5 かわいそうな子供
突然の騎士になります宣言には、さすがの父も面食らったようで、柔らかく微笑んでいた顔のまま目を瞠っていた。ドアの脇に立つククランなんてこれでもかと大きく目を見開き、わたしを凝視している。無理もない。病弱でベッドからでることさえ稀だったアリシアから騎士になるという言葉がでるなんて誰が予想できるだろう。
「アリシア、自分の体のことはわかっているのかい?」
「承知しております、お父様。この体は少し動いただけで力尽きるほど弱いものです」
「ならばわかるだろう。アリシアに騎士は無理だ」
「そうでしょうね」
「ならば、なぜ騎士になるなど?」
長い沈黙の果てに紡ぎ出された優しい声は否定だった。現状から導きだされる結論は父の言葉を肯定するほかなく、理解しているならばとさらに疑問を持たれる。父やククランの反応はアリシアという少女を知っていれば知るほど当たり前なのだ。
わたしだって無理だなぁ、無謀だなぁ、と思う。最初は一般人ぐらいまでの体力を身につけようと考えていたが、それも難しいぐらいじゃないかと思うほどに、この体はポンコツだ。出された食事は完食しているけれど、それさえも実は苦しかったりする。胃が小さいのと、消化機能が弱まっていて受け付けないのだろう。そんな状態であるのに騎士になりたいという希望は、どう考えても実現不可能でしかない。
だけど決めてしまった。
手記を読んで、ククランの話を聞いて、叶えたいと思ったのだ。
三冊目の手記の隠しページにあったアリシアの願いを。
「お父様、このままでは到底無理なお話です。だからわたしは、まずは地道に体を鍛えて活路を見出そうと考えています」
騎士になる。それを実現させるためには両親を味方につける必要がある。味方でなくても、協力してくれるよう説き伏せなければならない。
語り出したわたしを、父は静か見つめている。真意を探っているように思う。覚悟が問われている、とも感じる。あまりの視線の強さに尻込みしそうになるけれど、ここが勝負どころだ。思いを伝えきらなければこの先はないだろう。
神妙な顔を作り、突き刺さる視線に応えるようにして父を見る。
「そのためには、周囲の協力が必要不可欠でしょう。協力を得たとしても、……十分な成果は得られないかもしれない。それでも、みんなに否定されるとわかっていても、わたしはこのまま、ベッドの上で一生を過ごすことがいやなのです」
「アリシア……」
ぐしゃり、と鎮痛な表情をする父は思わず目元を覆った。ククランはすでに号泣している。嗚咽を堪えてはいるけれどものすごい大号泣っぷりで、侍女として大丈夫なのか心配になるほどだ。それほどこの言葉がアリシアからでてきたことが、奇跡に近いのかもしれない。
まぁほとんど演技なんだけど。
だれだってベッドの上に一生はいやじゃない?
体を動かすことはもともと好きなほうだったし、そのうち体力作りはしようと考えていたのだ。遅かれ早かれ似たような提案はするつもりだった。
それが騎士になるという目的をもっただけで。
わたしの考えたルートに、大幅な変更はない。
「アリシア、お前の気持ちはよくわかった」
ずっと目元を覆い、俯き気味だった父が顔を上げた。涙の後はないけれど潤んでいるし、少し充血しているようにも見える。子供の前だからと我慢したようだ。
ごつごつとした手が伸びて、わたしの両手を掴む。包み込むように優しく握る父はにっこりと笑っていて、どうやら成功したようだと内心ほくそ笑んだ。
「お前の体のことはどうにかしたいと、父も常々考えていたんだ。しかしお前の意思を無視していろいろ行っても良い成果は得られないからね、ついぞ父は見守るだけになってしまっていた。許してほしい」
「お父様、謝らないでください。わたしがわるかったんです」
手記から読み取る限りだが、アリシアは現状維持以上を望んでいなかったように思えた。わたしの推測でしかなかったそれが、いま確定した。
子供に対してデロデロに甘い両親だから、どうにかしたくてもアリシアの意思を尊重したのだろう。ガララン先生とはよく話し合っていたみたいだけれど、ヤキモキしていたに違いない。
「そのようなことをいうな。私は嬉しいのだから」
「ありがとうございます。それではお父様、」
「あぁ、全面的に協力しよう。騎士になるかは今後次第で相談だ」
おっとお許しはでなかったか。それもそうか。にわか知識しかないが、公爵令嬢ならば王妃教育など受けていてもおかしくない立場である。そうでなくても深窓のお嬢様として淑女教育が徹底的になされるはずだ。公爵令嬢が騎士とは前代未聞といっていいだろう。許可はとりにくそうだ。その前に、この体をどうにかすることが先決か。
父の手をぎゅっと握り返して、笑みを浮かべる。ククランはやっと泣き止んだみたいで、満面の笑みを浮かべていた。顔に出過ぎだけど侍女として大丈夫か。
「さっそくですが今後なんですけど、」
「あぁ父に任せておけ」
いや話聞けよ。
父は笑みを深くし、ざっと立ち上がる。勢いのよさに目を丸くしていれば、父の目は爛々と輝いていた。先ほどとの変わりようにちょっと怖い。
「ククラン、ガララン先生に連絡を。早急に私の執務室までくるようにと伝えてくれ。内容はアリシアの今後についてだ」
「かしこまりました」
「それから我が家の専属料理人も呼ぶように。食事療法について意見が必要だろう。同じように伝えてくれ」
「手配いたします」
「お、お父様?」
「アリシア、問題はない。まずはこの父に任せてくれ」
そう言い残し、父はウィンクをして退室していった。ククランも先ほどまでの感情の大波がなかったのごとく、侍女の顔で一礼してでていく。
さすが天使マリアの父なだけあって、ウィンクが様になる。二児の父であっても、この世界は結婚適齢期が早いのでまだまだ若く衰えは感じない。キザったらしさもなかった。顔が良いとは人生のアドバンテージだな、と改めて感心して見送ってしまった。母も美女なので、この世界は顔面偏差値が高めだと思う。乙女ゲームの世界観だから当然かもしれない。
ぼすん、と体をベッドに放り投げて、詰めていた息を吐き出した。
これでも緊張していたのだ。心臓がまだ強く脈打っていてうるさい。
最後まで反対されても自分で実行するつもりではあった。そうすれば子供に甘い両親のことだから、仕方がないと多少は力になってくれるはずだ。まずはそのぐらいでいい。
まぁ父がこの体について気を揉んでいたのはなんとなく察していたので提案に乗ってくるとは思っていたし、だめそうなら最後は泣き落とせばいいと考えていたけど。
しかし蓋を開けてみれば、今後の段取りまで父のほうで手配して全面バックアップである。できすぎなぐらいだ。即座にそこまでしてしまうほど、父はなにかしたかったのかもしれない。
うまくいくといいなぁ、と目を閉じる。緩やかに迫りくる睡魔に、意識を委ねた。
いまはたったこれだけのことで気疲れしてしまい、眠くなるほど体力がない。五歳のマリアが気を使うくらいだから、両親は見えないところで相当心配していたに違いない。ならば今日のわたしの言葉に、あれほど目を輝かせるのも無理はないような気がした。
「がんばんなきゃなぁ」
口からそんなことが飛び出たのを最後に、わたしは夢の世界へと身を沈めた。
泣く声が聞こえる。あーんあーんとやかしいとさえ思うけれど、母はそれを横目で見るだけでちっとも関心を持たない。下の子供を泣かすなと、いわれのない叱りを上の子供にしている。
百点満点のテストを見せても、ふーんという言葉だけで終わる。下の子供が八十点だったときは頭を撫で回して、褒めて、その日の夕飯は下の子供の好物だった。わたしはしてもらったことがない。
上の子供が受験になれば、そちらにかかりっきりで会話もなくなった。わたしが受験のときはひとりでやって、といわんばかりで、学校を指定するだけして手続きもなにもかも、将来の相談さえ受け入れてくれなかった。上と下の子供には、相談されなくても話し込み、鬱陶しがられるほどにあれこれと世話を焼いていたのに。
そんなことを、なんとなく話の流れで友達に話してみた。
『なにそれ、かわいそう』
同情するような目に、わたしは無理やり笑顔を作って笑った。
すぎたことだ仕方ない。
母は大変だったんだ仕方ない。
そんな感じの言葉を吐き出したけど、あんまり記憶はなかった。
どこもそんな感じだろうと思っていたが、間違っていたらしい。
わたしはかわいそうな子供だという。
かわいそうな子供。
その事実にわたしは、なんて感じたのだったか。
覚えていない。