Cafe Shelly ボランティア命
さてと、今日のスケジュールはどうなっていたかな?
仕事が終わろうとしている夕方の時間、私は手帳を取り出して自分の予定を確認する。
「今日はまちづくり委員会の定例会合だったな。えっと、場所は…市民活動センターか」
場所まで確認をして、私は自分の仕事の片付けをさっさと終える。
「長田さん、今夜これからみんなで飲みに行くんだけど。一緒にどう?」
同僚が私を誘う。が、すでに予定はある。
「ごめんなさい。今夜はまちづくりの会合に出席しなきゃいけないから」
「そうなんだ。長田さん、私たちの誘いは一回も出たことないよね。ホント、付き合い悪いなぁ」
「もっと早くに予定を組んでもらわないと。私も色々な会に所属していて、そっちの方で時間がいっぱいいっぱいなのよね」
そう、私が所属しているのはまちづくり委員会だけではない。今度ある地元の大きなお祭りの実行委員会にも所属している。また手話サークルや自己啓発の勉強会、それに子どもの貧困を救うための会にも所属している。そのおかげで私の夜、そして休日はこういった会の会合やイベントの出席でいっぱいになっている。だから同僚と飲みに行ったり、どこかに遊びに行ったりなんていう暇がない。
「長田さん、これについてはどうなってる?」
まちづくり委員会の委員長が私に資料の作成について訪ねてくる。この委員会、三十歳の私が一番若い。というか、私以外は50代以上の人ばかり。会長は昨年まで学校の校長先生をやっていた方で、退職してからこの活動に命をかけると豪語している方だ。けれど、パソコン作業についてはさっぱりなので、私が会長のサポートをしている。
「あの資料ならできています。あとは会長のチェックだけです」
「おいおい、できているんなら早くこっちに回してくれないと困るよ」
この会長、勢いと人脈、そしてアイデアは豊富。そして周りの人にはとても腰が低い。けれど私にだけは厳しく当たる。おそらく周りの人は自分と同年代か年上な中、私はぐんと若いため生徒のように感じているのだろう。
「はい、今日チェックをしてもらおうと思って持ってきています」
ふぅ、日中は会社の仕事でいっぱいいっぱいなのに。こういったボランティアの仕事は休日にやるしかない。私は他の活動でも事務局的な仕事を引き受けている。そのため私の時間は全てこういった活動に当てられる。だから彼氏なんて作る暇もない。
どうしてこうなってしまったのか?
私の父は、ボランティア命の人だった。家は自営業として雑貨屋を営んでいた。雑貨屋といえば聞こえはいいが、昔ながらの文房具屋に日用品を加えた、街中にある古い、どうして潰れないのかと不思議なお店であった。
実は潰れない原因がボランティアだったのだ。父は色々な会合に出ては雑用を引き受けてこなしてきた。その関係で、知り合った人はウチのお店を使ってくれるようになった。まれにそこそこの会社から大口の購入をもらっていたため、見た目はボロなお店でもそれなりにやっていけたようだ。
そんな父の口癖がこれだった。
「人はな、こちらから無償で動けば信頼をしてくれる。そのおかげでお店が成り立っているんだぞ」
小さい頃からその言葉に洗脳されて生きてきた私は、その父の教えのまま今を生きている。そのせいか、色々な仕事を引き受けても辛いと思ったことはない。むしろ私に対して感謝の言葉をかけてくれる人の方が多いため、その言葉を糧にしてさらにやってやろう、期待に応えてやろうという意識の方が強い。
けれど、ボランティア活動に参加していない人にとって、私の行動は信じられないようだ。
「そこまでやって、何が楽しいの?」
と囁かれている。
私から言わせれば、自分のことばかりを優先している人たちの方が信じられない。もっと世の中のため、周りの人のために動いてこそ、人としての尊厳が認められるんじゃないだろうか。私の父もそうやって周りから認められる存在だったからこそ、今も現役で仕事を続けているのだから。
けれど、そんな私にも困ったことが起きてしまった。
「長田さん、顔色悪くない?」
手話サークルでの勉強会でそう声をかけられた。もうじき大きな講演会があり、そこで手話通訳の依頼がきているためみんなで必死になって練習をしているときだった。私は今までの働きが認められ、この講演会でみんなの前で手話通訳をするメンバーの一人に選ばれていた。
「そ、そうですか?」
自分では気づかなかった。けれど、昨日あたりから調子が今ひとつだなとは思っていた。
「熱、あるんじゃないの?体温測った?」
「いえ…」
そう言われたが、体温なんて測ったことがない。頑丈なのが取り柄だと思っていたから。だが、そう言われた瞬間、意識が遠のいた。
次に気づいたのは、病院のベッドの上だった。ふと見ると腕には点滴が刺されている。私、どうしちゃったんだろう。
「長田さん、大丈夫?私のことわかる?」
声の方を向くと、手話ボランティア仲間でリーダー役の時長さんがいた。
「あ、はい、時長さん…」
「よかったぁ。突然倒れるから、記憶は大丈夫みたい、かな?」
「あ、はい。でも私、どうして倒れちゃったんだろう」
「長田さん、顔色が悪いって言われてたけど。でも熱はなかったのよね。ひょっとしたら過労かもしれないって。最悪脳梗塞かもって先生言ってたから、すごく心配しちゃったんだよ」
「そ、そうだったんですか。ご迷惑をおかけしました」
そう言って立ち上がろうとした。けれど思ったように身体が動かない。すごく重たく感じる。
「ダメ、今は無理しないで。とにかくしばらく安静にしてて。先生呼んでくるから」
そう言って時長さんは病室を出て行った。でもホント私、どうしちゃったんだろう。脳の方は大丈夫だと思うけど。疲れているのかなぁ。
そう思った時、病院の先生と時長さんが入ってきた。
「どれ、ちょっと診てみましょう」
そう言って先生は目の奥を見たり、聴診器を当ててみたり。
「ご自分のこと、わかりますか?」
「はい。長田陽子、30才。山際商事で事務の仕事をしています。さっきまでは手話サークルの練習会に参加していました」
「脳の方は大丈夫そうだね」
医者に脳は大丈夫と言われて一安心。けれど、身体は思ったように動かない。
「おそらく過労からきているものだと思われます。それに加えてこのところ暑いので。熱中症までは至らなかったようですが、疲れが知らず知らずのうちに溜まっていたのでしょう。今はとにかく休息を取るようにしてください」
「はい、ありがとうございます。長田さん、とにかく今はゆっくりしましょう」
ゆっくり。実はそうも言っていられない。明日の夜はまちづくり委員会の幹部会が開催され、そこで必要となる資料がまだ出来上がっていないからだ。手話サークルの勉強会が終わったら取り掛かるつもりだった。
「私、いつまでここにいればいいんでしょうか」
「それは先生に聞いてみないとわからないけど。何か用事でもあるの?」
「はい、作らないといけない資料があって」
「お仕事の?」
「いえ、まちづくり委員会の」
「そういうの、他の人に任せておけないの?」
「はい、ずっと私が引き受けてきましたから。それに他の人は私ほどパソコンを使えなくて。おじいちゃんばかりなんですよね」
「それで若い長田さんにそういった仕事を押し付けてるのね」
「いえ、私が自分から引き受けたことですから」
私がそう言うと、時長さんは黙り込んでしまった。そもそも私は今の生活を好きでやっているのだから。周りの人から何か言われても、これをやめようとは思わない。だって、世のため人のために動いているんだから。それに対して批判される意味はないはず。
「長田さん、今度の日曜日は何やってる?」
「日曜日、ですか?えっと、手帳を見ないとわからないですけど…」
「一時間くらいなら時間取れないかな?一緒に行って欲しいところがあるんだけど」
「行って欲しいところ?どこなんですか?」
「今の長田さんには癒しが必要だと思うの。だからそれにピッタリな場所を紹介しようと思って」
癒し、確かにそれは欲しい。会社の仕事とボランティアの仕事でいっぱいいっぱいだから。でも気がかりな点がある。
「そういう場所ってお金がかかったりするんじゃないんですか?」
「そうね、かかっても五百円程度かな」
その程度なら問題ない。
「わかりました。じゃぁスケジュールを確認して時長さんに連絡しますね」
「うん、待ってるね。じゃぁ今日はもうちょっとゆっくりしてから一緒に帰ろう」
「お時間、大丈夫なんですか?もう夜の九時を回ってますけど」
「私は大丈夫。車で送ってあげるね」
時長さん、なんて親切な人なんだろう。見た感じは六十歳を超えているのかな。子供が孫を連れてきたなんて話を耳にしたこともあるし。ご主人は何をしている人なんだろう。きっと時長さんの活動に理解を示しているから、夜遅くまで時間が自由に取れるんだろうな。
結局のこの日は夜の十時になってようやく家に帰ることになった。ボランティアと仕事を両立させることが、私の中での約束事だから。いくら過労でもボランティア活動を言い訳に仕事を休むわけにはいかない。そんなことを車の中で時長さんに話した。
「だったらなおさら、日曜日はあそこに連れていかなきゃ」
時長さん、ふふっと微笑んでそう言う。日曜日は一体どんな場所に連れていかれるんだろう?期待半分、不安半分だ。
翌日はまだ重たい体を引きずりながらも出社。そしていつものルーチンワークをこなす。けれど、動きは今ひとつ。そこを課長に指摘され、周りからも迷惑そうな顔をされた。だって仕方ないじゃない。私がやらないといろんな会合がうまく回っていかないんだから。みんなは社会奉仕なんて意識したことないでしょ。ほんと、みんな理解しないんだから。心の中でついそんな愚痴を言ってしまう私がいる。
なんだかモヤモヤとした気持ちを引きずりながら、仕事とボランティアをこなして日曜日となった。この日は朝一番に公園清掃のボランティアをこなし、休憩をして時長さんとは十一時に駅前の噴水で待ち合わせ。夕方からはお祭りの実行委員会で集まって、最後の詰めをしなければならない。今日も一日忙しい。
「お待たせー」
時間ぴったりに時長さんはやってきた。私は気持ちが焦っているせいもあり、十分前には到着していた。
「じゃぁ行きましょう」
ニコニコ顔の時長さん。歩きながら自分の話を始めた。
「私ね、旦那とは全く正反対の性格なの」
「正反対って?」
「旦那は仕事一筋の人でね、定年退職しても何かしていたくて、六十を越えても雇ってくれる企業に再就職。私は逆に自分の時間を謳歌したいから、定年になったら仕事から離れて、今の手話サークルと趣味の生け花をやってるわ」
「旦那さん、時長さんの趣味を理解されているんですね」
「とんでもない、私に呆れてるのよ。旦那は典型的な亭主関白で、飯、風呂、寝る以外の言葉は出さないような人なのよ。私がやっていることも勝手にしろって感じで、一切関わろうとしない人なの。だから好き勝手やらせてもらってるわ」
意外だった。時長さんって温厚な人だと思っていたけど、家庭だと自分のワガママを通しちゃう人だったんだ。
「あ、ここよ」
そうしているうちに連れてこられたのは、街中にあるとある路地。パステル色のタイルが敷き詰められている。この街に住み始めて十年は経つけれど、こんな通りがあるの知らなかった。そういえば街中を出歩く時間もなかったな。
そして時長さんが案内してくれたのは、その通りの中程にあるビル。そこの二階へと駆け上がる。私も時長さんに追いつくために、少し駆け足になっていた。
カラン・コロン・カラン
時長さんが扉を開くと、心地よいカウベルの音が鳴り響いた。それと同時に私の体はなんともいえない香りに包まれた。これ、コーヒーだ。それだけじゃない、その中にも甘い香りがある。なんだか突然異空間に突入したって感じ。
「いらっしゃいませ」
可愛らしい女性の声。ここの店員さんかな。
「いらっしゃいませ」
少し遅れて男性の渋い声が別方向から聞こえてくる。そこでやっと気づいた。ここ、喫茶店なんだ。
「お二人ですか?」
「はい」
「そうですね…では窓際のお席へどうぞ」
案内されたのは窓際の半円型の大きなテーブルのある、とても明るい席。
「前もこの席だったな。なんだか落ち着くのよね、この店」
時長さんが言う通り、案内された席に座るとなんだか心がホッとする。なるほど、こういう癒しを体験させたくてこのお店に連れてきたのか。
「このお店、とても変わったコーヒーを出してくれるのよ。体験してみない?」
「変わったコーヒー?」
「そう、きっと気にいると思うわ。すいませーん、シェリー・ブレンドを二つお願いします」
私が返事を返す間も無く、時長さんは注文を進めてしまった。まぁいいかな。でも、変わったコーヒーってどんなのだろう?
改めて店内を見回してみる。私たちが座ったテーブル席は四人がけ。すでに隣には若いカップルが座っている。お店の真ん中には三人がけの丸テーブル。ここは空席になっている。そしてカウンターは四席。常連さんなのだろうか、二人のお客さんがマスターと親しげに話をしている。
店内は白と茶色でシンプルにまとめられている。余計なものが無いって感じだな。その中でちょっと異質なのが、カウンターに置かれている色とりどりのボトル。これ、確かオーラソーマとかいうものじゃなかったかな。
「長田さん、あなたはどうして倒れるくらいまで一生懸命に動いてたの?」
急に時長さんがそう尋ねてきた。
「私がボランティアをやっている理由ですか?」
「そう、身体を壊してまでも貢献しようっていう気持ち。これは素晴らしいと思うの。でも、どうしてそこまでして人のために動こうと思うのか。それを知りたくて」
「そうですね、私の父がそうだったからかな。父は今も地域のために動いています。そのおかげで自分の商売が成り立っているんだって。父からはいつも無償で動け、そうすれば人からの信頼を得られるんだぞって言い聞かされてきました」
「なるほど、お父さんの影響なんだ。それで長田さんはボランティアを続けて、何か得るものはあったのかな?」
「得るもの、ですか?」
そう言われて悩んでしまった。確かに周りからの信頼は得られていると思う。まちづくり委員会では私が最年少者ということもあって、とても可愛がられている。その分、事務仕事は色々と回ってくるけれど。それ以外に何か得られているだろうか?
「時長さんは、手話サークルをやって何か得られるものってあったんですか?」
「私?私の場合はそうね、生きがいかな。六十を越えると生きがいを見つけておかないと、心が空白になっちゃうのよ。そこを埋めてくれたかな」
なんだか意外だった。時長さんは耳の聞こえない人のために手話サークルに参加していたとばかり思っていた。けれど、自分の生きがいのためにやっていたとは。
「うふふ、なんだか意外って顔してるわね。長田さん、まずは自分を満たすこと。これがとても大切なのよ。そうじゃないと、本当のボランティアはできないわよ」
「本当のボランティア?」
時長さんの言っている意味がよくわからなかった。ボランティアに本当とかウソとかあるのだろうか?
「ま、ここのコーヒーを飲んでみたら、その意味がわかると思うわよ。そうそう、ここのクッキーも美味しいのよ。すいませーん、さっきのコーヒー、クッキーのセットでお願いしまーす」
またまた時長さんは勝手に注文をすすめる。どうしてコーヒーを飲めばその意味がわかるのだろうか?いったいここのコーヒーにどんな秘密が隠されているんだろうか。
「そういえばさっき、長田さんのお父さんはボランティアをやることで仕事につながったって言ってたわよね」
「はい。そのおかげで周りからの信頼を得られたから、町の小さな雑貨屋でもやっていけるって言っていました」
「じゃぁお父さんも本当のボランティア、やっているんだね」
「父が本当のボランティアを?」
時長さんが言っている意味がまだよく理解できていない。じゃぁ、私がやっているボランティアはなんなのだろう?
「お待たせしました。シェリーブレンドとクッキーのセットです」
運ばれてきたのはコーヒーと白と黒のクッキーが一枚ずつ。
「白い方がミルククッキー、黒い方は黒ごまのクッキーです。コーヒーと一緒に食べると、面白い効果が見られますよ」
ウエイトレスの女性がニッコリと笑ってそう言う。一体どんな効果があるというのだろう。私は早速白い方のクッキーを口にして、すぐにコーヒーを口に含んだ。
すると、クッキーが溶けていくような感じで口の中に広がる。とても甘い。と同時に、私の頭の中である光景が広がっていた。
私は素敵な男性と腕を組んで歩いている。そこはバージンロード。結婚式だ。私、結婚願望がないわけではない。けれど周りにそういった対象となる人がいないだけ。職場も、ボランティアの場も。でも、いつかはこうやって素敵な相手を見つけて、バージンロードを歩いてみたい。その願望が急に蘇ってきた。
「お味はいかがでしたか。何か見えました?」
「えっ!?」
ウエイトレスの女性の声でハッと我に返った。
「私、あれっ、どうしたんだろう?」
「何か見えたようですね。どんなものが見えましたか?」
私の頭の中でバージンロードを歩く私の姿が見えていたこと、この店員さんはわかっていたのだろうか?不思議に思いながらも、なぜだか口から先に言葉が出始めた。
「私、結婚していました。素敵な彼と一緒に腕を組んで、バージンロードを歩いていて」
「それがお客様が今欲しがっている未来なんですね」
私が欲しがっている未来。そう言われればそうだ。そんな願望、すっかり忘れていた。いや忘れていたわけではない。心の奥にそれがあることは知っていた。けれど、そんなことよりもまずは目の前のことに一生懸命になることをずっと意識してきた。
「長田さん、すごくいいじゃない。わぁ、長田さんのウエディングドレス姿、見てみたいわー」
時長さんはまるで親戚のおばちゃんみたいな感じでそう言う。言ってしまって、ちょっと恥ずかしい気持ちが湧いてきてしまった。
「では、黒ごまのクッキーとシェリー・ブレンドもぜひご一緒に口にしてみてください」
言われるがままに、今度は黒ごまのクッキーを口に含む。さっきとは違って、今度は香ばしい香りがする。歯ごたえもさっきよりある。
「人はな、こちらから無償で動けば信頼をしてくれる。そのおかげでお店が成り立っているんだぞ」
コーヒーを口にした途端、お父さんの顔、そして言葉が頭の中で浮かんできた。さらに、お父さんがニコニコ顔で仕事をしている姿が思い浮かんでくる。これってどういうこと?特に印象深いのは、お父さんの顔だ。そう言えば仕事をしている時のお父さんって、いつもこんな笑顔だったな。
ここでふと考えた。私ってこんな笑顔したことあったかな?
「お味はいかがでしたか?」
再びウエイトレスの女性の声で我に返った。
「お父さんの笑顔が出てきました。これってどういう意味なんでしょうか?」
「お父さんってどういう方だったのですか?」
「ボランティア命で、いつもいろんなところでまちのために活動していました。そのおかげで実家の雑貨屋はそれなりに繁盛していました。お父さん、いつも言っていました。無償で働けば信頼をしてくれる。だからお店が成り立っているって」
「ということは、お父さんは本当のボランティアをやっていたんですね」
時長さんと同じことを言っている。本当のボランティアって、どういうことなんだろう?
「まずは自分を満たしなさい、そういうことよね」
「まずは自分を満たす?」
時長さんの言葉、どういう意味なんだろう?
「はい、ボランティア活動をしている人の多くがここを勘違いしているって、私思っているんです」
ウエイトレスさんの言う勘違いって、どういうこと?
「長田さん、あなたは結婚願望がある。これは間違いないわよね」
「えぇ、まぁ。私だって女ですから。いつかは素敵な彼を見つけたいなって思っています」
「でも、ボランティア活動でそんな暇がない。そうじゃない?」
「はい。でも自分のことよりも周りの人のために動くことの方が優先ですから」
「お父さんは本当にそういう意味で、あなたに思いを伝えていたのかな?」
「えっ、それどういうことですか?」
「もう一度よく考えてみて。お父さんはボランティア活動をすることで信頼を得て、商売がうまくいっていたんでしょう。つまり、ボランティア活動をすることで自分の商売に役立てていた。つまり自分を満たしていたっていうこと。違うかな?」
「まぁ、そう言われればそうでしょうけど。でも…」
でも、と言って次の言葉が出てこなかった。反論しようと思ったけれど、言われてみればその通りだからだ。
「ボランティアって、自己犠牲っていう意味じゃないのよ」
「時長さん、私自己犠牲をしているつもりはありません。好きだからやっているんです」
その言葉につい反応してしまった。でも、言ってから本当にそうなのかを考えてみた。私、自分の気持ちをボランティアで満たしているだろうか。ひょっとしたら義務感でやっていないだろうか。なんだか頭の中がごちゃごちゃになってきた。
「ごめんなさいね。別に長田さんのやっていることを非難しているわけじゃないの。私の目から見て、長田さんは自分を満たせているんだろうかって疑問が湧いてきちゃったから。さっき、結婚したいって願望があるって言ったじゃない。そういうところを満たせないまま、義務感でボランティアをやっているように見えたから」
それは否定できない。心の奥で悶々としていたものが、時長さんの言葉で表に出てきた感じがする。
「あの、もしよかったら今、シェリー・ブレンドを口にしてみませんか?そうすると自分の本当の気持ちが見えてきますよお」
ウエイトレスさんがそんなことを言う。どういう意味だろう?わけがわからないまま、私は言われる通りにやってみた。
少し冷めたコーヒーを口にする。うん、冷めていても美味しい。けれど、次に別の味が感じられた。
舌の奥からじわりじわりと湧き上がってくる味。苦味、いや甘み。コーヒーってこんなに甘いんだ。その甘みで苦味と思っていた味が美味しく感じられる。今まで感じたことがなかった味。なんなの、これ?
「ふふふ、信じられないって顔をしているわね。今感じが味が長田さんが本当に望んでいるものなのよ」
時長さんの言葉で我に返った。さっきと同じだ。このコーヒーを飲むと、意識がどこか別のところに飛んで行ってしまう感じがする。
「どんなお味がしましたか?」
「はい、最初は美味しいコーヒーでした。苦味もあって。でもすぐに舌の奥からじわりじわりと甘みを感じて。その甘みで苦味が美味しく感じられるようになったんです。奥から湧き上がる甘み。これってなんなんですか?」
「その味が今あなたが欲しいと思っているものを象徴しているんです。このシェリー・ブレンドには魔法がかかっているんですよ」
「魔法?」
「はい。シェリー・ブレンドは飲んだ人が今欲しいと思っているものを味で再現します。中には映像でそれが見えてくる人もいます。また、ミルククッキーを一緒に食べると、欲しい未来が。黒ごまクッキーと一緒だと欲しい未来を手にする方法が見えてくるんです」
まさか、そんな魔法があるなんて信じられなかった。けれど、今味わったもの、そしてクッキーと一緒に飲んだ時に見たもの、これは現実に体験したこと。ということは、本当にそんな魔法の力がこのコーヒーにはあるんだ。
「じゃぁ、今私が味わったものって、どのような意味があるんでしょうか?」
「私が今の話を聞いて感じたのは甘さ、つまり自分の心の奥にある願望を満たした状態が、苦味、周りの人の辛さや悩みなんかをじわじわと和らげてくれるって感じがしました」
ウエイトレスの人はそういう解釈をしてくれた。その言葉はおそらく正解だろう。しっくりとくる。それに本当のボランティアの話を聞いていたから、そうありたいと思っている自分の願望がこの味を体験させてくれたと感じた。
「長田さん、まずは自分を満たすこと。これってとても大事だと私は思うの。確かに人に献身的になることも大切だけれど、自分の体や自分の願望を脇に置いてやるのって、自己犠牲じゃないかしら」
改めて自己犠牲という言葉を聞いて、今までの自分を振り返ってみた。確かに、仕事とボランティアばかりに時間を割いて、彼氏を作るなんてことはしていなかった。それに、辛いこともあった。
「私、ボランティアはなんのためにやっているんだろう」
ふとそんな言葉が口に出てきた。今までは何も考えずに、ただ世のため人のためと思って動いてきた。マザーテレサやガンジーがそうだったように、自分のことを差し置いて無償で働くことが素晴らしいと思っていた。
けれど、それで自分を苦しめるのは違う。私、もっと幸せになりたい。その願望があることが改めてわかった。
「長田さん、あなたがやってきたことは決して間違いじゃないのよ。私はとても素晴らしいことだと思うの。そのやってきたことをさらに有効に輝かせるためには、まずは自分を満たすこと。これが加わればいいのよ」
「まずは自分を満たすこと…」
「そう。ボランティアで彼氏を見つけてもいいんだから。もっと周りを見回してみて」
「もっと周りを?」
「うん。私たちみたいな年寄りばかり相手にするんじゃなくて、若い人たちが集まる場所にも参加してみたらどうかな?」
若い人が参加する場所。それはないわけではない。お祭りの実行委員会では二十代、三十代の若い人たちが中心となって活動をしている。けれど、今までそんな目線で周りをみたことがなかった。
「そんな目的で参加してもいいんですか?」
「もちろん、お祭りを成功させることが第一の目的だけど。影の目的として、そういうのを持ってないと楽しめないでしょ」
時長さん、そう言って軽くウインクをする。なんだかやましい気もするけれど、今まで自分が楽しんでいなかったのは確かだ。
「マイ、ちょっと」
ウエイトレスさんがカウンターのマスターから呼ばれた。はぁいと返事をして、私たちにペコリと頭を下げてカウンターに向かっていく。私もこのウエイトレスさんみたいに、可愛くてスタイルも良ければ男性にもモテるんだろうけどなぁ。
「そうそう、さっきのウエイトレスさんの旦那さんって、あのマスターなのよ」
「えぇっ!」
これには驚いた。あんなにキレイで可愛らしい人なのに、どう見てもかなり年上の人と結婚しているだなんて。でも、きっと何か惹かれるものがあって結婚したんだろうな。私もそんな感じで惹かれるものを持った男性と巡り会うといいんだけど。
「私、たくさんのボランティア活動に顔を出していました。自分の身を犠牲にしてまで働くことがいいことだと思っていたけど」
「それは間違いじゃないのよ。けれど、それをすることが自分の喜びになっているかどうかなの。そこはどうなのかな?」
ボランティアをすることが自分の喜びになっていたか。そう問われたら答えに苦しむ。今までは義務感でやっていたような気がするから。やっていて苦しい時の方が多かったかもしれない。
でも、祭りにしろ、まちづくりにしろ、手話にしろ、それぞれで何かしらの達成感は味わえた。それがあるからこそ、今までボランティアをやり続けられたんだ。
このことを時長さんに話すと、とても喜んでくれた。
「うん、そういうのをもっとたくさん味わって欲しいの。自分の中で喜べるものをもっと自覚して欲しいの。自己犠牲にならずに、やっていることを楽しんで欲しいの」
「はい。ありがとうございます」
なんだか心が救われた気がする。ちょっとだけ新しい自分に出会えたかも。この喫茶店に来て良かった。そして時長さんと出会えて良かった。
「あの、お客様、ちょっとよろしいでしょうか」
ウエイトレスさんが私たちのところに戻って来た。何だろう?
「はい、何か?」
「実はですね、あちらのカウンターにいるお客様なんですが」
そう言ってカウンターの方を見る。そこには男性が二人。改めて見ると、一人はなんとなく見覚えがある。確か以前、市の清掃活動で一緒になった人じゃないかな。
私がカウンターの二人に向かってペコリと頭を下げると、もう一人の初めて見る男性がちょっと照れながらペコリと頭を下げた。顔見知りの男性、名前は覚えていないがそちらの方がもう一人の男性を肘でつついている。
「実は、左側に座っている方、田坂さんというんですけど、彼が長田さんとお話をしたいと言ってまして」
もう一度田坂さんと紹介された方を見る。年齢は三十半ばといったところかな。メガネをかけてちょっと痩せ型。一見するとナヨっとしているけれど、とても優しそうな人だ。
すると、顔見知りの男性の方が私の方へ近づいてきた。
「長田さん、でしたよね。以前市の清掃ボランティアでご一緒させていただいた」
「あ、はい。ごめんなさい、私、お顔は覚えているんですけど、お名前を覚えていなくて」
「覚えていなくて当然ですよ。たくさんいる中の一人だったし、長田さんは清掃活動では中心になって色々と動いていたから。ボクはそれを見て、すごい人だなぁって思っていたんです。で、会社の同僚の田坂、アイツなんですけど」
再び田坂さんの方を見る。照れている顔がなんだか可愛らしい。
「アイツに、こんな女性がいるんだって話したんです。アイツ、彼女いないから」
「えっ、私、ですか?」
突然の話に戸惑ってしまった。正直なところ、私は見た目は地味だし。可愛いわけでもないし。そんな私のことをどうして。
「俺は結婚しているけれど、もし独身だったら間違いなく長田さんのような人を彼女にしたいって思いましたよ。気が効くし、実直うに行動しているし。それになんといっても、働いている姿が美しかった。そんな話を田坂にしたら、ぜひ会いたいって言ってて。まさかここでお会いできるなんて思いもしなかったから声をかけさせてもらいました」
「長田さん、やったじゃん!」
そう言って時長さん、私の背中をバシッと叩く。
「人って、そうしようと決断をすると周りが動き始めるんです。でもまさか、こんなにすぐに動くなんて私もびっくりですよ」
ウエイトレスさんも驚いている。何より私が一番驚いているんだから。
「おい、田坂、こっち来いよ」
カウンターに座っている田坂さん、ゆっくりとこちらに向かってくる。えっと、ど、どうしよう。私、おかしくないかしら。今更ながら髪の毛を気にして整えようとしてしまう。
「初めまして、田坂と言います。長田さん、僕が思っていたような方だったのでびっくりしました。ここで会えるなんて」
「あ、は、はい。初めまして。長田と言います。えっと、あの、その…」
何話せばいいんだろう。慌てている私に、時長さんが目配せをする。どうやらわずかに残っているシェリー・ブレンドを飲めということのようだ。そうか、これを飲めば私が望んでいるもの、つまり今何を話せばいいのかがわかるかも。
心を落ち着かせるためにも、私は残っているシェリー・ブレンドを一気に口の中に流し込んだ。すると、私の頭の中にはボランティアをやっている私自身の光景が見えてきた。そっか、これでいいんだ。
「田坂さん」
「は、はいっ」
私の言葉で今度は田坂さんの方が恐縮してしまったようだ。
「田坂さんはボランティア活動ってやったことありますか?」
「はい。長田さんほどじゃありませんが。僕の母親が介護の仕事をしていて。その施設のイベントの手伝いなどをさせてもらうことがあります」
「介護施設のイベントですか。どんなことやったんですか?」
「まぁ、テントの設営とか、大道具の制作とか、あとは当日に売り子なんかもやりました。こういうの、やってみると気持ちがいいものですね」
あ、なんだか気が合いそう。もっとこの人とボランティアの話をしてみたい。直感でそう感じた。
なんだかんだで、気がついたら田坂さんとの交際が始まってしまった。これもお節介な時長さんのおかげ、田坂さんのお友達のおかげ、そしてカフェ・シェリーで私の本当に望んでいるものが見えたおかげである。
田坂さんとの交際を始めたため、私はいくつかのボランティア活動から抜けることにした。だって、自分の時間が欲しいから。その中でちょっと面倒だなって思っていたまちづくり委員会はかなり引き止められた。
「あんたがいなくなったら、この会は回っていかなくなるんだ。やめないでくれ」
と会長に懇願された。だが、私はこう伝えた。
「であれば、私が働いている時間に対して、相当の金額をいただけませんか?今まで我慢をしてきましたが、私一人に頼りっぱなしで、私は自分の時間が持てません。まちづくりのためにと思って活動してきましたが、若いからというだけで何でもかんでも私に押し付けないでください。そして、会長のやっていることは私に対してのパワハラです」
このことを会合の席で言い放ったものだから、会長は何も言えなかった。周りの人たちも私に対してのパワハラを感じてくれていたようだ。おかげですんなりとまちづくり委員会をやめる事ができた。
まちづくり委員会をやめたからといって、まちづくりに対して全てをやめたわけではない。実は早速、田坂さんと一緒にまちづくりに対しての新しい動きを始めた。
私が前々から気にしていたゴミ問題。このことを田坂さんに話したところ
「じゃぁ、僕と二人で始めませんか?」
という提案が飛び出した。具体的には、日曜日の早朝6時から二人でゴミ拾いウォークをやろうということになった。場所はどこでもいい。まずは駅前からスタートしよう、ということで早速軍手とゴミ袋を手に駅前に集合。そして二人で話しながらゴミ拾いをするという、奇妙なデートがスタートした。
これをやってみてわかった。あ、ボランティアを楽しむってこういうことなんだって。今までは義務感でやっていたところもあったが、今回は全然違う。デートのついでにボランティアなのか、ボランティアのついでにデートなのかわからないけれど、すごく気も落ちがさっぱりした。
これは田坂さんに会社のことや周りであったことの愚痴をこぼすことができたこともあるんだろう。おかげで街のゴミも、心の中のゴミもきれいさっぱりになった。
「これ、つづけていきましょうね」
田坂さんの方からそう言ってくれる。
田坂さんと出会い、付き合い始めてから私のものの見方、考え方が変わってきた。今まで周りの人たちを見ていると
「どうしてこの人達は、社会のために動かないんだろう」
という不満の思いを抱いてきた。私がやっていることが、さも正義であるかのように思っていた。
けれど今は違う。
「この人達にもいろいろな事情があるんだな。こういう人たちのために、もっと住みやすい社会をつくるお手伝いをしなきゃ」
というように思えるようになった。このことを時長さんに話したら、こんなふうに返された。
「そうそう、それなのよ。自分が満たされていないときにボランティアをやっていると、不満の思いのほうが強くなっちゃうでしょ。でも自分が満たされると、もっと社会のために動かなきゃって心から思えるようになるのよ」
そうか、私って今まで自分の正義を振りかざしていただけだったんだ。そうやって動かない人たちに対して、攻撃の目で見ていたんだ。でもこれは間違い。自分を満たすことで、本当の意味のボランティアってできるようになるんだ。これも田坂さんと出会って、自分の心が満たされているからこそ気づけたことなんだな。おかげで私のストレスも減っている気がする。
時長さんが言っていた、本当のボランティアの意味がようやくわかった。あのときは頭の中では理解していたつもりだけれど、今こうやって体感をしたことで、心の奥から笑ってボランティア活動を行うことができた気がする。
「長田さん、今度手伝ってほしいことがあるんだけど」
ある日、田坂さんからそうお願いをされた。
「えっ、なに?」
「今度、僕の母の勤めている介護施設でイベントがあるんだ。それを一緒に手伝ってくれないかなって思って」
「うん、いいわよ」
このとき、何も考えずに気軽に返事をしてしまった。が、なぜか田坂さんは私にこのお願いをしたときに、今までになく緊張をしていた。どうしてだろう?
このことを手話サークルの集まりのときに時長さんに話したら、笑いながらこう言われてしまった。
「それって、田坂さんがお母さんにあなたを紹介するってことじゃない。わぁ、いよいよその段階にきちゃったのね」
そう言われてはじめて気がついた。そうか、お母さんが勤めている施設なんだから、お母さんに会うのは当然のことよね。だから田坂さん、いつになく緊張してたんだ。それを思ったら、今度は私のほうが緊張してきた。私、どんなふうに紹介されるんだろう。
「いよいよ明日だね。よろしくお願いします」
介護施設のボランティアの前日、田坂さんと会って内容について打ち合わせを行った。場所はカフェ・シェリー。最初に田坂さんと出会ったところだ。
「あーどうしよう、緊張してきた。明日、お母さんに会うんでしょ」
「ははは、大丈夫だよ。うちのおふくろ、気さくな人だから」
そう言われても、やはり年齢も年齢だから結婚を意識しないわけにはいかない。そう考えると、よけいに緊張してきた。
「おまたせしました。シェリー・ブレンドです」
「きたきた。これ飲んで明日のことをイメージしてみようか」
早速運ばれてきたシェリー・ブレンドを口にする。そして目をつぶる。すると、目の前に広がってきたのは…
「ひまわりが笑ってる」
言葉のほうが先に出てきた。そうだ、ボランティアは楽しんで行うもの。自分からやろうと思うからボランティアなんだ。それをやれば自然に笑顔になれる。笑顔を周りに広げること、それがボランティアの効果なんだ。
「明日は笑顔で楽しんでみる」
「うん、それこそが長田さんの持ち味だよ。僕も一緒に笑顔で楽しませてもらうからね」
明日は本当のボランティアを楽しんでやれそう。うん、これが私の目指す姿。
<ボランティア命 完>