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17話


 町の門を出てから徒歩で二時間程度。

 神竜の爪痕に到着した。

 今はちょうど昼くらいか。

 神竜の爪痕の手前には見張り用の櫓があり、キーゲン男爵の部下の魔術師が常駐している。

 もしも谷に異変があればその魔術師が動くことになるそうだ。


「凄い風ですね――」


 谷から吹き上げてくる風に、思わずスカートを押さえてユマが言った。

 こいつは当然のようについてきてるな。


「この谷の底には、瘴気だけでなく風の微精霊が大量にいて風を吹き上げていると言われてるんだ。大昔は風の谷とも呼ばれていたらしい」


 谷から吹き上げる風のせいで吊り橋を架けることすら困難にさせ、空を舞う鳥ですらも谷を越えることが許されない。


「でも、この谷の風のお陰で、この国は魔族の侵攻を阻止することができたとも言われているんだ」


 俺は壱の谷を下りながら、そうユマに説明した。

 するとユマは俯き、その言葉を呟く。


「……サクティスの悲劇ですね」

「……そのくらいはさすがに知ってるか」


 ここから北の大陸にある大国、サクティス王国が突如現れた魔族たちによって滅ぼされた。

 そして、魔族率いる魔物たちは大陸を結ぶフラエル大橋を渡りこの国にまで押し寄せ、瞬く間にこの谷の北にあるヘノワード辺境領を壊滅させた。

 そして、五年前。キーゲン男爵は王都からの援軍が間に合わないとみると、独断で部下に命じ、谷にあった頑丈な木製の橋を全て焼き落とさせた。魔物たちに追われて逃げてきたヘノワール辺境領の領民の大半を見殺しにして。

 その時のキーゲン男爵の行いは非人道的だと波紋を呼んだが、結果的に魔族の侵攻を食い止めたこともあり不問となった。

「この谷に来た領民は約十七万。橋を渡れたのは五千人。谷を自力で超えたのも五千人。あとの十六万人は死んだと言われている」


 話しながらも歩みを進め、俺たちは谷底に辿り着いた。

 そして、暫く歩いていく。


 ある一角には、無数の木の杭が立てられ、石が積み上げられている。

 魔族が侵攻を諦めたあと、冒険者ギルドによって派遣された冒険者により、谷底にあった死体は全てこの地面の下に埋められ、その上から大量の石灰を撒かれたそうだ。その石灰を確保するために、東の港町の定食屋で、食べかすの貝殻までも買い取られたという逸話も残っている。さすがにそれは都市伝説らしいが、実際、西の飛竜山の鉱山では、普段はそのあたりに捨てられている石灰岩が根こそぎ運び出されたという。


「……タイガさん。少し時間をよろしいでしょうか?」


 ユマはその墓と言っていいのかどうかさえわからない石や木の杭の前に立ち、そう尋ねた。


「……ああ」


 俺は頷きながらも、「俺からも頼む」と喉からでかかって、そしてひっこめた。

 ユマはその場に屈み、鎮魂歌を捧げる。

 彼女の歌に合わせるように、周囲の風の微精霊が輝きながら飛び交う。まるで光に照らされた雪虫のようだと思った。

 この谷で死んだ者の大半は、前述の通りヘノワール辺境領の領民だ。しかし、それと同時にサクティス王国からの避難民も含まれている。

 そして、この谷でも多くのサクティス王国の――俺の祖国の国民が非業の死を遂げた。もしも俺がこの場にいれば――と思ったこともあったが、しかし過去は変えることはできない。

 ユマの鎮魂歌は五分程続いた。

 歌い終わると同時に風の微精霊も光を失った。


「ありがとうございます」

「…………ああ」


 ユマの礼に俺はそう頷いて、歩いていった。


「そういえばタイガさんはこの谷によくいらっしゃるんでしたよね。この先にリザードマンがいるのですか?」

「いや、この先にはいない。この先にあるのはただの――」

「ただの?」

「ネギ畑だ」

「そうなんですか……ネギ畑!?」


 ユマが驚き叫ぶ。


「まるでUFOでも発見したかのような驚きようだな」

「UFO! UFOがあるのですか!?」

「ないから落ち着け」


 こいつは本当にUFOとか好きなんだな。


「ネギ畑と言っても人が手入れしているわけじゃない。自然のネギ畑だ。俺の家にあるネギも、もともとはここで採取したものを育てているんだ」

「いえ、ちょっと待ってください。さすがに墓場の近くに生えている野菜を食べるのは宗教上――」

「国が定める法律でも、墓所から五十メートル圏内に田畑を作ってはいけないし、その場所で育った物を食べてはいけない。そのくらい俺もわきまえてる。安心しろ、墓場からは五百メートル以上離れてる。それに、俺はここのネギを採取して食べるんじゃなく、種を貰いにきているだけだしな」

「……それなら……いいんでしょうか?」


 細かいルールが明確化されていないらしく、止めるべきか悩んでいるようだ。

 ユマが止める前に、さっさとネギ畑にいってネギの手入れをするか。

 リザードマン退治はその後でいいだろ。


 残念なことに種が採取できるのはまだ先だが、それでも手入れはしっかりしないといけない。

 だが、俺を待っていたのは、綺麗なネギ畑などではなかった。


「畑が荒らされている」


 多くのネギが引っこ抜かれている。


「魔物の仕業でしょうか?」

「いや、魔物はここのネギの匂いを嫌うから近づかないはずなんだ――」

「じゃあいったい――」


 鳥の羽?

 これはまさか――!

「ユマ、あの岩陰に隠れるぞ――この畑を荒らしている奴を待ち伏せにする」

「でも、また犯人が来るとは」

「いいや、この時期なら必ずやってくるよ」


 暫く待っていると、そいつが現れた。

 二本の水かきのついた足でてくてくと歩く茶色い羽の鴨。


「あれは――」

「間違いない、カモノネギだ」


 カモノネギは、魔物ではなく、とても珍しい野鳥だ。


「あいつがネギ畑を荒らしていた犯人か」


 カモノネギは、ネギを嘴で加えて引っこ抜く。あれだけ力を加えて引っ張っているのに、ネギを噛み砕かない。カモノネギはネギを効率よく抜くために、嘴の内側が柔らかくなっていると本で読んだことがある。

「……ついていくぞ。ここで飛び出せば逃げられるからな」

 俺はそう言い、ネギを咥えて歩くカモノネギの跡を追いかける。


「うぅ……とてもかわいいです」


 ユマがカモノネギを見て押し殺した声で言った。


 カルガモのようにお尻をふりながら歩くカモノネギ。その姿は愛らしく、ユマの目もカモノネギに釘付けだった。

だからこそ後ろのユマの葛藤はよくわかる。

 この世界と日本とは違う。特に作物を荒らす害獣や害鳥への扱いが大きく異なるのだ。たとえばウサギなどは害獣扱いされ、畑で見つかれば即座に農家の人に捕まえられてウサギ鍋にして食べられてしまうように。

 だからこそ、ユマは葛藤しているのだろう。

 あのカモノネギを殺すのは忍びないことだけれども、害鳥を殺すのは仕方のないことだと。

 二十分程歩き、カモノネギは洞窟の中へと入っていった。高さは二メートルくらいあるが、奥行きはほとんどない。

 そんな洞窟の中に、それはあった。


「カモノネギは……このためにネギを運んでいたんですね」

「ああ、そうだ」


 カモノネギ。その特徴は、巣作りにネギを使うことにある。ネギの匂いは多くの魔物が嫌い、近づかないと言われている。そのため、カモノネギはそのネギを自分たちの巣に使うことで卵や雛を守る。

 洞窟の中にあったのは、カモノネギの巣だった。

 そして、その巣の中には大きな雛たちが大きな口を開けていた。しかし、親鳥はそれを無視し、いそいそと巣にネギをついばみ、ばらばらにして巣に組み込んでいった。

 暫くすると、もう一羽のカモノネギがやってきて、今度は雛たちに餌を運んでいる。

 巣作りをしているのは父鳥、そして餌を運んでいるのは母鳥だ。


「……タイガさん、あの……カモノネギのことなんですが、殺すのは」

「カモノネギの買い取り価格は新鮮な肉の状態だと一羽500ゴールド。二羽で1000ゴールドになる。雛もあそこまで育っていたら一羽200ゴールドで買い取ってくれるだろう」

「タイガさん」

「わーってるよ。カモノネギはネギを病気で殺すネギコガやネギアブラムシのような害虫を好んで食べる習性がある。確かに一見すれば害鳥だが、実は益鳥でもあるんだよ。そもそも、害鳥と益鳥なんてもんは人間が勝手につけた分類だしな……にしても、そうか。もうそんな季節か」


 風の強いこの谷だが、年に二度、“凪の谷”と呼ばれる現象が起こる。月と太陽の配置の関係か、一日だけ風の精霊の動きが沈静化し、谷から吹き上げる風がなくなる。

 カモノネギは春の“凪の谷”の季節に巣立っていき、半年後の“凪の谷”の季節に再びここに戻ってくると言われている。


「それにしても、珍しいな。カモノネギは減少の一途を辿っていると聞いたが」

「人間が乱獲するからですか?」

「いいや、そうじゃない。理由っていうのは魔物だ。神竜の爪痕には多くの魔物が生息しているからな。その魔物がカモノネギを襲うんだ……特にカモノネギはリザードマンの大好物だ」



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