霧の中を解き明かすために
あの兄弟には何かある。露骨にそれを見せられた。
ヒントであり挑戦だ。自分たちには秘密があるからそれを明らかにしてみせろ、と。
そう言うなら受けて立ってやろう。その思いで、次の日の議論の時間に挑んだ。
「先輩がた、昨日は本を見つけられたんです?」
まずは雑談をするふりをして切り口を探す。
質問の中身は個人的な興味だ。小説を探していると言っていたが、いったいどんな小説を探していたのだろう。確か、キロ島の守護神である鯨の話だとか何とか話していたが。
キロ島の守護神の鯨についてはカンナもそれなりに知識がある。
世界の北西にあるキロ島の海には大きな鯨が棲んでいる。それはただの海洋生物ではなく水神の眷属の神鯨だ。ナルド海の守護神であるナルド・リヴァイアとナルド・レヴィアの番の海竜と同じく、その鯨もまた神に連なるものとして己の領域である海を守護している。
それを題材にした小説とは。気になるじゃないか。
「探してたのはミナモウマレっていうタイトルの本なんだ」
「キロ島の古い伝承が題材でね!」
「これが神秘学的に結構興味深いのさ!」
キロ島の近海には鯨神が棲んでいる。
全身が油で覆われ、常におびただしい量の油を垂れ流す鯨だ。肉はなく、骨とその周りに付着した脂塊の層で形作られている。油といっても有害なものではなく、燃料として文句なしの良質な油だ。
固有の名は特になく、キロ島の人々も見たまま骨鯨と呼んでいる。
こうした土着の神の成り立ちは自然現象を神格化したことによるものだ。
海の荒波を海竜の仕業として、どうか波よ鎮まってくれと願った人々はナルド・リヴァイアという存在を生み出した。それと同じように骨鯨もまたキロ島のとある事象を元として存在が形作られた。
骨鯨の元となったものとは、鍛冶による廃油とそれによって汚染された生物たちだ。キロ島の名物である武具の製作工程上どうしても出てしまう油を海に捨てた結果、それらを浴びて弱って死んでいった生き物たちへの鎮魂が骨鯨の信仰の元となっている。
廃油で汚染され死んでしまった生物たちがどうか安らかに眠れるよう、その死後の眠りを守護する存在として骨鯨は生み出された。
「と、いうのが今の神秘学の見解だ」
「何か、あるいは誰かを把握するために解析された神の姿」
「フーダニットってやつさ!」
今語ったこれは神秘学者が骨鯨の生態を調べ、伝承を紐解いた結果明らかにされたものだ。
当時のキロ島の民にそんな自覚はない。当時の人々の目にはただ海を漂う廃油とそれにまみれて死んだ生物の姿しか映らなかった。
自分たちが垂れ流した廃油が結果として殺してしまったという因果関係も把握できていなかっただろう。海がなんだか汚くて、汚い海のせいで魚や海鳥が死んでしまった、可哀想に。それくらいの認識しかなかったはずだ。
「で、だ。人々は魚や海鳥の鎮魂のために祈りを捧げた」
「鎮魂を願う祈りが積み重なって……」
「やがて死後の眠りを守護する鯨神が生み出されたってワケ」
そうして骨鯨は誕生したのは先程語った通り。
しかしそれだけではない。骨鯨に祈りを捧げる一方で、海を汚す悪しきものがいると考えた。その悪しきものが魚や海鳥を殺しており、骨鯨はその悪しきものに対抗しているという想像をしたのだ。
その信仰は、島の外から来た神秘学者の調査によって改められることとなる。
骨鯨はその時、初めて人々の前にその姿を現した。それまで姿を見せなかったのは真実とは違う事を信じていたキロ島の人々に憤慨してのことだ。
鯨神はきっとこういう姿だろうと想像で描かれていたものとは違う骨鯨の様相に人々は驚き、そして明らかになった真実を聞いて自らの行いを反省し、罪を悔い改めた。
骨鯨は人々を赦し、廃油を呑み浄化して質の良い油に変換するという契約を提示した。人々が海を害さぬよう自らが穢れを負うと。人々はその献身に感謝をし、今も祈りを捧げている。
と、いう顛末が当時の人々の視点で書かれたのがミナモウマレという小説だ。水面に生まれた鯨神の真実である。
「油と鯨を別のものと考えてたのが実は違ったってさ」
「結構面白くない?」
「目に見えるものだけ信じちゃうなんてさ!」
目に見えるものだけを信じた。だが、目に見えるものは真実ではなかった。見たのは真実のごく一部、ひとつの側面のみだ。
その愚かしさを語ったこの小説には『目に見えるものだけを信じるな』という教訓がこれでもかと込められている。
目に見えるものを真実とするな。この教訓は神秘学にも言えることだ。目の前の光景を『そう』だからと鵜呑みにしてはいけない。
「少しでも違和感をおぼえたらまず疑え、って教えてくれる気がしてさ」
「兄弟は定期的にこれ読み返してるよな!」
「初心に帰るってやつ!」
好きか嫌いかでいったらあまり好きな内容ではない。当時の人々の無知さを笑う内容は、何もわからないなりに真摯に世界に向き合っていた人々への侮辱だろうと思う。
だが旅の神秘学者が海を見てふと違和感に気付いて調査を始め、真実を明らかにしていく姿勢は神秘学者を目指すものとして見習いたい姿である。小説の中の彼のように、誤解を解き、正しい情報を広められるような立派な発見をしてみたいと憧れる。
だから定期的に読み返すのだ。神秘学者を目指すきっかけを与えたこの小説を、初心に帰るために。
「だから、さ」
「君も違和感をおぼえた部分があるなら検証してみなよ」
「それが君にとっての当たり前でもね!」
虚構は真実の顔をしてしれっと現実に君臨するのだから。




