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2 現状把握に努めましょう

 整理してみよう。

 丸い玉は神だという。そしてわたしは手違いによって死んだ。ちょっと納得できないけどこれはもうどうしようもない。不満を訴える相手とはおそらく二度と対峙できない。

 神がいう。

 別世界の子供として生きろと。

 しかもその世界が“剣と魔法が織りなすワンダーランド”だと。

 ふざけるなと思った。信じられないと思った。

 この世界はわたしがやりこみにやりこんだ乙女ゲームの世界だというのだ。

 つまりわたしはゲームの世界で生きることになったのだという。

 悪役令嬢の姉として!

「お嬢様、今日は少し顔色がすぐれませんね」

 わたし付きのメイドであるククランは心配そうにわたしの顔を覗き込んだ。眉尻を下げて心配そうに、つるりとしたわたしの額へ手を添える。少しだけ熱いと判断したのか、「少々お待ちくださいね」と笑って部屋をでていった。これ幸いとばかりに大きくため息をついて、肌触りが恐ろしく良いシーツから上半身を引き出して座る。さらり、とした金色の髪が頬を撫でた。

 腰まである金髪ロングヘアは見事にきれいなストレートだ。しかも瞳の色は父親とお揃いである榛色、くすんだ黄色だ。若干赤みが強いからか、光の反射で赤く光ることもあるらしい。自分ではわからない。まったく、◾️◾️◾️とまったくもって違う。毎日朝の支度で鏡を見るけども、あまりの違いに毎回驚いている。◾️◾️◾️は黒髪黒目だったからなおさらだ。

 あの神とかいう丸い玉と話をした日から、半月が経過していた。

 通信が途絶えたあとに待っていたのは、父と母と思わしき人たちの泣き顔と抱擁だった。正直まだまだ体は重たいし頭も痛かったから勘弁してくれ、なんて思っていたが、ベットから少し離れた位置にいた医者らしき人も安心した顔をしていたので、相当具合が悪かったらしい。よく知らない。なんていったってわたしはこの体の持ち主ではないから。

 どうやらわたしはネット小説でよくみた異世界転生というものをしたらしい。メジャーなのは前世の記憶が蘇ってとか、記憶を持ったまま生まれ変わるとかいうものだが、わたしの場合は違う。

 これは乗っ取りである。

 完全にそう。あの丸い神もいっていた。

 “同じタイミングで死んだ子供の体に吸い込まれた”。

 乗っ取りでしかない。

 ぎりっとシーツを握りしめて奥歯を噛み締める。体が負った怪我はまだまだ完治には程遠く、シワが残るほど強くシーツを握れもしない。か弱い子供の体だ。毎日の乗車率一二〇%な通勤電車で鍛えられた大人の体などではない。

 死ぬ前はそこそこ仕事して趣味を全力で楽しんでいた大人の女性であるわたしが、乙女ゲームの世界へ転生どころか子供の体を乗っ取るはめになるだなんて、誰が考えられる。誰が想定できる。あぁあの丸い神も予定外でミスだといっていたから誰も無理ですね!

 しかもその子供が“剣と魔法が織りなすワンダーランド”で登場する悪役令嬢マリア・ミッツェルト・オーグナーの姉!

 アリシア・コンライン・オーグナー!

 聖王国アリトルの二大公爵家のひとつであるオーグナー公爵家の長女!

 なぜよりにもよってこの位置なのか。

 そもそもゲーム内では寝たきりの病弱な姉がいるという設定ぐらいしか語られていない。公爵家の娘とはいえ病弱から社交界デビューもままならぬ、世間から忘れられた子供だ。名前なんて一切でてこなかった、モブオブモブのモブである。

 不可抗力だとはいえ他人の体を乗っ取ってしまった罪悪感で死にそうなのに、デブ・ワガママ・ヒステリーを揃えた悪役令嬢の姉だなんて、どうすれば健やかに生きれるというのか。

 わかんねぇよー!!

 目覚めてから半月、ずっと同じことを考えているが答えはでない。


***


「お嬢様、そろそろ先生がいらっしゃいます」

「わかりました」

 ククランに世話を焼かれながら、熟読していた手記をサイドテーブルの上へ置いた。わたしが乗っ取る前のアリシアはほぼ毎日の日記をつけていたらしく、それを読みあさっているのだ。分厚い手記は三冊ほどあり、いったい何歳から文字を書いていたのだろうと思う。周囲がいうにはアリシアは現在八歳らしく、その年齢といえば元の世界で少しだけ難しい文字などを覚え始める頃だ。アリシアは勉学に励むタイプだったのだろうか。

「こんにちは、アリシア様」

「こんにちは、ガララン先生」

「どこか痛いところはございますか?」

「いいえ」

「経過は良好のようですね」

 垂れ目垂れ眉の優しい風貌を持つ主治医のガララン先生は、ククランの祖父らしい。オーグナー公爵家に代々仕える医者の家系で、男性は医者もしくは騎士に、女性はオーグナー公爵家の侍女やメイドになるとのことだ。医者の家系だからといって必ず医者になるわけではなく、適正を見て将来を選ばせるらしい。もちろん女性にも選ばせるし、家を飛び出す人もいるとのことだ。貴族社会には珍しい柔軟な家系である。ククランの年の離れた弟とアリシアは乳兄弟らしい。

「先生、お嬢様に傷痕などは」

「残りません。そもそも傷はそれほどなく、強く頭を打ち付けていたのが原因です。治療が間に合ってよかった」

 触診していたガラランが目を細めて笑う。両家は深い付き合いをしてきたから、きっと孫のように思っているのだろう。わたしも笑い返して、誘導されるがままにベッドへと潜り込んだ。

「それでは私は旦那様のもとへ行きますので、ククラン」

「はい、あとはお任せくださいませ」

 ガラランは退室し、ククランも室内を整えたあとすぐに退室した。わたしは眠ったフリをして見送り、部屋のドアが閉じられたのを確認してサイドテーブルへ手を伸ばした。掴んだ手記は三冊目、ここ数ヶ月のものだ。

 ククランはまだ本調子じゃないのだからと、手記を手にするのにいい顔をしない。日課なのは理解するけれどいまは体を休めて欲しい、とのことだ。確かにな、ということで手記を読み返すだけにして、それほど体に負担をかけない約束をした。まぁそもそも日記など書くつもりもなく、読み返したかっただけだけれども。

 わたしがこの世界でまずすること、それはアリシア・コンライン・オーグナーを理解することと定めた。

 この世界へ来たことの経緯を聞かされているし頭では言葉通りで理解しているが、そんなものに納得ができないし感情が追いついていないのが現状だ。しかも転生どころか乗っ取りである。小心者のわたしとしては非常に心苦しく、ずっと頭を悩ませていた。そのせいで体の回復は好調なのに元気がないなど周囲をひどく心配させてしまった。

 いまさらなにをどう考えたとしてもどうしようもないので、さすがに割り切らなければ、と無理やり現状を飲み込んだのは数日ほど前。手記のことを知るのがその次の日。それからずっと、わたしは手記を読んでいる。

 不思議と文字の読み書きはできた。言葉も通じているのでその辺は問題ないようだ。この世界のことも、ゲーム知識で賄えない部分まで知っているのは、ボーナスかなにかだろう。あの丸い神がいう詫びに含まれていそうだ。

 手記を読み解く限り、アリシア・コンライン・オーグナーは体が弱く、常に伏せっている子供だった。ほぼ毎日のように綴られているそれは、食事の好き嫌い、読んだ本の感想、窓から見える景色、ククランとの会話、父や母のこと、妹のこと、そのぐらいの些細なことばかりである。

 ひどく狭い世界だ。

 一冊目を読了したとき、そう思った。二冊目を読了しても手記の内容はそう変わらず、わたしの感想に変化もない。三冊目でも、やはり他の二冊と代わり映えのない内容だった。ひどく狭く、寂しい。でも、それがアリシアのすべてだった。

 冬の木枯しを思うような手記だったが、アリシアは一生懸命に生きていた。たった三冊だったけれど、十分にわかった。こんなよくわからない状況で、アリシア自体は死んでしまったけれども、アリシアが大切に思う家族のために生きてみるのもいいな。なんて、三冊目を読み終えたときにはそんなことを考えていた。そもそも死にたくないのでそれしか方法がないということもあるけれども。

 問題は。

「おねぇさま……」

「はい、マリア」

「ちかくにいってもいい……?」

 三冊目の手記を閉じたのと同時に、ドアがわずかに開いた。目を向ければマリア・ミッツェルト・オーグナーが隙間からこちらを伺うように見ている。

 遠慮がちの声に応えれば、マリアは顔を喜色に染めてあげて走り込んでくる。母とそっくりな美しい緑の目に長めのまつ毛、ゆるいウェーブがかかった美しい金の髪。ふっくらとした頬は桃色に染まって愛らしい。悪役令嬢といっても、マリアの容姿は子供の時から抜群に良かった。

 正直にいおう。

 めちゃくちゃかわいい。

「おねぇさま!」

「なんですか?」

「おからだはもうへーき?」

「えぇ、だいぶ良くなりました」

 アリシアは誰に対してもゆるい敬語で対応していたらしい。敬語を使わなくてもいいといわれたがなかなか難しいと手記にあったので、それを続行している。もともとのわたしは口が悪いので、ちょうどいいだろう。

「よかった!」

 ベッドの端に両腕を乗せて身を乗り出し、笑うマリアは非常にかわいかった。天使か。これがデブ・ワガママ・ヒステリーに育つのかと思うと泣いてしまいそうになる。

 マリアは本当に嬉しそうに笑ってわたしを見上げる。微笑み返しながら頭を撫でると、ふにゃりと破顔するのでわたしも笑みが深くなるというものだ。世界一可愛いといっても過言ではない。実際、父や母はマリアを溺愛しているし、アリシアも可愛がっていた。それがデブ・ワガママ・ヒステリーになるなんて……いや待てよ。

 にこにこと今日あったことを拙い言葉で話すマリアを見る。ベッドの上で目を覚ました日に真っ先に見えたのはこの子の目だ。ククランがいうには、毎日のようにアリシアの様子を見に来ていたという。よく話すようになったいまは体に障るからと数日に一度になったが、必ず定期的に様子を見に来てくれるお姉ちゃんっ子だ。変哲もない、かわいい女の子だ。デブ・ワガママ・ヒステリーの要素はどこにもない。そう、現段階ではどこにもない。

 ならばこのまま適正な教育を施せばいいのでは?

 そういえば自分のことで精一杯すぎて悪役令嬢の役割を忘れていた。

「おねぇさま?」

「あ、うん、聞いていますよ」

「うーん、マリーきょうはかえるね!」

「わかりました。また明日」

「うん! またあした!」

 別のことを考えていたのに気づかれたらしい。ちょっと不服そうにしながらも、体調を気遣って退室していった。うん、聡明な良い子である。ならばなおさら、適正な教育を施してフラグを回避をしてみてもいいのでは、という気持ちになる。マリアがゲーム通りに悪役令嬢になったら彼女は死ぬことが確定しているし、オーグナー公爵家の面々を知ったいまでは、それはさすがに後味が悪い。

 幸いゲーム知識はほぼそのままあるように思う。あとで“剣と魔法が織りなすワンダーランド”について書き出してまとめてみよう。

 明日以降の予定を決めて、膝の上に置きっぱならしだった手記を抱きしめた。

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