43話 ~ユマ視点~
私は、トレイの上にティーセットを乗せて、執務室の扉をノックしました。
「どうぞ」
中から声が聞こえたので、私は扉を開けます。
執務室のデスクの前で、アスカリーナ姫が帳簿の山とにらめっこしていました。
「あら――ユマ様。どうなさったのですか?」
私が黙っていると、アスカリーナ様が首を傾げて尋ねました。
いけませんね、まだ踏ん切りがつかないでいます。
『愛ボケだけがお前の取り柄だろ』
タイガさんの言葉が蘇ります。
愛ボケ……一番私に相応しくない言葉です。
「ユマ様、ちょうど私も仕事が一段落ついたところです。お茶を用意してくださったのですか? 実はいいお茶菓子をタイガ様に売っていただいたんです。一緒に食べましょう」
アスカリーナ様は私に気を遣ってか、クッキーが入っている缶を持って言いました。
私が注いだ紅茶を二人で飲みます。
「……これまで避けるようなことをして申し訳ありません」
「気にしていません。なにか事情がおありなのですよね」
いろいろ……そうですね、本当にいろいろとありました。
「……あの……アスカリーナ様は行方不明の婚約者を探しているのですか?」
「はい、勿論です」
「生きていると、信じているのですか?」
「生きていて欲しい……そう願っています」
生きていて欲しい――ですか。
私はどう思っているのでしょう?
あの人が死んだと聞いて、私はいったいどう思っているのでしょうか。
愛しているのかと悩み、愛するしかないと思い、そして愛しようと決めたあの人が死んで、私はどう思っているのでしょうか。
私は、愛を知らないまま、愛するべき人を失ってしまったんです。
だから、私は愛ボケなんかじゃありません。
本当は、誰よりも愛を説く資格なんてないのです。
だから、一途にたったひとりを愛し続けることができるアスカリーナ様が羨ましいんですよね。
もしかしたら、タイガさんと仲良くしているのも、その婚約者――タイガ・サクティス殿下と名前が一緒だから、タイガ・サクティス殿下の身代わりに――なんて思ったこともありましたが、そうじゃなかったんですね。
「忘れたりしないのですか?」
「忘れたことはありません。あの人と一緒に遊んだ庭の景色も、一緒に食べた料理の味も。タイムの味が苦手で、お肉を思わず吐き出してしまったとき、こっそりあの人が処分してくれたんです。でも、本当はあの人に見られるのが一番恥ずかしかったんですよね」
アスカリーナ様は強い意志で言った。
忘れた方が楽になれる――そんなことは微塵も思っていないのだろう。
「……生きている……といいですね。アスカリーナ様の婚約者の方も」
「はい、本当にそう思います」
私が愛を知らない分、アスカリーナ様には幸せになってほしい。
そう思っているのは本心です。
それが叶わぬ幸せだとしても。
「あの、アスカリーナ様。私があなたを避けていたのは――」
「よくわからんが、ユマよ。クッキーは美味しく食べんといかんぞ。それがクッキーに対すしる礼儀というものじゃ」
いつの間にか部屋に入って来ていたゼニードちゃんが、両手にクッキーを鷲掴みにし、さらに口の周りに食べかすを付けながら言った。
「まぁ、なんじゃ。ユマは愛を知らんと思うなら、身近な者を愛する練習をしてはどうじゃ? おっと、言っておくが、タイガはいかんぞ。あれは妾のじゃからな」
「大丈夫だよ、ゼニードちゃん。お父さんを取ったりしないから」
アスカリーナ様が誤解をしたようなことを言う。
「違う、あれは妾の夫となる男じゃ」
「そうなんだ、結婚できるといいね」
アスカリーナ様がゼニードの頭を笑顔で撫でた。
あぁ、子供が「大きくなったらお父さんと結婚する」と言っているような感覚なんでしょうね。
あれ? でもゼニードちゃんって、そういえばタイガさんとはどういう関係なのでしょう?
『愛を知らんと思うなら、身近な者を愛する練習をしてはどうじゃ?』
それに、なんでこの子は、私が愛を知らないことに気付いたのでしょう?
ゼニードちゃんって、いったい何者なのでしょうか?




