月⑩〈例外〉
ハイネを手近な部屋にひっぱり込むと、声が漏れないよう、充分奥まで行って、アトラスはやっと口を開いた。
「なんで竜護星出立前に言わなかった?」
声を潜めながらも、真剣なアトラスの口調にハイネは気圧される。
「アウルム様が倒れたのは月星でも極秘事項なんだ。いくらレイナや祖父の前でも言えないだろ」
アトラスは盛大に溜息をついた。
ハイネの言い分は正しい。
正しいが、口惜しい。
毒の治療は時間との勝負でもある。
「ハイネ、竜護星の秘薬は毒や外傷に対しては万能と言ってもいい代物だったよな」
「何で知って……。ああ、そうか。婚儀の時に説明を受けたのか」
王の配偶者が婚儀の際に口にする葡萄酒の中にそれは入れられている。
竜の血から精製される秘薬は禁忌扱い。存在自体、王家の他はブライト家と極一部しか知らない。
「いや、あれは王家の人間の為にしか使えない」
「アウルムは『王家』の人間だ」
「そうだけど、飛躍しすぎだろう。示す『王家』は竜護星、アシエラの直系とその家族だけだ。そんな例外は認められていない」
「いや、モースは『俺』の傷を癒やすのにすでに使っている」
「えっ……?」
「まだ、『《《何者でもなかった俺》》』に使ったんだ。例外はすでにある」
辛抱強くアトラスは繰り返した。
「ハイネ、『私』は誰だ?」
「いや、アトラス。月星ならタビスの一声で異例は通るだろう。でもそれを竜護星で押し通すのはさすがに……」
「違う!もう一つの肩書の方だ」
はっとしたハイネの顔。
「アトラス王子殿下……」
アウルム王には子が居ない。
王弟であるアトラスは王位継承権最上位所持者である。
「よく考えろ。この『茶番』が『茶番』でなくなるぞ」
ハイネの顔が蒼ざめた。彼は真実《アトラスの出生の秘密》を知っている。意味することは言葉以上に深い。
「解ったなら、レイナに要請してモースを説得して、薬を持って来い!出来うるならモースも連れて来い!」
「はいっ!」
ハイネは転げるように走り出ていった。
「……大変ですね」
盛大に溜息をつきながら部屋から出てきたアトラスに、タウロが気の毒そうな声をかけてきた。
「これからだろ」
先が思い遣られるとアトラスはぼやいた。