死にそうだけど生きのびた、けど、もっと死にそうな人が目の前に
早朝五時。日もまだ昇らぬうちから私の一日が始まる。
国と教会に『聖女候補』として選ばれたが、生まれが平民であるため貴族から選ばれた聖女達のように優雅には暮らせない。
普段は教会で暮らしているため似た境遇の子達と一緒に、水汲みや掃除、食事の支度などをしている。これはいい。働くことは嫌いではないし、教会に恩もある。一緒に働いている子達も弟、妹のように可愛くて楽しい時間を過ごしている。
憂鬱なのが『魔物討伐』の旅。
これが最低最悪の旅で、全日程通して休みなく働きづめとなる。
魔物討伐の旅は第一王子主導で行われ、同行者は勇者と呼ばれて何かを勘違いしている偉そうな男と、聖女とは名ばかりのわがままで高慢ちきな貴族令嬢と、魔法が使えること以外に取り柄のない陰気な魔法使い。
もちろん第一王子も外見以外で良いところを見つけられない温室育ち。
戦いに関しては高い能力を有しているが、それ以外が壊滅的。
新鮮な肉が食べたいとか(勇者)、朝はフルーツがなければ駄目だとか(聖女)、布団で眠りたいとか(王子)、八時間眠らないと肌の調子が悪いとか(魔法使い)、知るか。
『ソニア、ぐっすり眠れないからハーブティーをいれてくれないか?あぁ、茶葉は王宮から持ってきているよ。ソニアのために取り寄せたんだ』
って、そもそもお茶を入れさせるな、水で我慢してよ。
『ほら、これ使えよ。肉がうまくなる調味料だよ。いろいろ買い揃えてやったんだから、毎回、調理方法とか味を変えてくれよ』
野営料理でそんな贅沢できるか、自分では肉も焼けないくせに。
余計な荷物を増やすな、誰が持つと思っているんだ?
他にも、顔がむくむとか、寝ぐせが直らないとか、化粧のノリが悪いとか、心底、どーでもいーわっ。
野営しているんだから、気にするのはそこじゃないだろう。
夜の警備を誰がしているのか…とか、食事の支度を誰がするのか…とか、すこしは考えて協力してほしい。
協力できないのなら、黙って待っていろ。
口には出せないが、心の中では罵倒の嵐が吹き荒れている。
この人達と旅をするようになってから、とても…、とても言葉遣いが悪くなってしまった。
旅には騎士団の方達や下男、下女も同行しているが、この四人、外面だけは完璧で、他の人達にはにこやかに『無理をしなくていいから』と頼まない。
いや、頼めよ。騎士団は少ない時でも五十人、下働きや荷物運びは騎士十人に対して二、三人いるのだから、そっちにも頼んでくれ。
何故、すべて私にやらせる。
最初の頃は『高貴な方達からの依頼だから』とできる限り希望に添えるように頑張っていた。
王子は金髪碧眼で麗しいし、聖女様は銀糸の髪に紫の瞳で神秘的な美少女だし、勇者は赤い髪の凛々しいイケメンだし、魔法使いは黒髪ロングの似合う美青年だったからっ。
茶色、こげ茶、時々、栗色…の世界で生きてきたため、その圧倒的ビジュアルに気圧され、断れなかった。
しかし、美男美女も何度か会っていれば慣れる。
断るタイミングを逃し続けた結果、四人のお世話係になっていた。
本来の仕事は騎士団の治癒係。平民ごときに高貴な方々の治療はまかせられないから、下級貴族と平民だけ診ればよいと言われていた。
治療を必要とする人達が『平民でもいい』と思って希望しなければ、私が治療にあたることはない。
そのはずが、今では隊長クラスの方々もまず私に頼みに来る。隊長クラスが来るのだから、当然のようにその下についている方達も来る。そして同行している下働きの人達も『ソニアちゃんが一番、頼みやすいから』と来る。
討伐隊のほとんど全員の回復と治療を担当しつつ、最も高貴な方達のお世話も丸投げされている。
十五歳の年から参加して、三年目。
平民が王族からの依頼を断れるわけもなく、教会に訴えても『耐えてくれ』としか言わない。
魔力量には個人差、魔法には得手、不得手がある。
遠征に耐えられる体力、長丁場でも尽きない魔力量、治癒、解毒、麻痺に対応できる魔法スキルがなければ採用されてもすぐに解雇されてしまう。
『キラキラした王子様のそばで働けるのなら、死ぬ気で頑張る』と勢いよくやってきた若い女性達が、何人も玉砕していた。
まずさ、野営ってのが難点で、トイレは草むら、お風呂なし、布団なし、日によってはテントもなし。王子様に見初められたら一緒のテントで…なんて夢見て来ても、現実は侍従や護衛が居て話すどころか視界に入ることも難しい。
私も解雇してほしいが、平民のわりに魔力量が多く、ほぼ全属性の魔法が使える。『ちょっとしたこと』なら私一人でまかなえるため便利に使われている。
不運なことに両親が幼い頃に流行り病で亡くなっていて、出身は田舎の小さな村。逃げる場所もなければ、助けてくれるような知り合いもいない。
大怪我でもすればメンバーから外されるだろうが、怪我なんかしたくないし、死ぬのも絶対にいや。
死ぬくらいなら、我慢して働くしかない。これからもこき使われるだけの人生なんだと諦めていたら…。
魔物との戦いの最中、一人、崖から落ちてしまった。
崖が垂直に切り立った地形だったら間違いなく死んでいたが、急な坂、時々、木々と雑草…という感じで、滑るように落下していった。速度を殺すために風魔法を連発しながら、同時に土魔法で地面に小さな凹凸を作る。
テントを張るのに地面が平らでないと嫌だとか、暑いから寝付くまで扇いでくれとか、どうでもいいような希望を叶えるために覚えた魔法の数々。
あの人達のために使うのは本当に嫌だったが、今は喜んで使いまくろう。
教会でも魔物討伐の旅でも朝から晩まで働かされていたため、体力には自信がある。絶対に死ぬものかと必死で生きる道を探し、無傷とはいかないが、意識を保った状態で谷底についた。いや、転がり落ちた。
ズベシャアッと喜劇でも使わなそうな音がしたが、問題なし。
生きてる!
骨は折れていないし、打撲や擦り傷もたいしたことはない。この程度なら治癒魔法をかけなくても大丈夫。
洋服も…、魔物の攻撃にも耐えられる素材で作られている。擦り切れている部分もあったが、まだ使える。
見上げても落下した場所は見えないし、誰かが追いかけてくる気配もない。皆、戦闘中のはずだ。
辺りを確認してすぐに移動する。
守ってくれる騎士がいない状態で、一か所に留まることは危険だ。
安全と思える場所に移動しなくてはいけない。
幸い鞄は無事で中に魔物避けの薬剤も入っている。
自分の服に薬剤を振りかけて、国境に向かって歩きはじめた。
どう考えてもこれは逃げるチャンスだよね。崖からの落下は想定外だけど、これなら自然な形で離脱できる。
そして平民の国境越えは戦時下でなく、本人が犯罪者でない限りは自由。
たぶんあの人達は私を捜しに来ない。
あの高さからの落下だし、崖下も魔物が出る森の中。死んだことにしても誰も困らない。
私が落ちたの、高飛車聖女のせいだし。
ビッグスパイダーが現れた瞬間、悲鳴をあげながら走り出してしまい…、逃げた先が崖だった。側に居た私が咄嗟に手を伸ばしたら、思い切り引っ張られた。
ぐりんっと位置が替わり、不安定な足場に耐え切れず崖を滑り落ちた。
落ちる直前に見たものは、地面に座り込んで『びっくりしたぁ』と笑っていた聖女。
私の方をチラッとも見なかった。
私が落ちたことに気づいたら、『私を助けようとして…』と聖女が美談にもっていくだろう。そういった芝居がうまい女だ。
問題は今、持っている鞄。見た目は小さめの背負い袋だが、中身は四人分のテント、布団、クッション、生活用品に調理器具、食料、調味料なんかが入っている。
魔物避けの薬剤とポーションもあるけど、大半が四人のわがままを叶えるためのもの。
大容量マジックバッグは高価なアイテムで第一王子から『特別に』渡されていた。
『ソニアが困らないように、これを貸してあげるよ』
って言ってたけど、困るのは貴方達では?
確かに小さな鞄に大容量は助かるが、高価なものだから持ち歩くには落ち着かない。そう言って断ろうとしたら『盗難や紛失に備えて追跡用の魔法石が埋め込まれている』と教えられた。
追跡されるとすれば、王都に戻ってから…一週間くらいは猶予があるはず。魔道具専門の魔法使いに依頼される前に鞄を捨てたい。
鞄の代わりになるようなものを見つけるか作るかして、魔物避けとポーションは持っていかなくては。
あれこれと考えながらも歩き続けていると、大きな湖に突き当たった。
崖から落ちたのが昼過ぎで、そろそろ日没という時間。
あまり湖の側に寄るのも危険だから、これからは湖に添って対岸を目指すことになる。
遠目で見る分には美しい湖だけど…。
私が生まれた国、ブロドニツァーナ王国と隣国ロズヴァルト王国の国境にあるイレーネ湖。
標高が低めの山に囲まれた湖で、素材の宝庫と言われている。
湖畔には薬草の群生地がいくつもあり、珍しい果実やキノコも比較的簡単に見つけられる。ただ…、ここまで来るのがとても大変。
標高が低いとはいえ山に囲まれているため、山を乗り越えなくてはいけない。魔物が出る山をいくつか登って降りて、森を突き進みながら湖を目指す。
道なき道を進むことになるため、大人数で来るには不向き。かといって少人数で乗り越えられるかというと、よほど腕に自信がなければ難しい。出てくる魔物は数が多い虫系から狼、熊、爬虫類まで。
私が単独で対岸まで行くのもかなり難しいが、魔物とまともに戦わなければなんとか行けるはず。
魔物避けの薬剤を使っているし隠蔽の魔法もかけている。鞄の中には野営用の道具もある。
歩きながら眠れそうな場所がないか探していると…。
「グギァアアァァァァァァァ…」
魔物の声が聞こえてきた。
断末魔のような気もするけど、戦闘の真っ最中ということも考えられる。
まだ距離はありそうだけど、確認せずに放置しておくのも怖い。
魔物避けを追加して、声がした方向に進むと…。
レッドロックリザードがどどーんっと転がっていた。特殊個体だったのか十メートルはありそうな大蜥蜴。ピクピクと動いてはいるが、血の匂いがすごいからもう長くはもたないだろう。
ここまで大きなサイズだとボンクラ王子達でも単独討伐は難しい。冒険者パーティか討伐隊が近くにいるのかと慎重に観察していると。
ロックリザードのそばで人が倒れていた。
まさかの単独討伐!?
しかし相打ちっぽい。
慌ててそばに行き、怪我の具合を確認する。
お腹が防具ごと引き裂かれていた。見えてはいけないものまで見えてしまっている。
急がないと出血で命を落としてしまう。
まずは血管の修復を集中的に…、私が使えるヒールは初級のみ。というか、全属性に適性があるけど、すべて初級しか使えない。
そのため一気に治すのではなく、少しずつ治していく。
ヒール十回でやっと血の流れが止まってきた。いや、どんだけひどいケガなの、これ…、ヒール五十回でも終わらないかも。
血管の修復だけで二十回、損傷した内臓の修復で三十回、消毒も兼ねて手持ちのポーションを何度か振りかけて、皮膚をふさいでいく。完全にはふさがらないけど、内臓がお腹におさまったところで針と糸で縫う。
幸い大きな怪我は腹部だけで、後は切り傷や打撲のみ。
完治させなくとも良さそうな怪我は後に回して、その頃には私の意識も朦朧としてきていた。
崖から落下した後、歩き続けたところに三桁に届く治癒魔法。さすがに魔力と体力の限界だ。
手持ちのポーションもあと一本。
最後の一本を怪我人に飲ませて、鞄から王子の布団を取り出す。その上に怪我人を乗せて、引きずって移動させる。うぅ、身体強化と軽減の魔法が使えて良かった。
ロックリザードの死体から少しでも離れておかないと、何が来るかわからない。茂みの影に移ってから四隅に結界の魔法石を置いた。
安全とは言えない場所だけど、仕方ない。
お腹も空いていたけど、それどころではないほどの眠気で、ついに限界を迎えた。
閲覧ありがとうございました。