あれ?
「少々失礼。……辞書の冒頭を参照すると理解できますが」
ハッセの無骨な指がカンナの手から辞書を取ってページをめくる。開いたページは冒頭部分にある砂語の特徴を解説したページだ。
そこでは砂語の熟語の構成の仕方について記してある。砂語の熟語はごく短い音の単語の組み合わせで成る。木が集まって森という字を形成するように、砂語もまた単語を組み合わせて熟語を作る。
しかしそうやって言葉を作っていくと最終的にとても長くなる。木が集まって林に、さらに密集すれば森になる。そこまではいい。だが大森林という概念を表現するためには森よりも木が多い森という言葉が必要になってしまう。
それでは一単語が長すぎる。単語が長くなれば喋りも長くなる。喋る時間が長ければ口に砂が入る。なので省略をかける。
この音の省略というのが砂語の特徴だ。単語に含まれる要素をパズルのように組み合わせて継ぎ足して一つの長い単語にし、省略によって短く小さく畳む。
その特徴を解説しているのがこのページである、とハッセがカンナに示す。
先の例で言うなら、モルジャ・カル・モル・ア・ジャル・モルジャは省略されるにされてジャル・モルジャへと変わる。それですら長いのでさらに省略をかけてジャ・モへ。最終的に微妙なイントネーションの違いの2音にさえなる。
前置きが長くなったが雷神という単語もまた同様だ。こんな4音でも省略がかけられる。極限まで音を削って口を開く時間を短くするために。
「その結果、我らが愛おしき神は雷神と表現されるのです」
「成程……ありがとうございます、先生」
そうだ。授業で聞いたのはその響きだ。
じゃぁ惜しいところまでいっていたのか。そう呟くと、語の省略の度合いは人によるのだと補足が返ってきた。人によっては省略をかけずに丁寧に雷の神と呼ぶこともあるし、助詞を省略して雷神にすることもあるし、少し短めに雷神にすることもあるし、前後の文脈で推理できるのだからと雷と呼ぶ人もいる。そのあたりの表現は自由なのだ。おかげで辞書が引きにくいのだが。
なのでカンナが自力でたどり着いた雷神も正解だ。そう表現してもシャフ族にはきちんと伝わる。
「授業で取り扱った表現は僕らの有り様を優先したからでしょう」
シャフ族は口に砂が入らないように短く喋るという文化を尊重し、短めに省略がかけられた表現を用いたに違いない。
どちらでも、どれでも正解だ。意味さえ伝わればいいので。
「思わず砂語の授業になってしまいましたね。本来は僕、彫金学の担当なのですが」
砂語を教えるのは自分ではなく別の教師なのに。その役割を奪ってしまったようだとハッセが苦笑いをする。つられてカンナも笑った。
「助かりました。ありがとうございます」
「いいえ。疑問が解決したのなら何よりです」
あぁ、そうだ。彫金といえば。
「そういえばレコがお世話になってます」
レコは彫金学を取っていたはずだ。彼女の進路は武具を作る彫金師なのだから。
彼女の授業中の噂は聞かないが、レコのことだ、きっと真面目に取り組んでいるだろう。
そう思って声をかけた。だが、返ってきたのは返礼ではなく、きょとんとした戸惑いの顔だった。
「レコという名前の生徒は彫金学の受講者には居ませんが、どなたかとお間違えでしょうか?」
「え?」




