王子に婚約破棄されて自殺した公爵令嬢が亡霊になって泥棒猫平民娘に取り憑いて、耳元で『殺すわよ』って言い続ける話
『あなたを殺すわ』
私ははっと虚空を見上げた。
耳を澄ませてみるが、すでに何も聞こえなかった。
「どうした、ノエル? 急に顔色を変えて」
確かに、今の声はアレクシア様の声だった――。
悪寒が全身に走り、気分が悪くなる。
「――いいえ、なんでもありませんわ、イーサン王子」
私が首を振ると、イーサン王子は私を心配そうに見た。
だが、私が何も語りたがらないのはいつものことだ。
「そうか……」と言って、イーサン王子は私の手を握った。
「ところで、僕らの婚約のことだけれども――正式な公表はいつにしようか」
イーサン王子はなんでもないような口調で言った。
「あんなことがあった手前申し訳ないんだけど、もう半年も結論を先延ばしにしているから。父上や母上も僕や君のことを心配してくれている。君の体調が優れないのはわかるけれど――」
イーサン王子は焦ったような、不安なような、複雑な顔で言った。
「わがままを言わせてもらえるなら、僕は一刻も早く君と婚約したい。君さえ頷いてくれれば、いつでも式は挙げられるんだけどな……」
気遣わしげな声だったが、私の右手を握る力が強まった。
今日こそは未来につながる話がしたい――そう主張するイーサン王子の手。
私は、その手を握り返そうと思って果たせず、逃げるように顔を背けた。
「申し訳ございません。アレクシア様の件もあって、今はまだ――」
そうか、とイーサン王子は言った。
イーサン王子は落胆の表情をもはや隠さなかった。
別に、体調が悪くて婚約をためらっているわけではない。
イーサン王子は、王子という地位を除いても魅力的な男性だ。
優しいし、理性的だし、伴侶として申し分ない人だと思う。
他の人間なら、彼から愛を囁かれた時点でそれを断る理由はなにもないはずだった。
だが、私にはそれができない。
許さない人がいる。
『殺すわよ』――。
ときどき耳元に聞こえる彼女の声がそう告げるのだから。
この所、アレクシア様の声は前にも増して大きく、そしてハッキリと聞こえるようになってきていた。
『ノエル――あなたを殺す』――。
地の底から湧いてくるような、恨めしそうなアレクシア様の声。
私が彼と話しているときも。
手を握り合っているときも。
肩を並べて散歩をしているときも。
私の心が揺れ動く、その瞬間に。
『殺すわよ』――。
私たちを咎めるように、亡くなったアレクシア様の声が耳元に聞こえる。
はっと私が振り返ると、そこにはもちろん誰もいない。
ただ、アレクシア様が生前つけていた香水の匂いだけが微かに漂っている。
その匂いは、イーサン王子には感じられないらしい。
声も、私にしか聞こえない。
彼女は私を恨んでいるのだ。
◆
私とイーサン王子は、王立の魔法学院で出会った。
私には生まれつき白魔法の才能があり、貴族しか入学できない学院には特例で入学した。
如何に身分の上下を口にするのが禁止である学園にしても、所詮はプライドの高い貴族社会の縮図。
平民であることを笑われ、生まれの卑しさを論われる毎日の中でも、私にはたった二人、親しいと呼べる友人ができた。
そのうちのひとりがアレクシア・バートレット公爵令嬢。
そうしてもうひとりが、イーサン・フューリアス第一王子だった。
アレクシア様と私は、魔法の話題で仲良くなった。
王家に次ぐ権力を持つ有力貴族・バートレット公爵家の令嬢であるにも関わらず、アレクシア様は分け隔てなく人に接し、人を身分ではなく人柄で見る誠実さを持った人だった。
三年の学園生活の中で、私たちは魔法の技術について切磋琢磨し合い、同じ趣味の読書の話で盛り上がった。
もう一人のイーサン王子は、そのアレクシア様の婚約者。
彼も彼女と同じく、王子である自分の身を誇ったりひけらかしたりするようなことはなかった。
婚約者の友人という立場で私とイーサン王子は出会い、学園時代はよく三人で食事したり、勉強会を開催していたものだ。
第一王子と公爵令嬢、二人の有力な友人のおかげで、私に対する他の令息令嬢の嫌がらせややっかみは徐々に少なくなっていた。
だが、その生活は突然、終わりを告げた。
卒業まであと一月、というときだった。
アレクシア様が、死んだ。
発見したのはイーサン王子だった。
私の無二の友人は、部屋で首を吊って事切れていた。
遺書もなく、思い当たる節もない、突然の死だった。
当然、私は何日も泣き暮らした。
特別に招待された葬儀でも泣き、墓石の前でも、私はどうしてと彼女に問い続けた。
卒業式に出ることも叶わず、私はふさぎ込み、何日も彼女を想って泣き続けた。
それから半年後。
君と婚約したい、とイーサン王子は私に言った。
その言葉に、私の心の中に湧いたのは、戸惑いではなく怒りだった。
あんなことがあって、貴方はどうして私を婚約者にするなどと言い出すのか。
第一、私は平民であり、王子の妃などにはなれない身分なのはわかっているはずだ。
今の貴方の言葉を聞いて、亡きアレクシア様がどんな気持ちになるかわからないのか。
あなたはアレクシア様の死が悲しくないのか――とさえ、私は好き勝手に王子をなじった。
イーサン王子は悲しそうな顔で、彼をなじる私の言葉を聞いていた。
やがて私の涙も声も涸れた時、彼は小さな声で言った。
アレクシアを殺したのは僕だ。
イーサン王子はそう言った。
私が驚愕していると、イーサン王子は続けた。
この三年で、僕はアレクシアではなく、君にはっきりと惹かれていた。
僕とアレクシアは婚約者で、許されないことだとわかっていた。
だが、僕は君への気持ちをどうしても抑えることが出来なかった
アレクシアは、きっと僕の心変わりに気づいていたのだと思う。
アレクシアが亡くなる前日、僕はアレクシアに呼び出された。
『殿下は彼女を――ノエル嬢を愛しておいででしょう?』
そう言われたと、イーサン王子は言った。
イーサン王子ははっきりと涙を浮かべていた。
泣きながら、頭を抱え、懺悔の言葉を吐いた。
アレクシアを殺したのは僕だ。
僕が彼女を殺した。
さっきまであんなに嫌悪していたのに――。
いつしか、私は泣きじゃくる彼の背中を擦っていた。
迷った末に、私は彼に結論を先延ばしにしてもらうことにした。
私は、友人を――アレクシア様を裏切ることに、踏ん切りがつかなかった。
だが私が支えなければ、彼は自責の念から潰れてしまう――。
そう考えたからというのは、結局は自分への言い訳だった。
私はアレクシア様とイーサン王子を天秤にかけたのだ。
天秤にかけた上で、私はイーサン王子を取ることにしようとした。
浅ましい自分への、薄皮一枚隔てた嫌悪感も、時が経てば消える。
私は愚かにもそれに期待していた。
だが、問題はすぐに起こり始めた。
『殺すわよ』――。
私に、アレクシア様の声が聞こえ始めたのだ。
最初は、聞き間違いかと思って気にしていなかった。
だが、日毎にアレクシア様の声だとわかるほどに。
その声ははっきりと聞こえ始めた。
意識を集中すれば、かなりはっきりと聞こえるその声。
聞き間違いではないとわかると、私は震えた。
アレクシア様が怒っている――。
私にはそうとしか思えなかった。
彼女は、彼女を裏切り、婚約者を奪った私を恨んでいる。
そして、婚約を受けたら殺す――そのように脅しているのだ。
◆
「――僕は、アレクシアが怖かったんだ」
二人で王宮の庭園を散歩していた時。
イーサン王子が、ぽつりと言った。
えっ、と私が彼を振り返ると、彼は遠い目をして言った。
「僕の母は薄幸な女性だった。父はあまり人の気持ちを斟酌したりする人ではないからね。侯爵家から嫁いできた後、母は僕と数人の弟を産んだ。父が愛妾の下を離れ、母に会いに来ることは少なかった。母は最後の弟の命と引き換えに死んでしまった。なにひとついい目を見ぬままに、ね――」
イーサン王子はそこで俯き、自分の足元を見つめた。
「この世にもし真実の愛というのがあるなら――僕はそれを知りたいと思っていた。母はどうすれば幸せに生きられたのか。父と母の間には本当に愛情はあったのか。あったとするなら、僕の記憶の中の母はどうしていつもあんな寂しそうな顔をしていたのか――僕はずっと考えながら育った」
誰にも言ったことがなかったであろうことは、私にもわかった。
少し早足で歩いて、イーサン王子は、庭園にあるベンチに腰掛けた。
ややあって、私もベンチの横に、隙間を開けて座り込んだ。
「僕とアレクシアは、十歳の時に婚約したんだ。彼女は僕には出来すぎた人だった。快活で、理知的で、優しくて――」
ならば、何故彼女を捨てようとしたのだ。
私の心の中で、そう彼をなじる誰かがいた。
でも、それは私ではなかった。
ほかならぬ私が、心のどこかでそれを良かったとすらと思っているから。
だからきっとそれは――私の声ではなかった。
「アレクシアのことは好きだった。けれどそれは十年経っても、僕の中で愛にはならなかった」
王子はそこにアレクシア様が立っているというように、虚空を見つめた。
「僕とアレクシアはどこまで行っても政略結婚だ。どこまで行っても、それは真実の愛じゃない気がしていた。僕は――僕の父のように、いつかアレクシアを母のように不幸にしてしまうのが怖かった。僕は彼女を愛せない。だから僕ではない誰かと結ばれてくれればそれでいいと思っていた」
私の心の中に、ハッキリとした苛立ちが立ち上った。
アレクシア様のこよない愛情を感じていないはずがなかったのに。
その愛が、何の曇りもないものだと絶対に気づいていたはずなのに。
それに耐えきれなかった?
愛情を疑っていた?
一体何を言っているんだ、この人は。
それはアレクシア様に対する最大級の侮辱だったはずだった。
「君が、僕に対して嫌悪感を持っているのも知ってる」
けれど――言えなかった。
言えるはずがなかった。
「でも、僕は思いを伝えることしか出来ない。僕は、君が好きだ、ノエル。たとえ君が迷惑だと思っても、僕は君のことが忘れられない」
そっと、イーサン王子は私の手を握った。
振り払おうとして――できなかった。
婚約者を裏切り、死に追いやった男なのに。
アレクシア様の仇とさえ言える男なのに。
『あなたを殺すわよ』――。
ふと――そんな声が聞こえた。
ああ、アレクシア様が来ている。
また私を見て、呪いの言葉を吐いている。
恐怖と自責の念に、心がずきずきと痛んだ。
私はぎゅっと目を瞑った。
アレクシア様。
やっぱり私は、ノエル・ハーパーは、あなたを裏切ります。
たとえあなたを踏み躙ることになったとしても。
たとえあなたに憑き殺されたとしても――。
私は、滲んでくる涙を堪えながら懺悔した。
◆
「婚約をお受け致します」
明くる日、私は意を決してそう言った。
イーサン王子は、ただ一言、そうか、とだけ言った。
そして私の肩を抱き、小さな声で、ありがとう、と言った。
『殺すわよ』――。
溢れる喜びはなかった。
耳元に聞こえる声は祝福してくれなかった。
ただ、苦い苦い後悔だけが胸に広がった。
私はアレクシア様を裏切った。
婚約を受けたことで、私は彼女を死に追いやった一人になる。
でも、それでもいいと思った。
「でも殿下、少しだけお時間をくださいますか?」
私が言うと、イーサン王子は不思議そうな顔で私を見た。
「この事を一応、アレクシア様の御霊前にも報告したいと思うんです。それだけは――赦してくださいますか?」
それは、贖罪の気持ちだった。
何の罪滅ぼしにもならないのに、私はまだアレクシア様に拘泥していた。
彼女は今も私にべったりと取り憑き、私に呪いの言葉を吐いている。
もしかしたら、私は彼女に憑り殺される運命なのかも知れない。
でも――彼女がそう望むなら、それでいいと思った。
お願い、というよりは、そうすると決めた私の言葉に、イーサン王子はわかったと頷いた。
◆
数日後。
私は、卒業した魔法学園の寮に来ていた。
彼女の霊が、もしいるとしたら。
それは墓前ではなくこの場所。
彼女が命を絶った、この場所だとしか思えなかった。
イーサン王子は彼女の部屋に入ろうとはしなかった。
過去の傷を直視させるのも申し訳なく、私は学園の外で王子を待たせることにした。
学園の関係者は、露骨に私の訪問を嫌がった。
それはそうだろう、あの事件は学園にとっては忘れたい事故だ。
だが、私は無理に無理を言ってあの部屋に通してもらった。
アレクシア様の使っていた部屋。
彼女がぶら下がっていた太い梁を見上げた。
私は深呼吸し、私が無意識に垂れ流している退魔の魔法を切った。
私には生まれつき、聖属性の魔法の才能があった。
その力は破魔の力でもあり、邪悪なものはある程度これで寄ってこない。
アレクシア様がもし私を殺そうとしているなら――これで会話ができる。
しばらくすると、目の前にもやもやとした人影が見え始めた。
約一年ぶりに出会う、アレクシア様だ。
『殺すわよ』
第一声がそれだった。
破魔の力を切ったせいで、その声はいつもよりハッキリと聞こえた。
私は全身の震えを堪えながら、アレクシア様に言った。
「――お久しぶりです、アレクシア様」
やはり、彼女はここに居た――。
私は最期を迎えた場所からどこへもいけない彼女の霊魂に深く同情した。
影は、相変わらず曖昧模糊としていた。
「アレクシア様。私は――イーサン王子と婚約しました」
そう言った途端、影にザザッとノイズが走った。
ああ、アレクシア様が怒っている、私にはそう思えた。
「アレクシア様、ごめんなさい。私は――あなたとはもう友人ではいられません。私が憎い、殺したいほど憎い、そうでしょう?」
私は唾と一緒に恐怖を飲み下しながら、はっきりと言った。
「そうであるなら、どうぞこの場で私を殺してください。私は、あなたに憑り殺されるなら文句はありません。でも――もしそうでないのなら。それでも私を赦してくれると言うなら」
私は涙を流してアレクシア様の影に言った。
「お願い、一度でいいから、私たちを祝福してください。都合のいい話だと怒ってくれてもいい、泥棒猫が何を言っているんだとなじってくれてもいい。でも、彼は私がいないと潰れてしまうかもしれない! どうか一度でいい、そのチャンスをください。でも、もしそれが絶対にできないと言うなら――私は今ここであなたに殺されます!」
私がそう言った途端だった。
むん、と濃くなった影の気配に、私は全身が粟立った。
そして、影は思いもよらないことを言った。
『彼はあなたを殺すわよ』
え?
私は影を見上げた。
何だって? 今アレクシア様はなんと言った?
『ノエル、騙されては――目。――彼は、イーサン――子は、あな――をも殺すわ』
あなた、をも?
私は瞠目した。
『私は彼――殺された。彼は普通では――あなたも殺すわ』
アレクシア様の声に、私の全身が恐怖とは違う理由で震え始めた。
『彼はあの日、私をここに吊るした――』
アレクシア様は嘘を言っている。
私はそう思った。
彼がそんな事をするはずがない。
そう反論したかった。
『彼と婚約してはいけない、あなたまで殺されるわ。逃げなさいノエル――』
影は、はっきりとそう言って、消えた。
薄暗い部屋に、私だけが残された。
気分が悪くなってきた。
考えもしなかった――否、どこかで考えないようにしていた事実。
アレクシア様が事故死ではない可能性。
でも、それは私の中ではどうしても形にならないことだった。
あのイーサン王子が、そこまでして私という平民の娘を一緒になりたがった。
そんな事は気持ち悪くて考えたくもなかった。
私は震えながら、部屋の中を見渡した。
彼女が嘘を言っていたとは思えない。
しかし――それはあまりにも受け入れるのが酷な話だった。
婚約者を、アレクシア様を、イーサン王子が自殺に見せかけて殺した。
あんなに優しい彼が。
あんなに己の軽率さを悔やんでいた彼が、一体どうして――。
「アレクシアの声を聞いてしまったんだね」
不意に――背後から声をかけられ、私はぎょっと後ろを振り返った。
そこに立っていたイーサン王子は、何故だか悲しそうに私の顔を見ていた。
あれほど恋い焦がれていたのに――。
私の身体は今やはっきりと戦慄に震え、イーサン王子の顔をまともに直視できなかった。
「もっと早く気づいてくれると思っていた。僕はずっと君に向かって叫んでいた。彼女を殺したのは僕だと――繰り返し」
イーサン王子は、すっきりとした表情で言った。
そして次に私の顔を見た。
「アレクシアは――僕の言うことに納得してくれなかった。何故私を捨てるのだと僕に泣いて食い下がった。可哀想な人だった。婚約破棄を受け入れてくれさえすれば、僕は彼女を殺さなくて済んだのに――」
イーサン王子は悲しそうに微笑んだ。
『僕が彼女を殺した』――。
彼から私と婚約したい旨を告げられた時――。
彼はずっとそう繰り返して、慟哭していた。
私はその言葉の意味を考えないようにしていたのかもしれない。
否――そんな可能性は考えたこともなかった。
彼は、最初から何ひとつ嘘など言っていない可能性。
彼はずっと、私に向かって罪を告白していた可能性。
「僕が彼女を殺した」――。
その言葉が、比喩でもなんでもなく、その通りのことを。
事実を繰り返し言い募っていただけだったのだとしたら。
ぞっ、と、私の側を冷たい空気が走り抜けた。
よろよろと後ずさった私の身体が、アレクシア様が生前使っていただろう机にぶつかった。
ペン立てが転がり、派手な音を立てて机の上に散らばった。
「僕はアレクシアが怖かった。それ以上に僕自身が怖かった。いつかあの快活で優しいアレクシアを、父のように不幸にしてしまう僕が――だから、いっそのこと他の誰かと幸せになってくれれば、僕はそれでよかった」
それも――繰り返しになる言葉だ。
だが、彼女はそんなイーサン王子の歪んだ思考を理解しきれなかった。
否――理解などできるはずもなかった。
「彼女は、僕との婚約を破棄するなら死ぬとまで言った。僕には彼女の言葉が理解できなかった。僕は彼女の幸せを願っていたのにね。伴侶としてではなく、友人として、かけがえのない人として。それなのに――」
どこか他人事に聞こえる言葉に、すっ――と、私の脳髄が冷えた。
それと同時に、私は理解した。
イーサン王子が、アレクシア様を殺したのだと。
私は震える声で言った。
「だから――アレクシア様を殺したのですか」
イーサン王子は眉ひとつ動かさずにその言葉を聞いた。
「心からあなたを愛していたアレクシア様を、あなたはこの梁からぶら下げたのですか? その時の彼女はどんな顔をしていましたか? 彼女はどんな風に死にました? 彼女を殺されて悲しむ私を見てどんな風に感じ、どんな気持ちで私に婚約など告げたのですか?」
私はイーサン王子に詰め寄った。
王子は悲しそうに笑った。
「僕は普通の人間じゃない。アレクシアがさっき言ったことは正しいよ。言い訳のしようもない。僕は卑しい殺人者だ。君がここに来てアレクシアの声を聞くと決めたその時から――こうなる覚悟は固まっていた」
イーサン王子は私を見て、まるで包容を待つかのように両手を広げた。
「残念だ、ノエル。流石に真実を知った以上、僕は君のことを生涯幸せにしてやれないだろう。だから――」
わかるね? と続けたかった声なのはわかっていた。
なにせ、真実を知った私はもう二度と幸せにはなれないから。
だから――今ここで自分に殺されてくれと。
王子の顔は、はっきりとそう言っていた。
『逃げなさい! ノエル、彼はあなたを殺すわ――!』
アレクシア様の声が大きくなる。
同時に、真実を知ってがらんどうになった私の頭に、ガンガンと耳障りな金属音が鳴り響いた。
イーサン王子が、ゆっくりと私の前に立った。
そして悲しげに微笑んだイーサン王子が、ゆっくりと私の首に両手を掛けようとした。
私は、身じろぎすることもなく、頭ひとつ分は高い彼の顔をじっと見つめた。
私の挙動に、王子は少し戸惑ったように私を見た。
「イーサン王子、実は私にもまだお話していないことがありますわ」
ん――? と、イーサン王子は目だけで私の顔を見下ろした。
私はアレクシア様が生前使っていただろう、小さなナイフのハンドルを手の中で握り直した。
「私も、きっとあなたと同じ、普通の人間ではないのでしょう」
「えっ――?」
「あなたは私があなたを愛しているから、婚約を受けたと信じている。私自身、悲しみながらもアレクシア様が消えたことを内心では喜んでいる、そうお考えでしょう?」
そう言った私の言葉に、イーサン王子の顔にはっきりとした動揺が走り、今まさに私の首を絞めようとしていた両手が強張った。
「私は――私があなたからの婚約を受けたのは、自分を罰するためでした」
「は――」
「私は――彼女が心底愛していたあなたを、彼女から奪ったから。それが私が婚約をお受けした理由です。一生後悔を抱えたまま生きれば彼女への贖罪になる、そう思っていました。ですが――」
それはもう必要ありませんね。
私はそう言って、機械的な動作で王子の首筋にナイフをあてがった。
「ノエル――!?」
「私がお慕いしていたのは、私が本当に愛していたのは――」
あなたではなく、アレクシア様でした――。
その一言に、王子の表情が一瞬だけ、魔法が解けたかのように弛緩し――。
次の瞬間、強い絶望と怯えの表情が浮かんだ気がした。
待て、とその唇から言葉が発せられる前に、私はナイフを握った手に思い切り力を込めた。
ズル……と肉を裂く感触が手に伝わったと思った瞬間、イーサン王子の顔から信じられない勢いで鮮血がほとばしった。
切り裂かれた喉から、ひゅーっ、と空気が抜ける音が発し、絶望と恐怖に硬直した王子の顔が赤黒く汚れていく。
痙攣しながら天を仰ぎ、膝をついた王子の身体が――やがてばったりと前に倒れ、どくどくと恐ろしげな勢いで流れる血が床に広大な血溜まりを作った。
ふっ、と私は詰めていた息を吐き出した。
顔にかかった鮮血を拭うこともなく――ふと私は気配を感じて横を見た。
ノイズ混じりの影が、私のしたことを見つめていた。
私はアレクシア様に告げた。
「申し訳ありませんでした、アレクシア様。あなたの友人は――最初からあなたを友人だとは考えてはいませんでした」
私は何の感情もこもらない声で言った。
「私は子供の頃からこういう子でした。どんなに仲良くなっても、どんなに一緒に過ごしても、男性に対してそういう気持ちを抱くことがなかった。むしろ嫌悪感さえ覚えていた。代わりに、そういう気持ちを抱くのは決まって女性ばかり――。自分が人と違うことにはすぐ気がつきました。だから――私は好んで孤独になりたがりました」
影に、再びノイズが走った。
彼女が動揺しているのがわかる。
「いくら意識しないようにしようと考えても、私の頭からはあなたが消えなかった。いけないことだと、おかしいことだと何度自分を叱っても――どうしようもなかった。私はあなたに微笑まれる度、あなたと一緒の時間を過ごす度、死んでしまいたいと思えるほどに幸せな気持ちになった。いいえ、それだけじゃない、もっと口にできないような劣情まで――」
影はもう、何も言わなかった。
「イーサン王子はとてもいい友人だと思っていました。ですが反面、あなたからこよなく愛されているイーサン王子が、私は気が狂うほど羨ましかった。私はどんなに乞い願ってもあなたの伴侶にはなれないのに――ただ婚約者であるという理由だけで、ただ男性であるというだけで、私があなたに抱いてはならない感情を口にする事ができる彼が」
そう、私は嫉妬していた。アレクシア様にではなく、常にその視線の先にいるイーサン王子に。
私と彼と彼女の関係は――思えば全く不幸な偶然の積み重ね以外の、なにものでもなかったのかもしれない。
私は言った。
「あなたは私がしたことをお許しにはならないでしょう。でも、それでもいい。私はあなたを――お慕い申し上げておりました、アレクシア様――」
ノイズが、ゆっくりと薄まっていく。
彼女はもう、何も言ってはくれないだろう。
すべてを悟って消えてゆくアレクシア様を、私はじっと見送った。
私は血まみれのナイフを床に放った。
イーサン王子はすでに事切れていた。
ただ、その傍らには――新たに現れたノイズの塊があった。
その不気味な揺らぎは、血溜まりの中に顔を押し付けたままの自分を見下ろし、それから絶望したように地面にへたり込んだ。
影が、再び声を発した。
『ノエル、愛しているよ――』
耳元にそんな声が聞こえた。
私は部屋を出る一歩を踏み出した。
『僕は君に幸せになってほしかった。アレクシアにも君にも、ただ幸せになってほしかっただけなんだ。愛してる、愛してるよノエル――どうかわかってくれ。僕はただ――』
私は今まで解いていた破魔の力を再び活性化させた。
それとともに、言い訳めいたイーサン王子の声はゆっくりと、扉の向こうに去ってゆくかのように小さくなっていく。
ノイズ混じりの声が、最後にたったひとつだけ意味を成して聞こえた。
『愛してるよ、ノエル』
私は、部屋のドアを開けた。
ここまで読んでいただいてありがとうございます。
なんか叙述トリックみたいな作品を書きたかったんです。
もしよろしければ、下の★★★★★から評価お願い致します。
【VS】
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