12話
それにしても、あの馬車――どこかで見たような。
俺たちもまた道の端に寄り、突っ立っているままのクイーナの首根っこを掴み、一緒にその場に跪いた。
このまま通り過ぎてもらおうと思ったのだが、どういうわけか俺の前で馬車は停まった。
これも貴族たちの嫌がらせのひとつか? と思ったが、マテス宰相からこんな話は聞いていない。
「やはり、タイガ様でしたか」
突然聞こえてきた声――その声に俺は聞き覚えがあった。
つい最近聞いた声――顔を少し上げると、そこにいたのはこの国の姫――アスカリーナ王女だった。
俺はかつて、ワイバーンに襲われていた彼女を助けたことがある。
ちなみに、その時はユマも一緒にいたのだが、顔を隠していたので特に反応を示していない。
「私のような些末な者の名をご記憶に留めて下さいまして恐悦至極にございます」
「タイガ様、あなた様は私の命の恩人です。忘れるわけがありません。ところで、どうして今日はこちらへ?」
「はい、マイヤース国王陛下から招待を受けまして。今宵開かれる晩餐会の参加者の末席に加えさせていただくお許しをいただきましたので参上いたしました」
「まぁ、お父様から? さすがはワイバーンを一撃で仕留めた凄腕の冒険者ですね。是非、今宵の晩餐会ではお話をお聞かせくださいね」
特に驚きはせずにアスカリーナは受け入れた。
普通、冒険者が晩餐会に招待されることなどないのだけれども、まぁ、彼女は俺がワイバーンを一撃で倒すところ――つまり俺の力の一端を見ているわけだからな。
アスカリーナは馬車に乗り、王城へと向かって行った。
馬車の中からも俺に手を振っていた。
これは嬉しい誤算だな。ちょうど貴族から注目を浴びていたところに、姫と親しく話しているところを見せられた。
今頃、俺を見張っていた貴族たちの胸中はどうなっているだろう?
想像するだけで笑いが止まらない。
「ユ、ユマさん! ご主人様がさらに邪悪な笑いをっ!」
「ク、クイーナちゃん、ダメです! 今のタイガさんの半径三メートル以内に近付いたらダメですっ!」
その後、開場の時間となり、俺たちは順次席へと案内された。当然、平民である俺たちの案内は最後だった。
晩餐会の主催者である国王陛下は、舞台の奥――壇上にある布の向こう側だ。
主催者なのに顔を見せないというのは、本来の晩餐会ではありえない話なのだが、これは晩餐会の作法に乗っ取っているためだ。
晩餐会において、主催者は客以上に盛装をしてはいけず、客は主催者よりも略装であってはいけない。しかし、国王陛下が臣民の前に姿を現すときは必ず正装でなければいけないという国の法律もある。正装が盛装というどこかギャグのような話で、この矛盾を解消させるために、晩餐会において国王陛下はあの布の向こう側にいる。
もはや一休さんのとんちレベルの屁理屈なのだけれども、遥か昔、どこかの国の王と重鎮たちが必死になって考えた規則だ。実際、サクティス王国の晩餐会でも陛下は布の向こう側にいた。そして、顔は見えなかったがいつも笑っていた。
息子の立場で言えば、晩餐会で父と一緒にいられないのは少し寂しかった。
そういえば、あいつ――アスカリーナ王女に出会ったのも、サクティス王国の晩餐会だったっけ。
「ご主人様のお披露目はいつ行われるんですか?」
緊張している様子のクイーナが、俺の袖を掴んでそう尋ねた。
「最後だよ。国王陛下の挨拶が終わってから、食事と歓談。その後は舞踏会が行われ、最後にブラックドラゴンのお披露目で終わりだ。まぁ、その間、いろいろと退屈はしないと思うぞ」
と俺は会場の中央よりやや奥のテーブルを見た。
そこには、いつものようにバレバレのヅラを被っている宰相と、その取り巻きの貴族たちが談笑をしていた。その貴族たちは、ニヤニヤと下品な笑みを浮かべ、俺のほうを見ている。何か企んでいますよって顔に書いてあるようだ。
「あれ? ユマは?」
「ユマさんなら、キーゲン男爵様と一緒に――あそこです」
ユマは一応、キーゲン男爵の従者としてこの会場に来ていたんだったな。その役目を果たさないといけないだろう。
俺はワインの入ったグラスを手に取り、香りを楽しむ。
「いい香りだ」
「そうなのですか?」
「クイーナも確かめてみろ」
俺はそう言って、彼女の前にワインのグラスを持って行く。
すると、彼女はわずかに顔を顰めた。
「あまり好きじゃないか?」
「は……はい。どこか土のような香りですね」
クイーナが、俺にだけ聞こえるような小さな声で言った。
「おっ、いい嗅覚をしてるな。俺も確かに腐葉土の香りがすると俺も思っていたんだ」
「腐葉土って、ご主人様。そんな大きな声で言わないで――」
クイーナが困ったように言った。
「どうもはじめまして。あなたが巷で噂のタイガ士爵候補ですね?」
そう言って俺に声をかけてきたのは、初老の貴族だった。ちなみに、頭にはマテス宰相と同じようにバレバレの白いウィッグを着けていた。髪が薄いからという理由ではなく、貴族の中で流行っているらしい。権威付けの意味があるそうだ。
「はい。まだ候補にもあがっていませんが、そのタイガだと思います。もしや、クロワツ侯爵でいらっしゃいますか?」
「ええ、よくおわかりになりましたね」
「御尊顔は父の書物に描かれた絵で拝見しておりました」
「書物?」
「『赤き森』です」
「ああ、なるほど」
俺が言う『赤き森』は、クロワツ領の寂れた農村を世界有数のワイン畑の村へと開拓する日誌を物語風に書き換えた書物だ。この世界の書物には珍しく、当時の記録係が残した絵が版画になって挿入されており、そのなかにクロワツ侯爵の肖像画もあった。
若い頃のイラストのため、今のクロワツ侯爵とはあまり似ていないが、しかし完成したワインを陛下に献上したときに賜ったという勲章の形が、目の前の胸の勲章と同じだったので彼だと気付いた。
「それは、私の領地で造られたワインなのですよ」
「そうだったのですか――どうりで枯れ葉のような香りがすると思っておりました」
「ご、ご主人様っ!? クロワツ侯爵様、主人が失礼を申し上げました」
クイーナが俺の横で慌てて頭を下げる。
何を言ってるんだ?
「ははは、お嬢さん。私は怒っていませんよ。私のワインを土の香りと言ってくれたお嬢さんの素直な感性にもね」
上機嫌なクロワツ侯爵とは違い、クイーナは死刑判決を受けたかのように顔面蒼白になっていた。って、あぁ、そういうことか。
「クイーナ、勘違いしているかもしれんが、腐葉土の香りも枯れ葉の香りも、赤ワインにとっては最高級の香りって意味だ」
「え?」
どうやら、本気で理解していなかったらしい。考えてみれば、日本にいた頃の俺もそんなにワインについては詳しくなかったから、いまの話を聞けばクイーナと同じ反応をしただろう。
俺は、王子だった頃にレイク陛下にいろいろと聞かされたからな。陛下から教わったワインのうんちくを全て書き記せば、上・中・下と三冊に分かれる大長編のソムリエ指南書になりそうだ。
「これは、クロワツ侯爵様! うちのタイガが何か粗相を働きましたか?」
「ん? 貴公は確かキーゲン卿でしたかな。いや、ワイン談義を楽しんでいただけですよ」
「そうでしたか――」
クロワツ侯爵の物腰の柔らかい対応に、キーゲン男爵は胸を撫でおろしながらも、俺を睨みつけた。無言ながらもその目は、「余計なことをするんじゃない」と言っているかのようだ。本当にワイン談義を楽しんでいただけなのにな。




