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幕間小話 ただの本であった頃

あぁ、そろそろだ。寝たきりの老人の傍らで本はそう理解した。


自分はこの老人に作られた。

彼は若い頃は頑固で偏屈だった。性格的に問題はあったが腕は確かだと一定の評価を得て、そのまま老後を迎えて職人を引退をした。

彼が最後に作った武具が自分だ。買ったはいいものの続かなくて3日でやめた日記帳を再利用して作られた。

戦うための、守るための、あるいは信仰を示すための、生活を支えるための能力は何一つなく、何の機能もないただの喋る本が自分だ。そう表現すると無能のようにも見えるが真実は違う。ヒトと同等に思考し喋り、感情を表現する知性を有している。ただの物に一個の人格を宿らせたそれは、彼の職人としての腕を示すもの。

だから自分は自身を卑下したことはない。喋りもできない魔銀の塊を見下すだけだ。


「その用途が爺さんの萎びた老後の相手なのが唯一の難点だな」


作られ、人格を宿し、自我を得て。起動とともに最初に下された命令はひとつ。話し相手になってくれ、だ。

なんとも締まらない。人格を持つ武具など長い歴史でもそう多くない。定型文を吐くだけならそれなりにいるが、自立思考でもって自由自在に喋るものなど希少も希少。世に発表すれば彼は間違いなくこの一点のみで世界最高の職人の称号を手に入れられるだろう。間違いなく歴史書に載る。


それなのに発表もせず田舎で隠居暮らしとは。訪ねてくる家族もおらず、時々、村の若者が御用聞きでやってくるだけ。せっかくの来客も長居せずに日用品と食料の補充を置いて帰る。笑顔はなく、村外れの独居老人に必要なものを届けるという仕事で嫌々やっているという雰囲気たっぷりに。

明確に嫌われている。それもそうだろう。職人として働いていた若者の頃から彼は人間嫌いを自称して周囲と付き合いを持たなかったという。誰も彼もの好意を突っぱね続け、仲の良い友人も恋人も妻も子供も孫もできないまま今日に至る。


そして今日。彼は死ぬだろう。具合が悪いから寝ると言って横になってから3日、ずっと寝たきりだ。その間、看病もされず薬もなければ当然こうなる。

明後日に御用聞きの若者がやってくる。その時に彼の死体は発見されるだろう。今は冬、死体が臭いにくいのが幸いだ。そんなことくらいしか喜べるものがない。それくらいしかないほど、もうどうしようもない。


彼が死ねば魔力の接続は切れ、自身は沈黙する。だが意識は外に開かれているし周囲の状況は知覚できる。本を閉じるようにその意識を閉じて眠ることもできる。何にしろ会話ができるのは新たな術者が現れてからだろう。


――もう次のことを考え始めている。


自分の思考に気がついて、笑う。目の前の老人の話し相手が自分の役割なのに、それを放棄して次のことを算段している。

もう見切りをつけているのだと無意識の判断を下したことを自嘲し、なぁ、と彼に語りかける。彼に喋る体力はもうない。だが、わずかな目線の動きで言いたいことは理解できる。


「言い残すことはあるか」


その目で雄弁に語るといい。彼もまた、次のことを。


問われ、彼は目線の角度をほんの少しだけ窓へ。窓から見える庭木には小鳥が一羽。

あの庭木は彼が職人を引退してこの家に隠居してから植えられたものだ。彼が手ずから植え、世話をしてきた。

甲斐甲斐しくハナミズキの手入れをする彼に、まるで子育てのようだ、今更人並みの家庭が恋しくなったかと揶揄したことがある。その時彼はそうだよと答え、孤独な老後を後悔していると語った。


人間嫌いを言い訳にして人を突っぱね続けたのは、ただその優しさが怖かったからだ、と。優しくして裏切られて傷つくくらいなら最初から要らないと拒否していた。その結果孤立して、周りには誰もいない。

若い頃はそれでよかった。誰もいなくても構わないと強がれた。しかし隠居してから急に寂しくなってしまったのだ。帰っても明かりがついていない家の暗闇に。挨拶の声がない朝に。テーブルの対面の空白に。自分のいる部屋しか明かりのない冷たい夜に。


だから話し相手としてお前を作り、仮初めの子として庭木を慈しむのだと。

終生、不器用な男は友人と家族を自ら生み出したのだ。


「……あぁ」


ハナミズキにも花言葉がある。そう話したのはいつだったか。私の思いを受けて下さいという意味を持つ白い花を前にして、彼は小さく呟いた。この子は俺が死んだ後も誰かに受け継がれるのだろう、と。


そのハナミズキを彼が見つめた。それで彼の言いたいことを理解した。

継がれろ、と彼は言った。次の主人に受け継がれていけ、と。


表面の意味を理解し、感情の奥深いところで真意を理解する。

継がれるのはこの本の主人の地位だけではない。人の付き合い方もまた、同様に。つまり次の主人にも対等に友人として付き合ってやってくれと彼は言っているのだ。


――きっと次の主人も、私と同じ寂しがり屋だ。


「わかった」


遺言を受け取り、頷く。


継いでやろう。継がれてやろう。

彼が死に、自分もまた沈黙し。次の主人が現れた時。

その時にはこのハナミズキに名付けられた名前を教えてやろう。子供代わりなのだから名前をつけてみろと言ったら恥ずかしがって拒否したくせに、こっそりと名付けて呼んでいた名を。


了解を示したら彼は微笑んで。


――魔力の接続が切れた。

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