32話
私の名前はゲズール・トトロット、二十五歳。
モヴェラットの執政官をしている。
栄えあるトトロット子爵家に名を連ねる者だ。先代のトトロット子爵の三男であり、本来ならば今頃は無能で人に媚びることしかできない長男のヨキーナに代わりトトロット子爵家の当主として王都で悠々自適な生活をしていたはずだ。
にもかかわらず、下賎な女を十人くらい薬を使って眠らせ、乱暴に扱っただけで先代のトトロット子爵からこのような僻地に送られてしまった。
あのような無能な男を父と慕っていたという過去は私にとって最大の汚点である。
しかし、この代官という仕事は存外悪い物ではない。
まず、私が住むこの屋敷、田舎にあるにしては、なかなかに快適だ。
どういう理由があるのかは知らないが、本来なら私の不動産であるはずだったトトロット子爵家の屋敷よりも広く綺麗だった。
また、このモヴェラットという場所――マイヤース王国南部からコストラ帝国に抜ける街道がある。そこで私は街道に関所を設け、通行税を取り立てることにした。その通行税のうち一部を私は手に入れた。
王都の監査官すら滅多に訪れない場所であり、仮に訪れたとしても袖の下を握らせれば奴らは何も言わない。
こうして私は資産を蓄えた。
あと少ししたら、これを使い王都に戻り咲く。
その予定だったのに、思わぬ誤算が私に襲い掛かった。
なんでも、冒険者上がりの准男爵――タイガ・ゴールドという男がこのモヴェラットの代官として赴任するというのだ。
これにはさすがの私も肝を冷やした。
冒険者あがりの代官というのは別に構わない。いや、むしろ好都合だった。冒険者として名を馳せ、貴族になる男などたいていは脳が筋肉でできているようなバカばかり。なんとでも言いくるめて、逆に利用することができる。
だが、問題はその後に来るという監査のアスカリーナ王女だ。
何故、王女自ら、このような田舎の村の監査に来るのかわからないが、王女相手には賄賂は通用しない。そして、彼女の優秀さは私の耳にも届いている。
どうしようかと悩みはしたが、しかしさすがは私と言ったところだろう。すぐに対策方法が浮かんだ。
アスカリーナ王女が監査に来る理由は、そのタイガ・ゴールドという男が原因。
それなら、タイガ・ゴールドがこの地に赴任しなければよいのではないか? と思ったわけだ。そう、たとえばこの村の近隣に出没する盗賊たちに殺されたのならいい。
「ベンリー、いるか? ベンリー」
私が呼ぶと、
小間使いとして使っている男――ベンリーを呼び、私は盗賊たちにタイガ・ゴールドの始末を依頼するように言った。勿論、私の名前は出さずに、貴族からの依頼として頼む。
これで、盗賊が返り討ちにあって捕まったとしても、私の依頼だとは気付かれまい。
「盗賊どもに倉庫にある剣を渡しておけ」
なぜかこの屋敷には武器が大量に保管されている。
剣の二十本や三十本使ったところで問題ない。
相手は力だけで准男爵になった男だ。
こうして、私の完璧な作戦は、さらに成功率を高めて動きだした。
そして、本来ならタイガ・ゴールドがやってくるはずのその日。
部屋に入ってきたのは、彼ではなくベンリーだった。
「タイガ・ゴールド及びその従者が盗賊に襲われて死亡しました」
ベンリーは淡々と私が予想していたことを告げた。
「そうか――くっくっくっ、バカな奴らだ」
「タイガ・ゴールドを始末したことで、盗賊たちが追加の報酬を要求しています」
「いくらだ?」
「30万ゴールド、そして酒と女です」
強欲な奴らめ。
だが、利用できるのも事実だ。
「いつもの奴隷商館で買って送ってやれ」
私は金庫から金貨十枚の束を五つ取り出し、ベンリーに投げた。
バラバラに飛ぶ金貨十枚をベンリーは器用に受けていく。
……ん? いつもなら慌てて受け取って取りこぼすのだが。奴も成長しているということか。
「それと、以前、盗賊たちに依頼した内容について、報酬が足りなかったと――」
「以前? それはどっちのことを言っている。ライオット商会の馬車を襲わせたことか? それとも以前派遣されるはずだったトンマ代官を亡き者にしたことか?」
「そんなことをしていたのか――おい、ユマ。聞いたな」
突然、ベンリーが変なことを言いだした――かと思うと、部屋に修道女が入ってくる。
なんだ? 盗賊に抱かせるために用意したのか?
修道女の性奴隷――しかもなかなかの美人だ。盗賊に出すのは勿体ない。
と思ったとき、女とは別にゴツイ男と、そしてその男に連れられて猿轡を噛まされたベンリーが部屋に入ってきた。
「なっ、ベンリーがもう一人……まさか――」
私はようやく気付いた。ベンリーの声が普段と微妙に違うことに。
先ほどまで私がベンリーだと思って話していた男――その正体に。
「ようやく気付いたか」
その男はほくそ笑むと、突然姿を変えた。
ベンリーとは似ても似つかぬ黒髪の若い男の姿に。
「どうも、ゲズール執政官殿。このたび、この町の代官に任命されたタイガ・ゴールドだ。以後よろしく頼むよ。お前に以後があれば……の話だな」
くっ、盗賊ども、しくじったな。
「いやぁ、この村に来る前に、以前の代官が不幸に死んだって話を耳にしてな。まさかと思って準備していたら――へぇ、こんなことをしていたのか」
「なんのことかな、代官殿」
「いまさら開き直るのか? さっき散々自白しただろ」
「ふん、代官殿の聞き間違いではないか? それとも、私が盗賊に依頼をした証拠はあるのか?」
「こいつが盗賊と一緒にいたことがなによりの証拠」
タイガ・ゴールドは本物のベンリーを小突く。
「その男か。つい先日クビにした男だな。私に罪をなすりつけようとしたのだろう」
「はぁ、そういう言い訳をするのか。じゃあ、証拠はないな。お前のさっきの証言でしか裁けそうにない」
「そうですか、それは残念ですね。成り上がりの代官様の耳と、貴族様たちからの信用も厚い私の口、どちらが信用されるでしょうね」
危なかったが、なんとかなりそうだ。
あとはなんとか言いくるめて時間を稼ぎ、隙を見てタイガ・ゴールドを亡き者にする別の方法を考えるとするか。
そう思ったのだが――
「では、あんたの口と、この人の耳ならどっちが信用されるかな?」
とタイガが言ったとき、ひとりの女性が護衛を伴って入ってきた。
その顔――見覚えがある。
「ま……まさか――」
「ゲズール殿、七年前の晩餐会で一度お目にかかりましたね。お久しぶりです」
間違いない、間違えるはずがない――
「ア……アスカリーナ王女っ!?」
何故、アスカリーナ王女がここに?
さっきのベンリーのように偽者が化けている?
いや、しかしこのオーラ――偽者に出せるものなのか?
「混乱しているところ悪いが、貴様を捕縛する」
アスカリーナ王女とともにいた護衛が私の鳩尾に拳を叩きこんだ。
そして私は――




