□月星暦一五三六年六月〈出奔〉
月星歴一五三六年六月。
アセルスの葬儀や内戦後処理等に追われ、書類上の王位継承は済んでいたものの、内外に向けたアウルムの戴冠式は六月にまでずれ込んだ。
アトラスはその儀式をタビスとして出席した。祝福しアウルムに王冠を授け、それを最後に姿を消した。
聖堂でアウルムを見詰めたアトラスの眼差しに、揺るがない決意を見つけた。アトラスの肚を決めた時の貌はよく知っていたから、アウルムは何も言わなかった。
予想通りだったとはいえ、寂しさを覚えずにはいられなかったが。
テネルが護衛に付き、追うものの、白の砂漠には入れずに見失ったという報に驚きはしたが意外とも思わなかった。
テネルのことは、いつかは巻くとは思っていたからだ。 驚いたのはその手段の方である。
白の砂漠には入れない。
それは歴史が証明していた。テネルがそうだった様に、どうしても足が進まない。頑張って入っても、まともに出てきた者はいない。だから禁域とされている。
そんな場所に、アトラスは平然と入って行ったというから、それがタビスなのかとアウルムですら思ってしまう。
自殺願望は疑わなかった。
この時のアトラスの精神状態ならばあり得ないことも無かったが、身一つでふらりと出ていったならまだしも、用意周到に旅支度をして行ったと聞いていたから、その線は薄いと思っていた。
案の定、程なくしてアトラスの目撃情報が入った。神殿の情報網は優秀だった。
世界各地に女神信徒がいることをアウルムはもう知っている。彼らはタビスのためならば動く。
神殿にはタビスの安全把握という名目で、情報共有を頼んでいた。
その際、決して邪魔をしないよう、可能なら便宜を図るよう、危険ならば護るよう、要請した。
連れ戻せとは言わない。それはタビスの意思では無いから信徒は従わない。
しかし、城の面々への説得は簡単にはいかなかった。
『タビスが傍らに居るということは、女神の加護があるということを示す』
アウルムもアセルスを説得しようとした時に使った言葉だが、月星ではこれもまた当たり前に浸透している概念である。
裏を返せば『タビスが離れれば、女神の加護が離れる』という解釈になる。
アトラスはアウルムの傍らに居なくてはならないと、強固に主張したのがネウルス・ノア
ワ・クザンだった。
ネウルスは、アトラスの捜索隊の編成を要請してきた。
アウルムが王になったことでネウルスは腹心になった。変な言い方だがそれが事実だ。
ネウルスは従兄弟で幼い頃から知った仲だが、彼は『王』には忠実な男である。 人ではなく肩書に尽くすネウルスは、王になったアウルムを裏切らない。
だからこそ、ネウルスには神殿の情報網のことは話せない。
知っていて黙認する神殿のタビスに対する考え方は、隠蔽とネウルスの目には映り、王家に敵対の意思ありと判断してしまう。
神殿のことを話せない以上、やむを得ず、捜索隊を編成し、『見つけ次第月星に送れ』という矛盾した布令を出した。
タビスを神殿が護る以上、アトラスは決して捕まらない。徒労に終わると判っており、時間と人件費の無駄遣いでしか無いのに出さねばならない命令。
王という肩書も案外ままならない。
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