三
「何? 脅し?」
「乱暴する人を通報するのは当然じゃないですか」
ほのかはにこにことしたままだ。あからさまに舌打ちが響く。
「さてと、飲み直しますか。空気悪くしてごめんなさい」
大丈夫ですか、と突き飛ばされた女性に手を差し伸べるほのか。猫被りなのはわかっているが、それでも女性は感謝した。
さて、どう料理してくれようか、と考えながら、ほのかは高めの酒を空けていく。人の金で飲む酒は美味い。
「桜さん本当に飲むね……」
「えへへ、美味しいですもん」
「おすすめとかある?」
「このカクテルとかどう? 基本甘いけど、ぴりっとスパイシーな香りがするんです」
「頼んでみる!」
女性陣からの歩み寄りが見られてきたが、ほのかは交友を深めるつもりはない。あくまで、今回の目的である、男の財布すっからかん作戦が面白そうだから協力しているだけである。何にせよ、人の金で飲む酒は美味いので、楽しく飲んでくれるなら、そこへの協力は惜しまない。それだけだ。
そろそろ切り上げないと可哀想かな、と思うことはないほのか。ショットグラスを次々空けながら、仲良くなっていく男女たちを眺めている。仲良くなっていくので、これ最後に情が湧いて女性陣がお金を出すことになりはしないか、とそういう心配が出てきた。そうなったら話が違うので助けてはやらないでおこう。
あまり心配はなさそうだが。男性陣にまとも枠はいるのだろうか。真面目くんは「酔いどれフェチ」なので少々期待はできない。
あと、先程のことで、紐女発言の男は完全にあぶれた。チャラ男と男二人で黙々とナッツを食べている。惨めそうで愉快だ。
ただ、そろそろ時間が時間なので、お開きの雰囲気になる。まあ、お酒が美味しかったのでほのかは概ね満足である。
「じゃあ、男全員で割り勘ってことで」
いくらかなー。うっきうきのお会計である。
会計で告げられる合計金額。青ざめる男性陣。もちろん、ほとんどがほのかが飲んだものであるが、ほのかが他の人たちに勧めていたのもちょっとお高めである。しかもテキーラタワーもあったことを忘れてはいけない。
まあ、割り勘なので、どうにかなるだろう、と思っていたのだが、男性陣は揉め始めた。
「六で割って……何万……?」
「テキーラタワーの分だけ女子に出してもらうか?」
「そんなに金持ってないよ、俺」
「紐共が金持ってきてるわけねえだろ……」
案の定地雷を踏み抜くやつがいた。馬鹿だなあ、と思いつつ、女性陣の動向を伺う。
一人が件の発言をした男の顔面に財布をクリーンヒットさせる。金具がなかなかいい音を立てた。
「財布はアクセサリーじゃないのよ。まったく」
ばん、と中から万札を何枚か出す。まあ、テキーラタワーに関してはホストクラブではないので、これくらいあれば足しにはなるだろう。
いつの間にか女性陣が一致団結している。
「切った見栄も張れないやつなんてこっちから願い下げ」
「変にプライドがあるやつも腹立つしね」
「酔いどれフェチとか気持ち悪い」
悪口合戦が開幕。女って怖いなー、と他人事に構えつつ、ほのかは悠斗に連絡した。もちろん気づかれないようにではあるが。
言いたい放題言われて、半泣きだったり、苛立たしげだったりと反応は様々だったが、結果、男性陣はきちんと会計を済ませ、お開きとなった。女性陣と男性陣、見事に分かれての帰宅である。
財布がすっからかんになったかはわからないが、まあ楽しく飲ませてもらったのでよしとしよう、とほのかも帰ろうとしたとき。
ぐい、と誰かに路地に引っ張られた。紐発言男だ。
「なんですか?」
「おかしいじゃねえか、今回の合コン」
ん? と思った。そういえば名目は合コンだった。ほのかはすっかり忘れていた。まあ、覚えていたとして、同じことを言っただろう。
「わたしに言われましても」
「一番おかしいのはお前だよ。合コンだっていうのに、誰とも話そうとしないでよ」
「人数合わせで呼ばれましたからね」
「はあ!?」
言わない方がよかったか、と思うが、覆水盆に返らず。出た言葉は返らない。人数合わせなのは事実だし、後ろめたいことは何一つない。
「なんでお前が人数合わせなんだよ、おかしいだろ!? あの中で誰よりも恵まれた容姿のお前が」
「黙ってくれます?」
恵まれた容姿。それは元々、ほのか自身のものではない。整形をした、と最初に言ったはずだ。
女性の整形カミングアウトがどれほど繊細な問題か、この男はわかっていないらしい。人を簡単に紐とか言うのだから、それも当然かもしれない。
そう思って睨み付けていたら、いきなり顔を引き寄せられた。嫌な予感が悪寒となって背筋を駆け巡る。暴れようとしたが、遅い。
唇に知らない体温が引っ付いてきた。ぬらりとして気持ち悪い。男の臭いに脳がパニックを起こす。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い嫌だ嫌だ嫌だ。
絶望感から、薄れていく意識の彼方で、「ほのかちゃん」とよく知る声が聞こえたのを最後に、ほのかは気を失った。
ほのかが気づいたのは、病院でのことだった。窓から射す日差しが眩しい。
「あ……またやっちゃったんだ……」
両腕にぐるぐると巻かれた包帯。怪我の固定目的ではない拘束具。
ほのかは何か精神を病むと意識を飛ばして自傷するらしい。意識を飛ばしていないこともあるが、今回は飛ばしてしまったらしい。
「ああ、また先輩に嫌われるかな……嫌だな……」
こんなわたし、死んじゃえばいいのに。
そう呟いたら、涙があふれた。
「ほのかちゃん」
さめざめと泣いていると、聞き慣れた声がした。そちらを向けば、悠斗がいた。
「橘……先輩……」
「よかった、目を覚まして。よかった……」
ぼろぼろと涙をこぼし、崩れ落ちる悠斗。
「ほのかちゃん、お願い、もうどこにも行かないで……君を守るから。君を傷つけるもの全部に指一本だって触れさせないから」
悠斗がそっとほのかを抱きしめる。
「そばにいて。しあわせになろう。二人で」
「……うん」
悠斗は、ほのかを見捨てたりしない。ほのかに悠斗しかいないように、悠斗にももう、ほのかしかいないから。
その事実がほのかの心の中を満たして、ほのかはゆっくり眠りに就いた。
自分でも微妙だと思うので、感想もブクマも推奨しません。
九JACK