□月星暦一五三六年二月⑧〈根幹〉
「タビスは女神の代弁者。その言葉は女神の言葉とされ、時には王の言葉すらも覆す。そんな者を傍ら置いておくどおりは無いだろう。戦いは終わったのだ」
「……タビスが傍らに居るということは、女神の加護があるということを示します」
アウルムは細やかな抵抗を試みるが、アセルスは意にも介さない。
「だから困っているのだ。戦いが終わればジェイドの血筋を生かしておく必要もないから消えてもらうつもりだった。だが、向こうの王がああやってタビスに討たれた為、あれが英雄になってしまった。さすがにそれでは手は出せん。もしやそこまで考えてライネスは敢えて討たれたのか……」
アセルスは顎に手をやって考える素振りをする。
「とはいえ。ジェイドの種を残しておくわけにもいくまい。処置をして神殿に飼殺しにするか」
アウルムは怒りで目の奥が赤くなった。
必要が無くなったから、消そうとしていたと言った。案の定だ。
それが適わないから終戦の立役者に対して、婦女暴行の罪人にする仕打ちを施すーー男の大事なものを奪うと言外に言っているのだ。
「……ご自分で王子にまで据えておいて、あんまりです」
「女神と結婚したとでもしておけばいいだろう。敬虔なタビスだと世間は納得する」
アウルムは仄暗い瞳でアセルスを見つめた。
アンブル派だとかジェイド派だとか、どうでも良い。
実の弟で無かったと聞かされても関係が無い。
ただ、アウルムはアトラスという人物を一人の人間として一目おいていた。タウロには過度な弟想いと揶揄されたが、実際あの存在が愛おしい。
アトラスが女神の刻印と言われるタビスの証を持って生まれたことにどれだけ苦しんできたか知っている。
その肩書に見合う技量を身につける為に血を吐くような努力をしてきたのを知っている。
アセルスは一番目の届くところでと、息子として育てたと言った。
そのくせ、一体何を見てきたというのだ。
アトラスが自分の意思で『女神の威光』を使ったことが無いことに気付いていないのか。
王子という肩書を持ちながら、王位には全く興味を示さない謙虚さ。
純粋に王とアウルムを慕い力になろうという在り方。
その全てを否定するというのか。
その人柄も信じられないというのか。
「……他に知っている者は?」
込み上げる怒りを意思の力で封じ込め尋ねる。
アウルムは情報収集に努めることにした。
「今は王妃のみだ。関わった者は全て処分したに決まっておろう?」
アセルスは当たり前のように言い捨てる。
本当に人を道具としか思っていない。
「それを聞いて安心しました」
思いがけず冷たい声が出てしまった。
気をつけねばならない。
アウルムは自分のことも、アセルスにとっては後継者という道具以上の価値がないことを、唐突に理解した。
判っていたが解っていなかったことを思い知る。
不要と思えば簡単に捨て去り、まだ十三歳でもアリアンナを立てるのは想像に難くない。
アウルムはアセルスの杯に酒を注いだ。アセルスはだいぶ酔いが回っている。
「敗北が決まっていたジェイド派を、そこまで執拗に潰す必要はありましたか?」
酔ったふりをしてアウルムは尋ねてみた。
「ジェイドはアンブルの罪の証。存在する限り安心して眠れん」
「はい?」
意外な言葉が出てきた。
「罪?」
「そうだ。あちらが直系だからだ。曾祖父モナクの遺言を曾祖母はーーアンブルの母親のバシリッサは捻じ曲げた。本来選ばれたのはジェイドだった」
「アトラスへの当たりがきついのも、それが理由……?」
「わしはあれが気味が悪い。疑いもせずに見上げて来る瞳が、命令もがむしゃらに遂行する在り方が理解できん。アンブルの罪を責められて居るようで恐ろしくもある」
「……なるほど」
妙に腑に落ちた。
臆病な男だとは思っていたが、根幹をやっと垣間見た気がした。
即ち、己の血が劣っているという劣等感。
馬鹿馬鹿しい。
資格が無いと思うなら、そんなもの最初から手にしなければ良かったのだ。
この身勝手な男から弟を護ってみせる。アウルムは固く心に誓った。
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