■■ done it?
「これは推理小説の用語なんだけど」
「フーダニット、ハウダニット、ホワイダニット」
「誰が、どうやって、なぜ」
議論の前に、前置きとして推理小説の用語について簡単な解説をしておこう。
推理小説には3つの視点が存在する。フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットの3つだ。それぞれ、誰が殺したのか、どうやって殺したのか、なぜ殺したのかと訳される。
犯人そのものを問うもの、手段を問うもの、動機や理由を問うもの。その3つの視点で推理小説は描かれる。
これは自説なのだが、その3視点は神秘学においても同じことが言えないだろうか。
一つの未解明な神秘を前にして、それは神か精霊の仕業かと特定し、魔法の作用や元素の動きを解明し、その目的を読み解く。その過程は推理小説で犯人を見つけ殺害手段を探り、犯人が取り調べで動機を語る構図と似ている。
推理小説も神秘学もどちらも真実を探るという点では共通している。なら推理小説のそれは神秘学にも当てはまるのではないか。
だとするなら、君はどれを重視するのか。
問われ、む、とカンナは唸る。推理小説のその3つの視点については初めて聞く。その内容を咀嚼してから質問に答えるために考える。自分の考え方はどれに当てはまるだろうか。
降雨という現象でたとえてみよう。雨を降らしているのは水神か、それとも水神の眷属である雨神か。水神と雨神の違いは何だろうか。それを突き詰めるのがフーダニットにあたるだろう。
神々が空気中の水の元素に働きかけて雲を作り、雨を降らしているのだと解明するのがハウダニット。こちらは科学的なアプローチも多い。
雨を降らせるのは草花に水を与えるためであると解釈するのがホワイダニット。
「えぇと……どれかって言ったら……ホワイダニット、ですかね」
自分はどれに当てはまるのか。物事を解明する時にどれを重視するのかと言われたら、ホワイダニットだろう。理由や動機を知り、そこに込められた願いを知りたい。そのために神秘学者を目指しているのだから。
「そういう先輩たちは?」
「うん?」
「俺たちはどれでもなく!」
「結果主義さ!」
論を展開しておいてなんだが、自分たちはどれでもない。仕手も手段も動機も重視しない。
では何を重視するかといったら結果だ。正確には結果のその先。
降雨という現象にたとえるのなら、雨が降り、木々が茂ったことで何が得られるのか。木々が果実を付け、果実をつけることでどうなるのか。人や獣が果実を食べ、生きることで何が生まれるのか。
ひとつの現象がもたらすメリットとデメリットを考えたい。それが自分たちの神秘学の流派だ。
推理小説でいうのなら、犯人は殺人をしてどうなりたかったのかだ。復讐目的に殺人をしてすっきりできたのか。胸がすく思いを区切りにして明日から新しい人生を歩めるのか。
探偵は犯人を突き止めてどうしたかったのか。殺人という形で人の命はすでに奪われているのに。犯行を終えて目的を達成した犯人を捕まえて、それで。殺人犯を逮捕して何が得られるのか。不可解な事件を解決したという達成感を得たいのか。
そういうことを考えたいのだと語る。どの兄弟も同じ意見のようだ。
「そうなんですね」
成程。要は結果的に生まれたものが何を生んだかを見たいのだ。
雨を降らせる理由ではなく、雨が降ったことで何がどうなるのか。成果がもたらす変化こそが重要なのだ。
「結局必要なのってそこだしさ」
「今生きてる人間にとってはね」
「じゃないと適応できないしさ!」
そこまで語り、ふっと笑う。どうだい、とおもむろにカンナに感想を聞いた。
これが神秘学の合宿だ。お互いの意見が一致しないのは当然。どちらが正しくでどちらが間違っているということもない。ただお互いの意見を交わすだけ。相手の意見を聞いて見聞を深めたり新たな視点に気付く必要はない。
結論もなく、ただ『そうなんだ』と感慨を抱くだけだろう。なんとも締まらないがこれが神秘学の合宿だ。
「どう?」
「あと28日、やってられる?」
「教科を変えるなら今のうちさ!」
「だ、大丈夫ですっ!」
このまま続けさせてほしい。お願いしますと答えると、わかった、よろしく、無理はするなよと三者三様の回答で受け入れられた。