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婚約破棄された公爵令嬢は叫びたい

婚約破棄された公爵令嬢アグネス視点です

「アグネス・フォン・アスカニア、お前との婚約を破棄する!」


 ブランデンブルク王国学園の卒業生代表として挨拶を終えた後に、パーティーの開始を告げる役目のある人が、どういうわけか私──アグネス・フォン・アスカニア──を名指しして婚約破棄を突如突きつけて来た。


(ヨハン様が私の事を快く思っていないのは薄々感じてはいましたが──)


 この国の王太子であるヨハン・フォン・ブランデンブルクは、側近の侯爵令息ハロルド・フォン・ロートリンゲンが掲げ持つ書面を読み上げている。その内容は、シャルロッテ・ツー・ナウマンに嫌がらせをするアグネスは王太子の婚約者として相応しくないというものだった。時折、壇上からこちらを忌々しげに見下ろしてくるヨハンを諦念の思いで見ながら──アグネスは心の中で罵倒した。


(何故、今それをやるのですか? ヨハン様が婚約破棄したいのはよぉーく分かりました! でもそれ今、必要ですか? 急ぐ必要、ありませんよね!?)


 出来る事なら声を大にして罵倒したかったが、相手はこの国の王太子である。公爵令嬢であるアグネスが公の場でそのような事をすれば大問題になるので、脳内で留めた。


(婚約破棄はパーティーの後でも──いいえ、むしろ明後日以降にして下さい! 今、そのような事を今されると、大変マズイです!)


 アグネスは、ヨハンとの婚約を破棄されても全く構わなかった。

 とはいえ、政略結婚である。

 ごく稀に相思相愛になる事例もあるので、そうなれば理想的だったが、王が正妃とうまくいかず側妃や愛人を寵愛し正妃と微妙な関係になるのはよくある話なのだ。

 王太子妃になるべく教育をうけてきたアグネスにとって、側妃や愛人の存在は想定内だったからこそ、ヨハンとシャルロッテの交際について今までとやかく言うような真似はしなかった。

 だと言うのに──。


(何で今なんです!?  パーティーを恙無く開催し終了させるのが貴方の役目ですのに、自らそれを壊してどうするのです? ──というかハロルド様、何故お止めしないのですか! 側近の貴方がヨハン様を張り倒してでも止めるべきなのに、何故そこで子供じみた内容の書面を掲げ持ってドヤ顔しているのです!?)


 何故何故何故と、アグネスは叫びたい気持ちを抑えた。この茶番劇が丸く収まるのなら、自分が悪者にされても構わないくらいに。


「相談さえして下されば私もそれなりの対応をしましたのに……」


 思わず漏れ出た心からの呟き。

 (ヨハン)の望む婚約破棄を実現するには国王陛下とアグネスの父親であるアスカニア公爵を説得しないと出来ない事だった。しかもこの婚約は国王陛下から強く要請されたものだったので、陛下の許しがないと婚約破棄するのは不可能に近く、両家の妥協点を探す為に大変な根気と時間を要する案件であるのは予測できたし、面倒でも普通は正攻法で攻めるものでは? とも思ってしまう。

 アグネス自身は王太子妃という地位に固執しているわけではなかったので、誠意を持って協力を求められればそれなりの条件を付けて了承した筈だ。

 話し合って妥協点を見つければ、婚約も円満な形で解消出来た筈なのに、ここまで派手に騒ぎにしてしまったら後に引くことも出来ない。


「ルイーゼ様──」

「大丈夫よ」


 背後の方で密やかに発せられた声に、アグネスはビクリとする。


(この声は、ルイーゼ様と側付きのフリードリヒ様! ──ああっ、どうすればこれを早急に収められる!?)


 アグネスがシャルロッテを虐めたとする事例を列挙するヨハンの声が響く中、背後にいる二人の会話は続いている。


「でも、頭が痛くなる状況ではあるわね。生憎今夜から明日にかけてヴィースヴァーデン大公国の国葬があるから、彼の国と親交の深い国王と王妃は不在。その二人がいないから王太子はあれを決行した、とも取れるけれど」

「政略とはいえ婚約者がいる身でありながら己を律する事なく別の令嬢にうつつを抜かし、自分の不義を棚上げにして全て相手の所為にする方が卑怯では?」


 ルイーゼが語るように、ブランデンブルクにとってヴィースヴァーデン大公国は大変重要な同盟国なので、国王陛下と王妃陛下はヴィースヴァーデン大公国の国葬へ出席する為に今朝方国を出た。

 早朝、王太子の婚約者としてそのお見送りをしたアグネスは、国王陛下が第二王子フェリクスに「不在の間の留守を頼んだ」と伝えているのを間近で見ていたが──どういうわけか見送りの場にヨハンの姿はなかった。

 見送る直前、ヨハンとその側近のハロルドの不在を不思議に思っていたアグネスに、フェリクスの側近でありハロルドの弟でもあるヒューベルト・フォン・ロートリンゲンから二人揃って寝過ごしてしまっていると耳打ちされた時は唖然とした。

 王宮内の王太子の付きの人間であれば両陛下の予定も把握している筈なので、時間前にヨハンを起こして見送りの用意をさせないのは職務怠慢ではないかと小さく憤ってしまったのを急に思い出してしまい、アグネスは自分で自分の心を鎮める。


(今回のことでヨハン様の評価が著しく低下してしまうのは必至。帝国の龍姫様は、醜聞を進んで吹聴されるような方ではないけれど、ヨハン様がどのような人物かと聞かれたら忌憚なく語られるでしょうから、色々詰んでるかもしれない……)


 お妃教育で培った鉄壁のポーカーフェイスを保ちながら、アグネスは頭を抱えた。

 アグネスの背後にいるルイーゼは、ハイデンブルク帝国のカッセル侯爵家の令嬢としてブランデンブルク王国学園に中途の短期留学をしていたが、本当はハイデンブルク帝国の皇族で、『帝国の龍姫(りゅうき)』と呼ばれる稀有な存在だった。

 ハイデンブルク帝国は二千年ほど前に龍神ハイデが人間の女性と出会い恋に落ちたのを発端にして生まれたとされる歴史のある国で、建国の父とされているハイデが龍神だった故に、その子孫である皇族は魔力が強く長命な事で有名だ。

 寿命は個人差があるものの、ルイーゼの年齢は推定で二百歳ほど。女性に年齢を聞くのは失礼になるので直接聞いたりするのはさすがに出来なかったが、彼女の見た目年齢は十代後半くらいで、真っ直ぐな黒髪に翡翠の瞳をした──現在は魔法で髪と瞳の色を焦げ茶色にしているそうだ──とても存在感のあるたおやかな女性だ。

 ルイーゼは帝国の重鎮の一人でもあるが、公正で柔軟な見方をするのでご意見番として各国の要人から相談されることも多々あるらしく、ルイーゼの支持者や信奉者も多い。

 なので、ブランデンブルク王国としては彼女の留学が公式なものでなくとも、ルイーゼは丁重にもてなさないといけないVIPの中のVIPなのだ。


「そうね。棚上げはダメよね。何もしていない人に濡れ衣を着せるのはもっと駄目。──学園長や教師陣はこの茶番を止めたくても相手が相手だから強く出られないのでしょうし……」

「それ以前に、あの王太子はルイーゼ様が出席する晴れやかな場を茶番で台無しにしています。何と愚かな……!」


(流石というべきか、帝国の龍姫様はこちらの事情も把握されていますね……。そしてやはりというか、ルイーゼ様付きの護衛騎士であるフリードリヒ様は当然お怒りになっておられる……)


 可能であれば、この場で大きくため息をつきたいアグネスだったが、それも許されない。


「ヴィースヴァーデンといえば、カールとアデリナが移動の準備は完璧ですと申しておりました」

「そう、相変わらず仕事が早いわね」


(帝国の龍姫様はヴィースヴァーデンの国葬に出席されるのですね。崩御された大公殿下とも懇意にされていたという話もあるので、出席されるのは当然の事かもしれませんが。──え。待って! 何故、アンドレア様とカレン様のお名前が出て来るのですか? え。まさかお二人の事をご存じない⁈)


 ルイーゼとフリードリヒの会話を聞きながらも、ヨハンの断罪も律儀に耳を傾けていたアグネスは、アグネス個人の話だったのがどういうわけか外交問題へと発展してきたので、平常心を装いながらも泣きそうになった。

 名前が出た二人も、背後にいるルイーゼより劣るものの、VIP級の令嬢だった。しかも、シャルロッテとは全く接点が無かったのでアグネスは強く否定したかったが──というよりも、ハロルドはヨハンが読み上げている書状の作成をしている筈なので、推敲時に気付いていないといけない案件である──下手に介入すると余計に拗れそうだったので、アグネスは言い出せずにいた。


「本当に、愚かね……」


 ルイーゼの呟きが聞こえたらしいヨハンが、「そこの令嬢、何か言いたそうだな」とルイーゼを睨み声をかけてきた。

 一瞬、何が起こったかわからなくて、アグネスはヨハンの視線の先にいるルイーゼの方へ思わず振り返る。背後で交わされていた会話に耳を傾けながらも、『帝国の龍姫』様の話を盗み聞いてしまっているような状況だった事から、畏れ多くて振り返ることができなかったのだ。


「!」


 振り返った先のルイーゼは、瞳に怒りを宿すフリードリヒを片手で抑えて一歩前へ進み出た出たところで、彼女の焦げ茶色の目が合ってしまったアグネスは、ヨハンがした事を脳がようやく認識してぎゃあと叫びそうになり両手で口元を覆った。


(ルイーゼ様に今、「そこの令嬢」って言った!? ──まさかヨハン様、『帝国の龍姫(りゅうき)』様の事をご存じない!? )


 パニクっているアグネスに気付いたらしいルイーゼが「落ち着いて」と唇だけ動かして宥めてくれたお陰ですぐに我に返ったが──その時アグネスは気絶できたら気絶したい気分だった。


「ルイーゼ・フォン・カッセルですわ」


 鈴を転がすような声が響き、ルイーゼが壇上のヨハンに向けて完璧な淑女の礼(カーテシー)をしたのを目にしたアグネスは、思わず壇上の学園長の方を見た。学園長の方もアグネスの表情から察したのか否定するように首を横に振る。

 そのアイコンタクトでアグネスは、ヨハンは『帝国の龍姫』であるルイーゼの事を聞いている筈だが、ヨハンの方がその重要性を認識しないでそれを聞き流したのでは、と推測した。


(待って待って待って!)


 そうしている間に来賓の一部がルイーゼの存在に気付いて驚愕し、アンドレアとカレンの名前が出た時に青くさせたと思われる顔を白くして──中には『帝国の龍姫(りゅうき)』に現在進行形で無礼な態度で接する王太子に憤慨し、顔を赤くしている人もいた──ルイーゼに視線を定めたままフリーズしていた。それをまざまざと見せつけられたアグネスは叫びたくなったが、目線をルイーゼの方へ戻すとヨハンを睨むフリードリヒの姿が目に入り、戦慄する。


(フリードリヒ様、かなりお怒りですね……)


 身分を隠していたとはいえ『帝国の龍姫(りゅうき)』と呼ばれる尊き存在であるルイーゼに淑女の礼(カーテシー)をさせたのだ。側付きの騎士である彼が怒るのも無理はない。

 ルイーゼが非公式で短期留学している現状では大事にはできない事と、ルイーゼがヨハンの言動を現状不問にしているからこそ、フリードリヒはその意向を汲み取り強く出ずにいるようだった。本来であれば、国の格式が上のハイデンブルク帝国の皇族であり彼の国の重鎮であるルイーゼに対し、ブランデンブルク王国の王太子の方から紳士の礼をしなければならないのだ。

 この時点でヨハンは、自覚のないまま礼儀を欠いてしまっていた。王太子としてルイーゼの存在を把握していなければならなかったというのに。

 それだけではない。

 今期はルイーゼが留学する情報を得て、彼女とのコネクションを作る目的で学園へ編入して来た他国の高位貴族の令息令嬢が何人もいるのだ。ルイーゼだけでなく、アンドレアとカレンの留学もあったので、今期は編入の条件が常時よりも厳しくなっていたのでかなりの数がふるい落とされていたし、編入できた幸運な留学生は身元の確かな令息令嬢ばかりである。

 今回の騒動の一部始終を目撃した彼らが、卒業や休暇をきっかけに帰国して母国へ情報を持ち帰る事を考えると──しかも、タイミングが悪い事にヴィースヴァーデン大公国の国葬もある──ヨハンの()()()()があっという間に各国へ伝わってしまう事が予想できた。


(ここまでされてしまった後ではフォローのしようが無いです……)


 アグネスは匙を投げた。


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