□月星暦一五三六年二月⑭〈礫〉
ぽつん。
石が投げられた。
ひとつ、ふたつ、そしてばらばらと。
いくつもの礫がアセルスに向けて投げられる。
驚いた馬が嘶き、後ろ足に立った。アセルスが落ちる。
馬はアウルムを飛び越えて、尚暴れた。
円状に後退る民衆。
気付いたタウロか走り寄り、手綱を取る。巨体と筋肉の全てで馬を抑え込んだ。
アウルムが頭を上げると、妙な沈黙が漂っていた。
腕の中の少女が、泣きながら神殿の方に走っていく。
「ご無事ですね、アウルム様」
タウロが肩で息をしていた。
「助かったよ、タウロ。私は大丈夫だ」
立ち上がり、アセルスに目を向けた。
土の上に倒れたまま動かないアセルスは、首が妙な方向に曲がっていた。頭は血溜まりに沈み、触れずとも息がないのが判った。
思わず、タウロと目を合わせた。タウロも複雑な顔をしている。
大神官と三人、額を突き合わせて慎重に計画を練っていたのが馬鹿馬鹿しくなるほど、呆気ない。
「石を投げた者は誰だ? 捕らえろっ!」
呆けていたアセルスの護衛が思い出したように叫ぶ。
「捉えずとも良い!」
アウルムは怒鳴った。
「しかし、殿下」
「馬が蛇に驚いたのだ。それで陛下は落馬し、落命された。それが全てだ」
はっきりと、皆に聞こえるように、有無を言わせない口調でアウルムは言い切った。
「加害者はいない」
「しかし……」
言い淀む護衛達を!アウルムは睨めつけた。
「でなければ、恨みを買って礫を投げられ落馬して死んだ間抜けな王と報告するぞ。歴史書にそう記載された方が良いならな」
アセルスの護衛たちは押し黙る。
アウルムは、今一度アセルスを見た。
何の感慨も浮かばなかった。哀しみも喜びも無かった。
父親だと認識はしていたが、抱かれたことも、何か手ほどきを受けたことも無い。その関係に愛情など無い。ただの符号に過ぎない。
アトラス程露骨では無かったが、アウルムもまた道具としてしか見られていなかった。
アウルムは自身の外套をアセルスに無造作に掛けた。
「いつまでもご遺体を晒しておくな。お運びしろ」
立ち去るアセルスの護衛達の背中を見ていたら、溜息が漏れた。
「アウルム様、大丈夫ですか?」
「タウロ、笑ってくれ。正直ほっとしているんだ」
アウルムは、自ら手を汚さずに済んだことに安堵する己にあさましさを感じていた。
アトラスがライネスを討った行為を罪とするなら、同じものを背負う覚悟でいた筈なのに、だ。
「それで良いのです。そんなもの、進んで背負うこたぁ無い」
アウルムはタウロを見上げた。アトラスがこの男に信頼を置くのも解る気がする。
「お前、良いなぁ。私も欲しい」
「駄目ですよ。わたしは隊長のものですから」
「それは、そうか」
タウロと話していたら、ささくれだった心が落ち着いて来た。
得難い男である。
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