世界はわたしを受け入れない
彫金学のハッセも、スヴェン教官も、そしてその後に回った歴史学のイノーニも地理のクロッケスも文化学のブリュエットも。誰もが口を揃えてこう言った。
――レコ・アミークスなんて生徒は知らない、と。
いえ、私の隣にいつも座って授業を受けていましたよとカンナが言っても、そうだっただろうかと全員が首を傾げる。
他の生徒に聞いても同様だ。直接会話はなくとも、授業で何度も顔を合わせていれば互いの顔なんてだいたい覚える。ましてやカンナはハルヴァートの件で人の噂に立ったりもした。はカンナの名前と顔はある程度知っているはずの生徒たちにレコのことを訊ねても答えは『知らない』だけだ。
誰もがレコの存在を知らない。『強いて言えばカンナの隣に誰かいたような気がする』がせいぜいだ。
認知していないのか、あるいは記憶に残っていないのか。どちらかはわからないが、それもまたレコが召喚された武具の予備効果なのだろう。
では、直に顔を合わせて会話した人物はどうだろうか。
リグラヴェーダならどうだ。温室にて、彼女とレコとを交えて3人で茶を飲みながら会話したことがある。亡きアルヴィナも含めれば4人。
あんなにはっきりとした会話の機会があって、それでもリグラヴェーダはレコのことを覚えていないのだろうか?
確かめたくなって、温室に向かうことにした。
***
最近どうしたの、と問う声に顔を上げた。
「ナニが?」
「『真実の書』の子と会っていないでしょう?」
夏の頃はあんなにくっついて回っていたのに。秋になってからとんと交流を持たなくなった。
合宿が始まって、きっと忙しいだろうと遠慮をしていたなどという言い訳もそろそろ苦しい。いい加減、きちんとした理由を聞いておきたい。
どうして、と問われ、"灰色の魔女"アッシュヴィトは目を瞬かせた。
アスティルートから聞いていないのか。生徒に近付くな云々。その要求を飲んで、一線ひこうとあえて距離を取っているのだが。
「それだけ?」
「ソレ以外ナニがあるっていうのさ」
別に何かしらの企みごとを裏で画策しているわけでもなし。
世界から憎まれる"灰色の魔女"がカンナを友人と呼んで付き合おうとしていると広く知られれば、その憎しみの矛先がカンナに飛びかねないから会うことを遠慮しているだけなのに。
まぁ、それ以外の事情もある。ナツメのことだ。彼の喪失が長い尾を引いている。長い年月の末に感情は擦り切れたと認識していたがそうでもなかったらしい。
あれほどに愛と殺意を向けてくれた相手を失ったこと、そしてそこにカンナが噛んでいたこと。もしカンナが『真実の書』など持っていなければ、彼は今も真っ当に自分を殺してくれただろうとわかるからこそカンナの顔を見ることができない。悪し様に一言で言ってしまえば、カンナさえいなければナツメは道を誤らなかった。
「ヤダネェ……世界はボクのコトを心底キライなみたいだ」
100年殺してくれた男も奪われるなんて。世界は本当に、アッシュヴィトが好ましいと思う環境を許してくれない。少しでも好ましいと思うものができれば片っ端から奪ってしまう。
好ましいと思うものを奪い取るという大義の前では、最強のルッカを生かし育てて魔女を討つという正当性は軽んじられて無視される。
何よりもアッシュヴィトが満たされないこと。それこそが『あの時』の対価であると言われてしまえばそれまでなのだが。
「ヤダヤダ。……さて、ボクはそろそろ行くヨ」
「あら? もう行くの?」
「あんまり長居しすぎてキミが『好ましいもの』判定されちゃったら困るデショ?」
リグラヴェーダのことは気に入っているのだから、できるだけ長く生きてもらわないと。
アッシュヴィトの好ましいと思うものを片っ端から奪おうとする世界なのだ、ここは。多少でも気に入ったのなら距離を置いて粗末に扱わねば奪われてしまう。好きだという態度を出したらその瞬間奪われる。
カンナも同様だ。べたべたしすぎた。顔を合わせづらいという個人的感情もあるし、それを言い訳にしてしばらく会わないでいよう。
あの子とは友達でもなんでもないという体裁を通せるだけの冷却期間がなければ、彼女もまたアッシュヴィトから好ましいものを奪うという世界の流れに飲み込まれてしまう。
そうなっては困る。カンナにはやってもらいたいことがあるのだから。そのためには生かしておかないと。
「……待ってて」
ボクが死ぬためのロジックはもう少しでできるから。
だからそれまで生きていて。




