砂にけぶる言葉
そんな感じで合宿の日々は過ぎていく。
合宿の期間中、1年生への授業は完全にストップする。しかしだからといって、予習と復習を怠っていてはならない。
なんだかんだでもう2週間過ぎたのだ。折り返しだ。あと2週間後には通常通り授業が始まる。合宿に夢中で習ったことをすっかり忘れましたなんて言ったら大目玉だ。きちんと復習し、内容を頭に入れておかないと。
そうして取り掛かった歴史学の復習。しかし思わぬところで詰まってしまった。
「えぇと……あぁ、これどうだっけ……?」
カンナが詰まったのは世界の南西にあるクレイラ島に伝わる伝承のことだ。
クレイラ島は砂漠の島だ。年中砂嵐が吹き付ける島に住むシャフ族は砂が口に入ることを防ぐため唇があまり開かない発音をする独自の言語を喋る。砂語と呼ばれるそれにより口伝された伝承が雷神とその眷属の狼のことなのだが、さてその雷神はシャフ族の言葉で何という名前だっただろうか。
砂語で雷神を示す単語は何だったか。砂語の熟語はそれを意味するごく短い音の単語を組み合わせて作る。だから雷神という言葉も直訳すれば雷と神の言葉の組み合わせになる、というのは覚えているのだが。砂語で雷も神もどう言っていたか忘れてしまった。
「図書室行こ……」
忘れてしまって思い出せないことを考えたってどうしようもない。ここは素直に図書室に行って、砂語の辞書を見てこよう。そうすれば解決する。
よいしょと机から立ち上がり、そのまま部屋を出て寮から出て図書室へと向かう。校内は普段よりも活気がない。合宿で1年生と、その指導と付き添いのために上級生の何割かが出ていっているためだ。
それでもここの静けさは変わらない。それもそうだ。図書室は私語厳禁。本をめくる音だけが静かに響く図書室へと足を踏み入れる。こんにちはと司書がカウンターから会釈した。
「砂語の辞書は……っと……あ、あった」
あらゆる辞書をおさめた棚から砂語の辞書を取り出す。調べたいのはたった一単語だからわざわざ席に座らずとも立ったままでいいやとその場で表紙を開いた。
雷神、雷神と唱えながらページを手繰る。雷神の項目には、雷と神の語を参照と書いてあった。
やはり雷神という一単語は存在せず、雷と神という語の組み合わせで成り立っているのだなと理解しつつ雷の項目を探す。あった。
「えぇと……雷はライ……神がゴド……」
雷、足す、神。だから雷神。
単純に考えればそうなる。そうなるのだが、授業中に聞いた言葉ではない気がする。
むむ、と唸るカンナの視界にふと影が降りた。後ろに誰かいる。
「あ、ごめんなさい。邪魔でしたか?」
ぱっと振り返るとそこには長身の男性。乾いた砂の色の肌。見るからにシャフ族の血を引くその人物をよく知っている。
といっても直接言葉を交わすのはこれが初めてだ。邪魔にならないよう場所を譲りつつ、本棚から辞書を取り出す彼を見上げる。
「ハッセ先生ですよね?」
「確かに。僕の名前はハッセといいます」
ちょうどよかった。シャフ族であるハッセならこの疑問にも答えてくれるはず。質問があるんですけどいいですかと訊ねると、どうぞと快い返事が返ってきた。
「あの、この単語なんですけど……」
砂語で雷神はなんというのだろう。自分なりに辞書を調べて突き止めたのは雷神だが、記憶の中にぼんやりとある響きとは一致しない。
疑問をぶつけると、クレイラ島のオアシスに実る果実と同じ色の赤い目がほんの少しだけすがめられた。
それは勉強熱心な生徒へ向ける慈愛の目だ。砂語なんて今はほとんど使われない。用いているのは古くからの伝統に固執して生き方を変えない一部の者だけ。一般的には古語と同等の扱いだ。それを熱心に勉強し、質問をぶつけてくる。なんと素晴らしい。
「よろしい。では、お答えしましょう」
そんな生徒の質問なら快く回答しよう。砂語は問題なく喋れるほどに習得している。むしろ高等魔法院に来る前は砂語を用いて生活していたため標準語のほうが危うい。
少々授業めいてしまいますが、と前置きして彼は小さな講義を開いた。




