霧に踏み込む勇気をひとつ
アルカンはあぁだった。では、レコはどうだろう?
骨鯨の話をしたあの時、アルカンから送られたメッセージはふたつ。
目に見えるものだけが真実ではない。そして、それがカンナにとって当たり前であっても、違和感があるなら疑えということだ。
それを適用してアルカンの正体を推測したら本体と分身という真実が現れた。なら、レコについて違和感があるなら彼女の正体を疑えばそこに真実が現れるはず。
自分のことならともかく、レコのことまでアルカンが口を出すなんて。
アルカンとレコは直接会ったことはない。カンナの知らないところで顔を合わせたかもしれないが、レコもアルカンも互いに会ったことをカンナに話していないし、仮に会ったとしてそれを秘密にするような関係はないだろう。だから顔を合わせてはいないはず。
アルカンはおそらく、カンナとレコが話しているところを遠目に見たのだろう。遠目に見たレコに何かを感じ取った。感じ取ったそれをカンナに教えようとしている。
アルカンが遠目に見ただけで理解した。そこが大きな鍵だ。それはなぜかを掘り下げていけば、アルカンが感じたそれもわかるはず。
魔法院からずっと一緒にいるカンナが気付かず、しかしアルカンは遠くから見ただけで気付いた。
それはつまり、アルカン自身に馴染みがあったものだったからではないだろうか。馴染みがあって、よく知っていたからこそ遠くから見ただけで気付いた。そう考えれば話は繋がる。
カンナには馴染みがなかったから長い間一緒いても気付かない。知らないから違和感を覚えない。だが、アルカンは知っていたので違和感に気付いた。そういうことだ。
なら、アルカンがよく馴染みのある、遠くから見ただけでわかるほどよく知っているものとは。
それはやはり兄弟のことではないだろうか。兄弟、すなわち、武具によって召喚されたもの。
――つまりレコは、誰かの武具によって召喚されたものということだ。
「……なら」
仮に、レコがそうだとしよう。
だとするなら、いったい、誰が何のために召喚したというのか。
自分の記憶に聞いてみてもその答えはない。記憶はただ、魔法院では円満な学園生活を送っていたと返すだけだ。
そう結論を結ぶならそれにふさわしいエピソードのひとつふたつあるはずだ。全体的な感想というものは複数のエピソードが集まって構成されるのだから。
だが、具体的なエピソードを思い出そうとしても、まるで霧の中を歩くようにまったく思い出せない。楽しかった、円満だったという漠然とした感慨のみで、その感慨の骨子となる思い出が浮かばない。
カンナの記憶にある、具体例のない漠然とした感想。これもまた、レコの正体に繋がるものだとしたら。
だとしたら、その霧を払って真実を露呈させた時に、何が見えてくるのだろうか?
***
真実を解明する過程はベールを被った女性を強姦する悪辣な行為に似る。
そんな格言があるが、それは正しくない。
例えるならこれは強姦ではなく拷問だ。
服を脱がすのではない。肉を剥ぐのだ。
肉を剥いで内臓を掻き出して、骨を晒す。
真実を解明する過程を形容するなら正しくはこうだ。
薄衣のベールの淑女などありはしない。
真実とは、嘘や欺瞞や誤魔化しで粉飾した腐肉だ。鼻をつまんで目を逸らしたくなる汚物こそが世界の真実。
「あんまり踏み込んじゃダメダヨ、壊れちゃうカラ……ネ?」
あなたは二度壊れられるほど丈夫じゃない。




