1 ようこそワンダーランド
がんがんと痛む頭に体を覆う倦怠感。くっそだるい、なんて思いながらうっすらと目を開けてみれば、美しいふたつの緑が真っ先に視界へ飛び込んできた。ぼんやりと眺めて数秒、ただでさえ滲んでいた緑の輪郭がさらにぼやけて、耳を劈くようなけたたましい音が鳴り響く。
「お姉さまああああああ!!」
うるっせぇ。頭が痛い。
「うわああああああん!! ああああっああああ!!」
いったいどうしたんだ。うるさい。
「マリアがマリアがだめだったのマリアのせいなのごめんなさいごめんなさい」
そうかそうか。うるさい。
「おねぇさましなないでぇ」
その言葉を最後に、騒々しい音は小さな泣き声に変わった。わたしは緩やかに瞬きをしながら、隣で泣きじゃくる小さな子供へと手を伸ばす。
相変わらず頭は痛いし体はなぜかうまく動かないし、意識も曖昧で意味がわからないけれども、この子供はわたしの心配をして泣いているのだ。とりあえず落ち着けさせることが大事だろう。
「しなないよ」
「おねぇさま……?」
無理やり動かした手は、子供が着るかわいいドレスの裾を掴んだ。本当は手を掴んでやりたかったけれど仕方がない。ひどく体が重たいのだ。
掠れた声でわたしを姉と呼ぶ推定妹。両眼を隠していた手はどけられて、緑がやっとこちらむいた。大きな目にふっくらとした頬。泣きじゃくっていたというのに可愛らしさは損なわれていない。ロングウェーブが美しい金の髪をした美少女だ。
「だいじょうぶ、しなないよ」
もう一度繰り返して、目を閉じた。沈みゆく意識を押しとどめるのも限界だった。
遠くから足音が聞こえる。またやかましい音が響いている。笑ってみせたつもりだけど、安心はできなかったかなぁ。それは残念だ。そう考えたのを最後に、ふつりと意識が途絶えた。
「はじめまして、▪️▪️▪️」
「は?」
声をかけられたのと同時に、目の前には丸い玉が浮かんでいることに気づいた。それ以外は真っ暗で、地面に立っているかもあやふやだ。
なんだこれ。
あまりのことに周囲を見回してみるけど、やはり真っ暗な闇しかない。
なんだこれ。
「▪️▪️▪️にとっては物珍しいようだね」
どうやら声は、淡く発光している丸い玉から発せられているようだった。じい、と見つめるが口なんてものはない。本当に丸い玉があるだけだ。一部分が聞き取れないが、どうやらわたしに話しかけているらしい(わたしと丸い玉以外いないので当然といえば当然である)。
「あぁ、君の名前はここでは識別できないようだ」
「なにそれ」
「名乗ってごらん」
「▪️▪️▪️」
いわれるがままに名前をつぶやくと、自分の口から変な音がでた。言葉になりそこなったような音だ。思わず喉をおさえてもう一度名をいうが、やはり普段から聞く音にならない。
「なにこれ……」
「君は元の世界で死んでしまったんだよ」
「は?」
丸い玉は淡々という。
わたしが死んだ?
なぜ。
「死因は、まぁいいだろう。関係がないから」
よくないんだけど。
「知りたいのかい?」
そういわれると、別にどうでもいいような気がした。
「ていうか、さっきから人の考えを読んでない?」
「私にとっては些細なことさ」
「プライバシーの侵害なんだけど」
「些末なこと」
言い方変えただけでしょ、それ。
「そうだね」
「……気分が悪いので口にだしていくことにする」
「そうか」
「わたしが死んだってなに? 部屋で寝てただけだと思うんだけど」
そう、わたしは日課のゲームを切り上げたあと、ベッドに潜り込んだ。最近夜が冷えるからしっかり毛布をかぶって、真っ暗な部屋で眠気がくるまでスマートフォンでネット小説を読みあさっていたはずだ。目が悪くなるとはわかっていてもやめられない一種の趣味で、次の日は休日だったから寝落ちするまで楽しむ予定だった。これが夢だというのなら、予定は達成されたものとなるが。
「夢ではないよ」
「そう。わたしが死んだのも?」
「夢ではない」
丸い玉はやはり淡々と繰り返した。
「寝ている間に隕石でも直撃したのかよ」
「似たようなものかな」
「いやそんなバカな」
「死んだいま、それは重要?」
丸い玉は問いかけているというのに、ちっとも疑問に思っていないような声だ。あまりにも平坦な声音に、ぐっと眉間にシワがよる。気味が悪い。
「本題といこう。君は死んでしまった。これは予定外のことでこちらのミスだった」
「こちらって?」
「世界を管理する神の領域」
「はぁ?」
「続けるよ。君の死は想定外だった。だから対処が遅れてしまった。その隙に君の魂は同じタイミングで死んだ別世界の子供の体へと吸い込まれてしまった」
意味がわからん。
「こんなことは前代未聞のレアケース。我ら神々が話し合った結果、君をそのまま生かすことに決めた」
いや、だから意味がわからん。
「こんなにも丁寧に説明しているのにわからない?」
「神って宗教とかの偶像じゃないの? ってところから信じられない」
「信じる信じないは関係がない」
「ずいぶん勝手だね」
「わかりやすくいおう。君は死に、別世界でとある子供として生きることになる」
「あぁうんわかりやすい……けどなにそれ意味がわからな」
「こちらのミスなので最低限の説明はした。これ以上は魂に良い影響がない。君はそのまま健やかに育ち、生きてくれればいい」
「いやおいまじでお前」
「世界は君の好きな“剣と魔法が織りなすワンダーランド”だ。せめてもの詫びとして能力値はあげやすくしてある」
なんだって?
「では我々のために良き人生を」
テレビの電源を消すかの如く、空間が閉じた。同時に視界が天井らしきものへとすり替わる。あの丸い玉と対峙する前に見えたふたつの緑はなく、子供の金切り声もない。窓が開け放たれているのか、頬を撫でる風が心地よかった。
丸い玉はなんといっていたか。
世界は“剣と魔法が織りなすワンダーランド”?
あぁ、そう、なるほど。
わたしのだいすきな乙女ゲームのタイトルじゃないか。
いったいどうなってるんだ