44話
一週間が経過した。
水路も完成し、岩をどかして川が流れ始めた結果、農作業がかなり楽になった。
この水量なら、ゼニードが言っていた米造りも来年には可能になりそうだ。
湖では漁が始まった。
湖面に船を浮かべ、網で魚を掬い取っており、いまではライジング亭や屋敷の夕食にも魚が並ぶようになり、村の食事事情も大きく改善された。
「汗水流して働く仕事がこんなに気持ちいいなんて、これも全ては大師範のおかげっす」
「こんなに働いて、さらにうまい食事もいただけて、ありがたいっす」
というのは元盗賊たち。
現在、三十名全員の洗脳――もとい更生が完了し、全てハンの弟子になっている。
毎朝、屋敷の前で朝稽古をしているので、掛け声が煩くて眠れやしない。
「水路、ネギ栽培、湖の活用――いまのところ順調だな。あとは、巨大蟻を使ってトンネルでも作るか――」
山が多いせいで、王都に行くには迂回しないといけない。
トンネルができて道が短縮できれば、交易商の拠点になる。
ゲズールの通行税のせいで遠のくようになった行商人も戻ってくるだろう。
「タイガ、ちょっといいか?」
「おお、ライアート。なんだ?」
「兄貴が話があるそうだ」
兄貴?
兄貴といえば、この村の纏め役の男だよな。貴族嫌いの。
そうか、ようやく来たか。
「入ってもらってくれ」
「もう来ている」
そう言って顔を出した男を見て、俺は一瞬眉を顰めた。
片目眼帯の、歴戦の戦士っぽいおっさんだ。
これが本当に農家のおっさんなのか?
どうみても将軍様だろ。
「……ダンティーだ」
「ダンティー……あぁ、あんたの名前か」
「知ってるくせにわざとらしい」
あぁ、当然名前くらいは調べている。
ゲズールが情報をまとめていたからな。要注意人物筆頭として。
貴族嫌いのダンティー。
ライアートが言うには左目の傷は戦争で負傷したものらしい。
「で、ダンティーが俺に何の用だ? 俺が呼んでもこなかったくせに」
「ふん、貴様に忠告をしに来た。貴様が村人を使って何をしようとしているかはわからんが、どうせ利用するだけ利用して捨てるつもりだろう。俺たちは騙されないぞ」
「俺たち……ね。いったい、あんたと誰のことを言っているんだ?」
俺の問いに、ダンティーは口籠もる。
いま、俺の味方はライアートたち若い衆だけじゃない。最初に会合に参加しなかった村人たちも、ネギが発芽し、盗賊どもが畑の作業を手伝い、川に水が復活し、漁が始まるにつれて徐々に俺のところにやってきては協力を申し出てくれた。
俺たちの頑張りだけでなく、ユマが、この村の教会を管理していた老婆と仲良くなり、毎朝ミサを開くなかで村人たちと仲良くなっていったのも大きい。俺のことはいまいち信用できないが、ユマが言うのならきっと大丈夫だろうと考えた村人もかなりの数いるはずだ。
いまや、俺と完全に敵対関係を維持しているのはダンティーを含め、三人か四人程度だ。
村の顔役の面目丸つぶれだろう。
「……で、俺に何の用事だ? 村の纏め役として、俺に協力してくれるっていうのなら仕事は山のようにあるぞ」
「――ふんっ」
ダンティーは俺に背を向け、それ以上何も言わずに去っていった。
沈黙の肯定……ということではないだろう。
意固地な奴だ。
「タイガ様、よろしかったのですか?」
「盗み聞きとははしたないな、リーナ」
「タイガ様は私がいることに気付いておられたのでしょう? なら、盗み聞きではありません」
気付いていたのは事実だけどな。
「タイガ様が歩み寄れば、ダンティー様もわかってくださるのでは?」
「いや、いまはこれで十分だ」
ダンティーがここに来たのは、俺と敵対宣言するためでもなければ、歩み寄るためでもない。奴は、ただ俺のことを見るために来たんだ。
村の人間を任せてもいいかどうか。
奴は、これ以上自分の意地に、他の村人を巻き込んではいけないと思ったのだろう。
うまくいけば、今日中に、ダンティーとともに俺に反発していた残りの二、三人の村人とも和解できるだろう。
俺の予想は正しかった。
俺に反発していた、ダンティーと同じ五十歳くらいのおっさん二人が奥さんを連れて俺の屋敷に訪れた。
特に男たちは魔物が出る前まで湖で漁師と貝の養殖をしていたそうなので、本当は俺がグリフォンを退治したことに感謝していた。だが、ダンティーにも借りがあって俺たちに合流できなかったそうだ。
昨日、ダンティーから俺に手を貸してもいいと許可が出たので、こうして屋敷を訪れたそうだ。
ということで、これからは、この二組の夫婦を中心として、さらに湖を活用してもらおうと思う。
そして、さらにダンティーに関する情報を貰った。
彼が、何故、俺と一緒に歩むことをそれほどまでに拒んでいるか、その理由を。
それは――本当に、とてもしょうもない理由だった。
※※※
さらに五日後。
無事に、新たな人員が村を訪れた。
「よぉ、元気にしてたか」
「………………」
無言の圧力が怖い。
いつも笑顔の彼女が能面を着けているような顔で俺を見てくる。
「現状の説明をさせてもらうと、この村の周辺の魔物を退治しなくてはいけなくてな。とりあえず、元々盗賊だった奴を全員奴隷にして、これからは奴隷兼冒険者として活動してもらおうと思っている」
「………………」
「村の外に、結構値打ちのある山菜もあるから、それの採取依頼も一緒に受けてもらう予定で、冒険者ギルドの出張所は現在建設中だから、暫くこの屋敷の部屋を使ってもらうつもりだ」
「………………」
「……ごめんなさい」
俺は素直に謝罪した。
すると、ようやくギルドの受付嬢、セリカの能面が解除される。
「最初から普通に頼んでくれたら私もここまで怒らなかったんですよ。タイガさんにはお世話になっていますし、この無茶な出向も二年限定ということですし、今回の穴埋めとしていろいろと上に約束させましたから。二年後には無事、ノスティアの副支部長に出世です」
さすがセリカ。転んでもタダでは起きない奴だ。
俺は、これからセリカの住居となる部屋と、出張所となる部屋を案内した。
これを機に、屋敷の名称を庁舎にしてもいいだろう。俺たちだけで使うには広すぎるからな。地下の捕虜を入れるための牢屋も、村の共同倉庫として開放していいだろう。
セリカは私物を部屋に置くと、ギルドで使う備品を所定の場所に並べていき、足らない物を書いていく。
鍵のついている棚は、確か書斎にあったはずだから、それを持ってくればいいか。
「ところで、クイーナちゃんとユマちゃん、あとゼニードちゃんはどこですか?」
「クイーナは王都だ。貴族の屋敷で客人としてもてなされている」
「なに、その好待遇っ!? 私と変わってほしいっ!」
確かに、今回の俺の計画で一番の当たりを引いたのはクイーナだろう。
「ユマは教会だ。ゼニードは、昨日、村に来る行商人に無断で杏子飴を一グロス発注した罰として、屋敷で育てていた成長途中のネギを畑に植えなおさせている」
「一グロスって、百四十四本ですよね――よくそんなに注文できましたね」
「元々一本だけ頼んでいたんだが、代官決済の判に勝手に書き加えたんだ。俺もちょうど席を外していたから気付かなかった」
代官決済とはいえ、さすがに村の運営費から杏子飴の代金を支払うことはできない。俺の自腹になってしまう。
こんな場所だから、野菜等は安いんだけど、逆に杏子飴のような嗜好品は王都で買うよりも三割増しくらいの値段になってしまう。
百四十四本で割増価格とはいえ、お菓子だからこの前グリフォン退治で使ったお金と比べれば大した額ではない。
しかし、甘い物を際限なく食べて夕食を食べなかったら、料理を作っているメイドたちに悪いし、なにより健康によくないからな。
とゼニードの話をしていると、新しく冒険者ギルドの出張所ができた噂でも聞いたのか、ハンがやってきた。
「久しぶりだな」
「あ、あなたもいたんですか。もう遺跡を壊したらダメですからね。後処理がかなり面倒だったんですから」
「それはすまなかった。そのようなことはもう二度としないと約束しよう。我が主に迷惑がかかるからな。無論、主の命令なら遺跡を壊すことも吝かではない」
そこは吝かでいろよ――っていうのも変な言葉だけど。
セリカが俺を睨んでるだろ。
そんな命令はしないから安心してくれ。
そして、俺はセリカの有能さを知ることになる。
セリカの奴、ここに来るまでに仕事にあぶれた冒険者を何組か勧誘していたらしく、冒険者三組が村に訪れた。
持ち主が死んで空き家になっていた建物に住んで、冒険者として活動をはじめた。危険な魔物のいない場所を選び、採取依頼をしている。
それと、別に仕事にあぶれていない冒険者が一組。
「お久しぶりです、タイガさんっ!」
やけになれなれしい冒険者が俺に近付いてきた。
「誰だっけ?」
「えっ!?」
俺が尋ねると、俺に声をかけてきた冒険者が驚き一歩引いた。
「冗談だ。なんでお前がここに来たんだ? グルー」
ノスティアで冒険者をしているはずのグルーだ。パーティ全員引き連れていやがる。
実力は微妙だが、しかし十分ノスティアで金を稼げるようになってきていたはずだ。わざわざこんな田舎にまでくる必要はないはずだ。
「タイガさんがこの村の代表をしているって聞いて、恩返しするためにやってきました。ブラックドラゴンを退治し、町を救ってくれた英雄のタイガさんはコロナだけでなく、僕たち全員の命の恩人ですから」
「恩返しね。殊勝な心掛けだ。まぁ、せいぜい頑張ってくれ」
貸してやったものは倍返しでさらに利息を付けて返してもらわないとな。
とりあえず、村の治安維持に必要な魔物退治、そして行商人に売ることができる山菜などの採取依頼、さらにこれから人口が増えることを見越して、伐採所の手伝いの依頼も出しておく。
これで、見習いと見習いに毛が生えたような冒険者が食い扶持に困ることはないだろう。舐めたことを言う奴がいたら、ハンに鍛えなおしてもらえばいい。
「タイガさん、立派に代官をやっているんですね。どこかで経営の勉強でもしていたんですか?」
セリカが依頼書を見て尋ねた。
勉強ね、そんなもん、物心ついてから十五歳になるまで、ずっと勉強していたさ。
小さな村の経営ではなく、国の経営という差異はあるけどな。
「じゃあ、セリカ。あとは頼んだぞ。俺は行くところがあるから」
「タイガさん、貸しひとつじゃ済みませんから、覚悟してくださいね」
「そのうちまとめて返してやるよ」
俺は安請け合いをし、目的の場所を目指すために村を出た。




