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8話


 クライアン侯爵の屋敷に戻った俺だったが、クイーナは宮廷作法の訓練に苦労していた。

 ゼニードとユマもクイーナの訓練に付き合ったそうなのだが、ふたりはどちらも最初から宮廷作法を完全にマスターしていたそうだ。

 金持ち疑惑のあるユマは当然の結果だと思ったが、ゼニードも完璧か。

 腐っても神――ということか。

 ご褒美というわけではないが、ゼニードを観光に連れ出すことにした。キーゲン男爵の従者としてついてきているはずのユマも何故かついてきた。クイーナも一緒に来たそうにしていたが、宮廷作法の練習の続行を命じた。

 時間はあまりないからな。

 凱旋通りと垂直に延びている大通りだ。

 今日は農民たちの祝日らしく、多くの屋台が並んでおり、催し物も開かれていた。


「タイガ、あれを見ろっ! 水飴じゃ、水飴が売っておるぞ!」

「本当だな。麦芽水飴かな」


 俺が興味なくそう呟くと、ゼニードが頬を膨らませた。

 どうやら俺が買ってやろうかというのを期待していたのだろう。


「買うのじゃ! 大金が入ったのじゃろ?」

「お前こそ、貯めに貯めた小遣いを使うんじゃなかったのか?」


 値段は20ゴールド。

 ワイバーンの買い取り金額が約870万ゴールドになったことを考えると本当に微々たる金額――というより端数で買える額ではあるんだが、しかし珍しい食べ物ではないうえに、適正価格の倍という、いわばお祭り価格だった。


「10ゴールドは出してやる。10ゴールドはお前が出せ」

「……なるほど、仕方ないのぉ」


 ゼニードにしては珍しく、俺の提案に素直に応じた。

 と思ったら、ゼニードの奴、水飴の店主と交渉をはじめ、10ゴールドで水飴を半分だけ買ってきた。自分のお金はまったく使っていない。

 金の神のくせにせこい奴め――いや、金の神だからこそか?


「タイガさん、あれはいったい」


 ユマが見た方向には人垣ができていた。その人垣の向こうに、観客たちよりも頭五個分くらい突き出た巨体が見える。猪のような顔の魔物だ。


「これは魔物教育だな」

「魔物教育?」

「安全な王都ではどうしても魔物という存在とは無縁になってしまうだろ。魔物は危険だとわからせるために、こうして魔物は狂暴なのだと見世物にするんだ。猟犬をけしかけることでオークを暴れさせてな」


 魔物が危険だとわかれば、魔物退治するための軍事費拡大の世論も得られるから、国にとっては必要な見世物でもある。

 もっとも、それを見物している人間は、見世物小屋の珍獣を見ているように面白そうに見ているので、効果があるかどうかはわからないが。

 趣味がいいとは言えないけれどな。

 観客たちのうち何人かがオークの前に置かれた木箱に銅貨を投げ込んで移動を始めたので、人垣に隙間ができた。

 狼のような大きな猟犬が二頭見えた。あとは鎖が繋がれたオークの体も見える。

 しっかりと長いこと見たら金を払わないといけないし、ゼニードへの情操教育にもよくない。ユマも好まないだろうし、とっとと移動しよう。

 そう思ったのだが。


「やばいぞ、タイガ。戦闘の準備はできておるか?」


 口の周りに水飴をつけたゼニードが、そんなことを言った。

 何を言ってるんだ?

 戦闘ってオークは頑丈な鎖に結ばれ――んっ!?


「おい、嘘だろっ!」


 オークの両手両足、さらに首に胴まですべてが頑丈な鎖で結ばれている。しかし、その鎖はすべて地面に突き立てられた鉄の棒に結ばれていたのだ。その鉄の棒の根本に茶色い土がついている。暴れるオークの力が想定外で、徐々に抜けているのだろう。このままでは、いつ抜けてもおかしくないぞ――誰も気付いていないのかっ!?

 そう思った時だった。

 鉄の棒が抜けた。

 両手両足を鎖で結ばれているとはいえ、こうなったらもう弱いだけの魔物じゃない。このまま暴れたら犠牲者がでるぞ。

 猟犬が興奮し、オークに襲い掛かった。だが、オークは逆に猟犬に噛みついた。鋭い牙が猟犬の体に食い込み、オークの口から犬の血が溢れ出た。悲鳴が聞こえ、中にはこんなときだというのに気絶する婦人もいた。


「タイガさんっ!」


 ユマが気絶した女性の介抱に駆けつけながら、俺の名を告げた。


「ちっ。タダ働きなんて御免だが、そうも言っていられないか」


 俺が鋼鉄の剣を抜こうとしたその時だった。

 青い髪の男がオークの前に立ちはだかった。

 横顔だけだが、線の細い白い肌のイケメンだ。


「キャーっ! ケイハルト様よっ!」

「ケイハルト様だっ! ケイハルト様がいらっしゃったぞ!」


 ケイハルト?


 さっきまで阿鼻叫喚と言ってもいい雰囲気だったのに、周囲の人間は新しい玩具を貰った子供のように目を輝かせて、青い髪の男に応援(エール)を送っている。黄色い声援が多い。

 ケイハルトが剣を抜いた直後だった。オークがその場に倒れていた。


「今の動き、全然見えませんでした。凄い剣士ですね」

「なんだ、あんたらケイハルト様を知らないのか?」

「何者なのじゃ?」

「この国の兵隊さんだよ。実力は国でも一、二を争う剣の実力者だよ」

「騎士なのか?」

「いや、肩書きは有事の際に傭兵たちをまとめる傭兵隊長だが、騎士様じゃない、俺たちと同じ平民さ。国王陛下からの爵位の授与を固辞している。だから、巷では平民の星って呼ばれているんだ」

「それでこの凄い人気か――」


 俺が感心したように言うと、ケイハルトがこっちを見た――ような気がした。

 ケイハルトは手ぬぐいで剣についた血を拭い鞘に納めたところで、騒ぎを聞きつけた衛兵がやってきた。

 ケイハルトは衛兵に事情を説明し、オークの死体には布が被せられる――あとで冒険者ギルドに運ばれるのだろう。


「しかし、凄い剣士じゃったの。まともに戦えばタイガでは勝てぬのではないか?」

「俺がこれまでまともに戦ったことが一度でもあったか?」

「おっと、これは妾としたことが愚問じゃったな」


 ただし、こっちが絡め手で戦っても勝てるかどうかはわからないけどな。

 実をいうと、あいつのことを俺はよく知っている。

 剣の腕だけではない、あいつにはまだもうひとつ――俺との戦いの切り札を持っているのはわかっているのだ。

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