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プロローグ――ある少女の追憶

 「ねぇ、おかあさん」


 「ん。なぁに、また眠れないの?」


 「うん。だから……」


 「ふっ……わかったわかった。こっちにおいで、甘えん坊。私も夜中一人で寂しかったところよ。いつものお仕事見せてあげる」

 

 そう言ってランプの灯った薄暗い部屋の奥、椅子に座って古い机の上でのお仕事を中断したおかあさんが膝をぽんぽんと叩いてこちらに笑顔を向けてくれた。


 それは少し気恥ずかしくて、本当は早く一人前の大人になりたくて。

 けれど暗い夜に独りぼっちで自室のベッドに起きたままはとても怖かったし、仮に眠れたとしてもどうせすぐ――。それに何より、そのあったかい身体の上は昔からずっと大好きだったから、躊躇うことなくすぐに駆け寄って膝元へ飛び乗った。


 おかあさんはそのまま、身体を再び机に向けてお仕事の作業を始める。

 机とおかあさんの両腕の間でクッションみたいに挟まれる形で、その進行風景を眺めた。指先で摘まんだ細い針と糸がくるりくるりと回転して一つの大きな作品を紡ぎあげていく。それが売り物になって、お金になって、人を繋いでいくんだという。とても不思議な光景。正直、特段見ていて楽しいわけじゃなかったけれど、どこかいつも心が落ち着いた。

 黙々と動く細い手を黙って観察し続けてしばらく経った頃、ふと、おかあさんが口を開いた。


 「ねぇ、大きくなったら何になりたい?」

 「どうしたのきゅうに?」

 「別になんでも。ただ、血を分けた我が子の将来っていつでも気になるものじゃない?どこでどんな生活を送ってるのかな、とか。誰と結婚してるのかな、とか……子供の成長って意外と早いんだから。聞けるときに聞いておかなきゃ後悔するなって、そう思ってね」


 何だか唐突に不思議な理由から親馬鹿なことを聞いてくるのは、もう随分昔からだ。この前は友達と仲良くしてるのかとか、悩み苦しんでいることはないかとか。それどころか最近になってその頻度はかなり増えたような気がする。

 取り合えずどう言おうかさっと考えて、2秒。

 静かに返答を待つおかあさんに、ずっと以前から密かに決まり切っていた当然の解答ゆめを、少し躊躇気味に答えた。

 

 「わたしは……やっぱり――『勇者』になりたい」


 冗談でもなんでもない。

 その顔は至極真剣そのものだ。

 

 「『勇者』になって――『魔王』をたおしたい。はやくおおきくなってつよくなって……せかいをわるい『魔族』からすくって、そしたら」

 

 頭のすぐ上を見上げて、確かめるように口にする。


 「またいっしょに……おかあさんとおとうさんとみんなで、もういちどなかよくくらせるようになるよね……?もうだれもけんかしたり、いなくなったりしないですむよね……?」

 

 自信を持って答えようとした声は、後半になるにつれ尻すぼみに小さく、震えてしまった。

 理由なんて多分、その話題に触れることで現実が歪んでしまうような気がしたから。悪い予感をしているところには不幸の神様が舞い込んでその通りにしてしまうなんて、そんなよくある言い伝えの話をどこか思い出したから。いや、何より自分の本質的な臆病さが全ての原因なんだと、そう思う。


 自分なんかが勇者になれるほど、誇れるものを持っていないから。

 おかあさんを助けられるなんて力も打算も計画も何もない。

 今日だって一人で寝ることさえできなかった。ひょっとしたら自分のせいで、昔みたいにもっと酷いことになるかもしれないなんて嫌な考えばかりが浮かんで、そのまま目を逸らし顔を下げようと、


 「いい夢じゃない。あなたならいつか……きっと最高の勇者になれるわ」

 

 気づけば頭の上にポンと掌が置かれていた。

 そのまま右に左に二回三回、優しく撫でつけられる。見ればただそこには変わらない穏やかな表情をしたおかあさんがいる。


 「……ほんと?」

 「本当」

 「ほんとうに、ほんとう?」

 「本当よ。あなたは私の自慢の娘だもの。願えばなんだって出来るし、何にだってなれるわ。でもだからこそ……一つだけ絶対に約束して。『英雄』にはなろうなんて、それだけは思っちゃダメよ」


 横槍を入れるように漏れ出たその言葉の意味を理解するまでは、たぶん10秒くらいかかった。

 いや、たっぷり10秒固まってなんとなく解釈してみた意味もやっぱりよく分からなかった。

 別にそこまで漠然で抽象的な目標を掲げるつもりはなかったが、ある意味では実質的な同義語とも言える。そんな英雄ことばの否定で、


 「それって……むりにがんばりすぎたらダメ、ってこと?」

 「えぇ。そういう意味もあるわね」


 器用に編み物を同時にこなしながら返ってきた答えは、解釈の正解を告げるものでもなく、寧ろただ余計に頭が混乱するようなもの。


 つまり良いことはしてよくて、『英雄』?なのがダメ?

 英雄は立派じゃないってこと?


 普段からいじわるな哲学めいた問答をする偏屈家ならともかく、おかあさんは別にそういう人じゃない。何かちゃんとした答えがあるのだ。

 諦めて訊くのも悔しいからそれを何とか考えて、考えて、考えてみて――


 「じゃあつまり……目立ちたがり屋がダメ、とか」

 「ぷっ、ぁははっ!これはまぁ……子供にはまだ難しい話だったわね」


 まるで的外れと言わんばかりの優しい微笑。思わず顔が熱くなるのを感じる。

 まして子供扱いされたことは結構な屈辱で、ついぞ溢れ出す苛立ちを頬に募らせてしまった。

 傍から見れば多分怒り心頭状態に見えるはず……だが、次の瞬間には無遠慮に頭の上に手が置かれていた。それが左右に優しく二回三回と撫でつけられて、気づけば作業を完全に中断していたおかあさんの顔を下からムッと見上げた。


 「こんなのりふじんだもん。ズルい。もう嫌い」

 「はいはい、拗ねないで。意地悪なこと言ったのはごめんね、謝るわ。でもね……今は別に分からなくていいから。いつかその時が来たら、必ず私の言ったことを思い出してほしいのよ」


 そう話すおかあさんの顔はあまり申し訳なさそうには見えなくて。

 けれどどこか真剣味を帯びた、少しモノ哀しそうな顔が心に刺さって、何も言えなかった。


 そして不意に、机の奥に置かれた道具箱を開くとその中を何やら弄った。

 普段は作業に使う針やら糸を収納しているだけの場所だ。実際に他の余計なものなど入っていない、と思っていた。けれど底の方から手に取って掴んだそれはキラキラした何か。銀糸のような無数のビーズで輪っかのように吊り下げられた、青い不思議な輝きの石だった。

 そしてそれを間断なく上から首元にスポッとかぶせてくる。


 「あげる。いまのお詫び」

 「え……でもこんな、すごく高そうなの……大切なんじゃ」

 「別に私も貰った物だから気にしなくていいのよ。正直そこまで思い入れは無かったし。あっ!でも売ったり貸したり失くしたり食べたり飲み込んだり変なことに使ったら――」

 「って、そんなことしないよ⁉」

 「じゃあよろしい。私の分身と思って、くれぐれも大切にしてほしいかな?」

 

 上からまた頭を優しく撫でつけて言い聞かせてくる姿に、なんだかうまく丸め込まれたような気がしてならない。もう怒るにも怒れない、これでまだ機嫌を直さない方が負けな状況に持ってくるあたりがすごいというか卑怯というか。それに首にぶらさがった青い煌めきを手に取ってみると、不思議と穏やかな気持ちになった気がした。


 改めて針と糸を手に作業を始めるおかあさんの手元を、石を握りしめながらまた眺める。


 「ねぇ、そういえばこれ、なに作ってるの?」

 「うーん。それはまぁ……完成するまでのお楽しみ!」

 「えぇ⁉おかあさんのケチ!じゃあできあがるまでここでみとく!」

 「ふふっ……将来は夜更かしの多いわるい子になりそうね」


 まだ全然組みあがっていない未完の作品を、そのあとも夜更けまでずっと一緒に話しながら創り続けた。


 ※


 次の日。おかあさんはいなくなった。


 

 次の月。大規模な戦争が始まった。


 

 次の年。戦争が一層激化した。


 

 その次の年。知り合いが亡くなって、さらに次の年。友達が消えて。


 次の年、


 次の年、


 次の年、

 

 次の


 次の次の次の次のその次の年。戦争が終わった。


 ※



 

 おかあさんは帰ってこなかった。




 ※



 

 そして私は晴れて、人類を世界から救った『英雄』になった。

 


 

 いつかの意味を思い出すこともなく、全てが手遅れになった後で。



 

 だから私は――英雄を殺すことにしたんだ。



 ※

 

 これは私が私を消し去るためだけの、偽物の英雄譚。

 自らの救った世界であるべき終幕エピローグを遂げるためだけの、あとがきの英雄譚だ。


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